月別アーカイブ: 2016年5月

絶対に本物は残ります

昔から師匠である内藤正裕先生から口を酸っぱく言われていた台詞です。

【上手な歯医者じゃなくて、上品な治療できる歯医者になれ!】

自分が認める人の言葉は、素直に身体の奥に染み込んでいく質の私です。

ですから、そう何時も自分に言い聞かせてきました。

私の診察台の前の壁には、

師匠の肖像写真を額に入れて掛けています。

で、

診療の肝腎な処を向かえたり、

キツい!とストレスが懸かったら、

チラッと、

師匠の顔に視線を移すのが常となりました。

私らのようなスタイルの診療は、一種【独特】のモノだと

歯科業界全体は認識しています。

其れは其れで、長い間ヤってますから、

経営的にもシンドイ時も度々在りました。

が、

【歯科医学の王道】を行くと、

【ナイチンゲールの心での手当て】を

私は頑固な迄に護り通してきました。

これに偽りはありません。

時代は移りゆきます。

昨今の変化のスピードの速いことと言ったらありません。

が、

【根っ子】さえ確りと張っていれば、

幹は倒れません。

患者さんも色々な方がお越しになられます。

個性、価値観、生活スタイル、好みも多様です。

が、

健康になりたいと云う気持ちが確りとあれば、

私はいつでも暖かく受け入れます。

 

ホスピタリティ重視の歯科医院

昔、お正月休みを

東京の一流ホテルと言われる処で過ごしていた時の話です。

普段は流石と私は贔屓に使っていたのですが。

この頃は私も若かった。

ブチキレて!しまったのです。

キャパを越える宿泊客を入れすぎていました。

いくら稼ぎ時と言えども、

一流処の良心の欠片も感じませんでした。

大晦日の夜の食事は、

予約の時刻を大きく遅らせられた上に、

通された処は、

何時ものレストランではありません。

大宴会場を仮のレストランとして、

コッチは中華料理、

アッチはフレンチ、

向こうは和食と、

仕切られた【工夫】に、

私の血圧は上がる一方。

サービスも、目が届く筈はありません。

広すぎ、御客さんが多すぎ!

で、

価格は一流。

ハシタナイので怒りを堪えて、

この時は我慢して。

正月の朝は、

まるで温泉街の大型旅館に宿泊したかの如く。

1年の初っぱなから怒る訳にはいかぬと、

我慢に我慢を重ね、

ルームサービスもリクエストしてから部屋に届けられたのは

3時間異常は経過していたと思います。

でも、まだ抑えました。

で、

ついにブチキレた!のはチェックアウトの時でした。

来年の分もご予約されますか?

と、しゃあしゃあと言うフロントマンのデカい態度に

私の我慢の蓋は遂に全開したのです。

二度と利用しませんとだけ申し上げ、

私は今日に至るまで、

そのホテルは使いません。

外資系ホテルに負けるはずです。

ただし、

大きな収穫も在りました。

この時から私は、

自分の診療所には自分のキャパを越える患者さんの予約は入れずに

余裕ある時間設定での診察を行うようになりました。

ソレが今日、

【ホスピタリティ重視の歯科医院】と

広く認知されるキッカケとなったのです。

 

難しい質

冷蔵庫の中がごちゃ混ぜとなり、

整理し始めたら1年も前に賞味期限キレとなった食品の数々が。

コレは恥ずかしながら、

私の幼い頃の記憶です。

整理整頓の苦手であった主は、

私ではありません。

商家のボンボン育ちの

典型的見本のような生活を送っていた私の父親を、

ナンとも羨ましく思うのですが、

この父親が整理整頓出来る方であったかどうかは判りません。

さほどに道楽で生涯全うされた幸運な人でした。

どういう訳か?

私は几帳面な質です。

DSC_0241

周囲からは【異常】と扱われていたようです。

幼い頃の記憶として、

就寝時に布団に横たわった私は、

枕から頭を持ち上げて、

掛布団の四隅をチェックするのを常としていました。

布団がピン!と張って、

シワひとつ在っても気に食わないと云う

ナンとも難しい【コダワリ】が在りました。

自分の手は布団の裾には届きませんので、

家の誰かに、

【ソレ】を修正してもらって、

で、

納得してから眼を閉じる。

コレが私の幼い頃の毎夜の恒例行事だったのです。

布団にも私なりの【コダワリ】があり、

大学へと家を出る際にも、

この重い布団は持参したのも確りと覚えています。

今時分は、ナンにでも病名を付ける世の中ですから、

私なんぞは、

アスペルガーとかナンとかと、

言われるんでしょうか?

