月別アーカイブ: 2017年9月

勘働き

長い間、

歯と真剣に付き合ううちに、

【勘働き】が利くようになりました。

レントゲン所見でも、

肉眼的所見でも、

何の問題もないように見える歯でも、

妙な【匂い】を感じる時が在ります。

そういう場合には、

私は治療を先に進めません。

仮の歯で、

ジッと待機するのです。

後戻りして、

別なる方向へと、

治療方法の転換をはかれるようにするためです。

【勘働き】が外れて欲しいのですが、

悲しいかな、

ほぼ私の予感は的中するのです。

これは科学の範疇にはありません。

でも、

事実は事実なのです。

 

幸か不幸か

時刻は23時です。

帰宅しました。

内藤正裕先生との2日間は、

私の後半の人生のターニングポイントになるでしょう。

先生は仰いました。

科学は、

DNA,RNAレベルまで、

人の身体を分解させた。

その結果、

人はアミノ酸に至る。

が、

アミノ酸を集めてみても、

感情を持つ人には生れないと。

私は師匠と同じ時代を生き、

師匠の肉声を鼓膜に刻み、

師匠の表情を網膜に記録し、

師匠から考える行為を教わった

類い稀なる幸運な人間です。

今は、

そのことに以外の、

自分の幸運を見いだせません。

でも、自分の使える限られた時間を

どう使うのか?

良いキッカケになりました。

脳髄と心が疲労困憊。

宿に隠り、

自宅で、

考へ、

それが生涯の弟子の仕事であり、

苦しみでも在ります。

静かな時間

今日も1日中、講演会です。

昨夜は7時には床に就いていました。

食事は部屋にて、

コンビニの冷やし中華とワッカップ大関。

今朝も、

相変わらず早出です。

浅草寺へと。

まだ静かな境内のなかを通り抜け、

本堂にて、

観音さまを仰ぎ、

般若心経を一巻唱へます。

観音さまのご縁にて歯科医学の道に入りました。

その御恩は生涯忘れません。

境内にて、

腰を下ろし、

コオロギの声に秋を感じます。

前を歩く僧侶に声をかけて、

御先祖さまへの土産の線香と、

内藤正裕先生の健康長寿の御守りを求め、

学生時代から変わらず営業続ける喫茶にて、

心を整えています。

師弟

大学院を卒業し、

数年。

自分の足腰の弱さを痛いほど実感し、

レイモンド.キム先生と内藤正裕先生の門を叩きました。

以来25年。

私は未だに未熟者。

講演が終わり、

おい!三枝!

手招きする師匠。

で、

ご自身のスーツに着けていたアクセサリーを外し、

私のスーツの襟へと着ける師匠。

私は嬉しくて、

涙が流れるのを我慢していました。

 

刻む

東京の宿にたどり着いたのは

既に深夜。

ワッカップ大関を一杯。

深い眠りにつきました。

習慣とは恐いものです。

いつもの時刻に目覚め、

いつものように読書。

が、

退屈で仕方がないので、

街へと。

街は未だ眠っているようです。

隅田川から神田川へと折れ、

川に沿って、

小路を選んで、

お茶の水を目指して歩きます。

交差点の赤信号にて足を留め、

見上げれば、

神田明神下。

あぁ、此処が銭形平次親分の居た処かと。

舟木一夫の歌うテーマソングを

人っ子一人居ない街。

私の音痴も聞かれまいと。

声高々に歌いながら、

通りを進みます。

神田明神さま。

鳥居の外から一礼し、

内藤正裕先生を先についてお待ちしようと、

足はますます速く進みます。

江戸期の絵地図が頭にしっかりと記憶されています。

ここは、

彼の大名の屋敷の跡であったとか、

東京は文明の都会ですが、

通りの名には、

しっかりと文化の匂いを残しています。

時代は移ろいでも、

通りの樹木や石畳は、

全てを刻んでいるに違いありません。

男盛り

診療が終わってから上京。

最終便です。

空港の到着ロビーに、

業者の方がお待ちだそうな。

夜の9時もまわった羽田のロビー。

そこから、

お仕事の打ち合わせだそうな。

先方の方にも申し訳ないと思います。

こんな夜遅くまで。

お仕事が終わった帰宅するまで、

相当の時間を要するのでは?