几帳面なクセして、

クソ度胸?或いは向こう見ず、

随分とヤンチャの限りを尽くしたら事は、

この歳になっても語り継がれるほどでした。

院長室には机が7つほど。

それぞれの机には、

私なりの決めた用途があります。

仕事の性質によって、

私は椅子を回転したり、移ったりして、机を変えます。

人間の集中力なんぞ、たかが知れたものです。

ひとつの仕事に飽きたら、

即座に、別の作業へと転換します。

その繰り返し。

私は自分の欠点である持続力の無さを

こうして補っています。

ソレには【整理整頓】はとても大切な鍵なのです。

人には得手不得手が在りますから、

眼を反らさずに、

自分の欠点を自覚して、

無理して治すのではなく、

工夫して上手に欠点と付き合う方が

結果良いように、私は思えるのです。

息子が小学生の頃に造ってくれた整理棚は、

今も私の仕事場の一部として機能してくれています。

アンテナ

【スターバックス】が低迷なんだそうです。

【ドトール】が首位になったんだとのこと。

ふーん?

雑音の大きい処や、雑踏に足を踏み入れたくなくなったので、

休憩にワザワザ人の多い処はチョッとキツいってのも

在るんでしょうね。

それと一番大きいのは、

【コンビニ】のコーヒーで十分だと。

缶コーヒーより安くて、

その辺の喫茶のコーヒーより美味しいですもの。

ナニもかもが変わってきています。

それを先読みしないと、

やっていけませんね。

私らの業界も同じです。

そう言う意味でのアンテナを

確りと張り巡らせてといった処です。

患者さんのための歯科医院ですから。

遊びから

息子の版画を見つけました。

小学6年の頃の作品です。

親バカと笑って下さい。

上手いと、私は思いました。

今でも遊んでばかりいる息子です。

が、

私は黙って、見守っています。

絵を書いたり、工作してばかりの娘たちです。

孫のような歳の娘たちからは

【チビまる子ちゃんちの友蔵じいさん】のような扱いを受けます。

そんな私を

周囲みんなが甘いと言います。

その甘やかしが、息子や娘たちをダメにする元凶であると。

結果の出せない現状の息子ですから、

私は押し黙るしか手当てはありません。

が、

押し黙れる訳は、別の意味も隠されています。

其れは、

息子も、まだ幼い娘も共に、

私の血を強く受け継いでいると確信しているからです。

歯科医に絶対に必要な条件は、

器用な指先を持つ事と、

遊び心がある事です。

歯科医師免許には実地試験はありません。

マークシート試験の結果で、合否が決まります。

ですから、歯科医師免許取得者の技術を、

免許は担保していません。

歯科医師イコール器用は嘘です。

技術向上に必要な要件は、

強い好奇心と工夫する心とアイデアの泉が在るかどうかです。

遊び心なくして【モノ造り】は出来ません。

私は【歯科】と云う仕事が好きです。

私は息子や娘たちを可愛いと思います。

ですから、

子達が歯科医師に成って欲しいと願っています。

幼い頃から若い間に、

十分に遊んでいないと、

器用な指先と遊び心は育ちません。

それが私なりの言い分です。

今日、新患でお越しになられた患者さんを診察し、

その気持ちが更に強まりました。

病気の原因に、患者さんの責任が無い症例が増えています。

治療した処ほど悪くなる。

歯科医師と歯医者は違うんだ!と、

私は頻繁に学生たちに口にします。

歯科医師は、歯科医師国家試験の合格者。

歯医者は、患者さんを背負うモンだと、

私は思っています。

歯医者に器用な指先は絶対必須の条件です。

マイクロスコープは単に拡大できる道具でしかありません。

視野が拡大するに比例して自在に動く指先がなければ

機械に負けてしまいます。

ダメなら抜いてインプラント!っていう決断が

皆さんチョッと速すぎませんか?と。

私ら【歯科保存学】専攻のモンからすると、

もっと【歯の重み】を

患者さんと共有して欲しいと思います。

インプラント治療においても、

私の眼前で、

インプラント治療が専門ですと言える度胸があれば

立派なモンです。

度胸を備えるのにも、

経験と遊びは必要ナンですよ。

 

 

 

私は歯医者

私にとって普通であることが

端目からして観れば【普通じゃない】ことが多いのだそうです。

社会人となった娘が中学生時代の反抗期真っ盛りの時期に、

【パパは身体は大人で心は子供、フン!】

と、小バカにされた台詞を

今も時々に思い出すのですが、

そうかもしれません。

私は、歯医者に成りたくて成りたくて、

この世界に入りました。

仕事と趣味の境目もありません。

歯に触れるのが、

私の至上の歓びです。

ですから、

患者さんをとてもありがたく感じています。

難しい症例、簡単な症例、

それぞれに楽しみがあります。

で、

折角にお越し頂いた患者さんですから、

生涯、歯での悩みは解消して頂きたいと

そう思って、

患者さんの病と接しています。

身体のどの器官に不具合が生じても、

本当にツラいモンです。

私は、歯医者です。

口の中の健康作りが、

私の意味だと、

そう自分に言い聞かせて過ごしています。

死の淵を見た男

大概の仕事は、独りの人間の力だけではできないのです。

それを【チームワーク】と云う表現で著すのでしょう。

が、

私の考えは違います。

例え自分独りになったとしても、

請け負った仕事を完成できるように、

仕事それぞれのパートナーになった積もりで

自分の担当する仕事を進めています。

仕事全体を見渡して進めていく手法は

私は自己経験から学びました。

それと私自身の性格も在るかもしれません。

歯車だけにはなりたくないと、

其れで、

職人仕事に就きましたので。

【死の淵を見た男】と云うドキュメンタリー作品は、

今の現役で仕事につく人だけではなく。

学生にも是非に読んで頂きたい本です。

是非に読んで下さい

私がこの眼で、この身体で観たからでしょうか?

私は生涯、

東北の震災における津波と放射能の暴力を忘れません。

宮城県出身である私の嘗ての上司、山口隆司先生と

仕事を御一緒させて頂いているからでしょうか?

原発と政治、純文学の書籍に触れる機会が増えました。

【死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五百日】

【野中広務 回顧録】

繰り返し再び頁を捲る機会がくる書籍だと感じて、

書棚に入れました。

 

人の根っ子

小学生の頃だったでしょうか?

テレビドラマで【寺内貫太郎一家】てのが在りました。

アレを現在、

ゴールデンアワーに放映したらどうなるんでしょう?

そのくらい、世の基準が変わりました。

石原慎太郎の著作のプロモーションの影響でしょうか?

【田中角栄 元首相】の嘗ての姿をテレビで繰り返し放映される機会が増えました。

越後贔屓の私ですから、

其れは其れで悪い気にはなりません。

が、

田中角栄 元首相を取り上げた書籍の中で、

最も出来の悪かったのが石原慎太郎作のモノだったと感じていますし、

アレだけ今まで、

【金権政治家】【諸悪の元凶】とまでに、

木っ端微塵に個人の人格、全人生を叩きのめすほどの全否定であったマスコミは

一体どういう頭の構造をしているんでしょう?

売れれば良い!と云う資本主義の見本が、

今のマスコミの姿でしょう。

越後の人は、寡黙で、ひたすら堪える人です。

派手などトンでもない。

地味で、慎重、

で、

心温かい人情の人です。

細かな人の心の襞を理解できない世の中になった様な気がします。

 

女は強し

若い時分の怠惰な過ごしが仇となり、

50も当に過ぎてるにもかかわらず、

受験生のような暮らしを強いられています。

基礎力の欠如を自覚せざるを得ず、

当時は枕の代わりであった科学専門書を

改めて読み直す毎日です。

気づいたのは、

科学とは【細ま切り学問】であると云うこと。

科学は日々、進歩した進歩したと言うけれども、

結局の処、

より微細な構造を知り得る手法を得たことでの知見が得られただけで、

生命体の神秘さの真理からは、

未だ未だ、ほど遠いのだと。

先日上京した際に、

ホテルのミーティングルームの薄い壁の向こう側から

その会合の内容が漏れ伝わり、

半ば睡魔との闘争中であった私の耳は、

素早く反応したのです。

私の参加していた会議は、自然科学の範疇でしたが、

隣の部屋での会議は、

【命の母ナントカ】風の、

母が頑張らねばどうするねん!てな、

まぁ、会議と云うよりは【おばちゃん同士の井戸端会議】だな!と。

私の参加させられていた会議よりも、

ズット面白かったですよ。

声高々に叫ぶかの如くマイクを握る姿が思い浮かべられ。

で、

長時間の会議?の結論など皆無で、

日々のストレスを思う存分に解消されたおばちゃん達は、

それでも有り余るエネルギーを持て余しているのか、

ミーティングルーム前のロビーの椅子にドスンと鎮座し、

未だ未だ動き始めた口は一向に止まる兆しは無い様子。

トイレからハンカチで手を拭き拭き、

チラッと横目で眺める私。

コレが【生命体の真理】なんだと妙に納得し、

この様な集団には、

病などには、先ずは縁が無いであろうと。

また、

仮に病になったとしても、

まぁ医者の言う事は聞かないでしょうな。

テクノロジーや科学の進歩など、

コリャ敵わないわな!と、

頷きながら、

退屈な会議室へと舞い戻ったのです。