私は浅草付近で宿泊します。

帝国ホテルではありませんよ。

私は浅草界隈の街の匂いが好きです。

池波文学の影響かもしれません。

が、

彼の地においては、

明治の文豪の愛した宿が数件、

ひっそりと、

未だに営業しているのですよ。

古住まいの畳に

座って、

寝転んで、

蒲団で読書しながら眠ってしまう。

そういうのが好きです。

早朝の未だ人の姿が見えない頃から、

街へと出て、

墨田の街の息遣いを

鼻腔いっぱいに拡がってゆく

あの感覚が好きです。

で、

タクシーにて

講演会場へと向かうのでしょう。

夜は友人と、

お茶の水界隈の焼き鳥屋で一杯の日本酒を。

翌日も早くから遅くまで缶詰ですから、

高松市の自宅に就くのは、

夜も更ける頃でしょう。

月曜日は午前中だけ、

通常通りの診療です。

午後からは、

再び県外へと日帰り出張です。

男の50代です。

仕事盛りの年齢です。

ありがたいと、

感謝、感謝、感謝のみ。

問い合わせへの対応

ホームページの

【お問い合わせ】フォームからのメールには、

必ずご返事を差し上げることにしています。

が、

なかには返信しても、

エラーで帰ってくるものが在ります。

専門家に診て頂くと、

送ってこれれた方のメールアドレスのスペルミス、

あるいは、

意図的なものも、

と。

何れにしても、

私から返信しないということはありません。

その辺りは、

どうぞご留意ください。

歯の寿命

私がしきりに、

虫歯は、

初期の治療方法が重要で、

この如何により、

そのあとの歯の寿命を変える!

と声高々に言い続けているからでしょう。

急患でお越しになられた方の写真です。

詰めものが外れ、

大きな穴が開いています。

詰めものの下には、

虫歯が拡がっています。

で、

先ずは大まかに虫歯を除去し、

ラバーダム防湿です。

細菌ビッシリの唾液から患部を隔離し、

丁寧に丁寧に、

虫歯を取り除き、

ダイレクトボンディング修復。

急患でしたので、

まだ細かな形態修正はできていません。

次回、

ゆっくりと仕上げる予定です。

必要なもの

日曜日、

教会の帰りに立ち寄った書店にて、

コレを見つけました。

手に取って、

買い物籠の中に入れました。

昨日、

1枚目を捲りました。

【今日という日は自分にとって一番若い日】

今朝、

出勤してデスクに腰掛けて、

直ぐさま、

2枚目を捲りました。

【面倒なこと、嫌なことが、人間の幸せの素】

仏教家である木津無庵氏の言葉に、

仏教は覚悟の宗教であると云う。

また、

哲学者である西田幾太郎氏の言葉に、

世の中には、往々、何故に宗教が必要であるか、

などと尋ねる人があるが、

かくの如き問いは、

何故に生きる必要があるのか、

と問うのと同一である。

真摯に考え、

真摯に生きんと欲する者は

必ず

熱烈なる宗教的要求を

感せずにはいられないのである。

歯科医学と云う自然科学の

ど真ん中に身を置いて、

既に35年になります。

科学に生きる私は、

身体の不思議さに、

目に見えない力の存在を感じます。

それが神か仏の為せる技なのかは判りません。

ただ無意味なる自己流の解釈は

危険だと察しています。

答えなど出ない問いであることは判っています。

ただ、

今の私に必要なものが

何であるかは判っています。

 

男同士の友情

明日の夕刻から上京するので、

資料の整理をしていました。

そんな夜、

大学時代の同級生からメールにて、

今、電話して良い?

コレが良く耳にする今風のエチケットなのか、

と、

親友であるのに、

なんだか水くさいような気持ちになり、

直ぐさま、

私から電話を入れたのです。

相変わらず私は電話野郎のままです。

彼は浅見知市朗博士です。

親友であるのに、

博士と表現するのは、

彼の学者としての姿勢、業績を尊敬しているからです。

彼は間違いなく、

私にとっての一番の親友です。

18の歳から今も変わらず親交が続く訳は、

互いの性格が真逆のようで、

でも、

肝心な価値観は一致しているからだと思います。

昔から、

彼の言葉だけは素直に聞けるのです。

意に反する言葉も耳にします。

そんな時、

彼の言葉なら私は素直に、

その意見を採り入れるのです。

彼は群馬県の医療系大学にて、

解剖学の教授を務めています。

毎日を若い人との関わりを持ち、

医療人へと育てる仕事に情熱を傾ける彼は

臨床家から離れてから、

すっかり気持ちに若さを取り戻したように思います。

彼は教育者、学者として、

のびのびと今も青春坂を駆け登っています。

そんな彼に、

精一杯に大声でエールを送っています。

彼は彼で、

歯に生きることが全てである私に

肝心な時に、

肝心な要所を、

日本刀のような鋭さで、

バサッと、

一太刀浴びせてくれるのです。

皮1枚、

否、

額からスーと血が流れるほどの

手加減にて。

ここに彼の真意と心意に

感謝しています。

これは男同士の硬い友情が

確固たる故の所作でも在ります。

良い友を持ち、

人生の幸運な人だと、

彼の声を聞く度に、

感謝しています。