そんなに沢山の本を
忙しいなか、
いつ読むのですか?
と、
尋ねられました。
時間は造るものです。
診療の傍らの研究も、
古い車の修繕も、
何事も忙しいで片付けていれば、
何も前へとは進みません。
私の読書は、
人生と云う旅には欠かせない食べ物だと。
そんなに沢山の本を
忙しいなか、
いつ読むのですか?
と、
尋ねられました。
時間は造るものです。
診療の傍らの研究も、
古い車の修繕も、
何事も忙しいで片付けていれば、
何も前へとは進みません。
私の読書は、
人生と云う旅には欠かせない食べ物だと。
何時でしたか、
某インプラントメーカーの方が、
発売予定のインプラントの説明のために
わざわざお越し下さいました。
添付資料やカタログのゲラを前に
熱心に説明してくださいました。
で、
その製品の研究のデーターと論文を依頼し、
今日、
その返答として再び
診療所へお越しになられました。
誠実な対応に感謝しました。
で、
先ずはサッと目を通すことを初め、
あることを考えていました。
アルキメデスの原理は不変です。
コレが変わることはありません。
原理原則とは、
そういうモノです。
昔は通用したが、
今は通用しないというのは、
原理原則ではありません。
原理原則に例外はないのです。
インプラント製品が雨後の筍のように、
毎年次々と出現しています。
メーカーそれぞれの工夫が見受けられます。
これは工夫でしかありません。
インプラント業界を含めた歯科業界は、
未だに骨の原理原則に気がついていないようです。
多くの症例を誠実に施術させて頂き、
長い経過症例から学んだことは、
やはり、
開発者であるブローネマルク博士の言う
インプラント治療の原理原則が正しいと
つくずく感じています。
開発が、
全て科学的なモノである確証はありません。
研究が、
全て原理原則を探す旅であるとも言えません。
人が関わる問題においては、
全て主観と意図が含まれると考えます。
それを見抜くのが、
私ら臨床医の大きな仕事でも在ります。
中国、我が国に及ばず、
西欧の古い書物に興味を抱くのは、
物事の有り様の見つけ方のヒントが在るからです。
私は人の身体を与る医師です。
医師は人を知らねば、
深い部分が見えません。
また、
宗教と人の営みは切っても切れません。
そのような意味合いにおいて、
仏教から神道、
そしてカトリックへの私の旅が始まったのです。
教会へ通う度に神父さんは
我を捨てなさいと
仰られます。
耳では素直に聞いています。
我を捨てる。
私の仕事と、
この教えを、
何処にも矛盾なく共存させるように
私は考え続けていくでしょう。
自分と云う個性を、
治療する歯に封入してこそ、
病であった歯の治癒が得られるからです。
面白い文章に出会いました。
文字で心を洗い、
心のノミで顔を彫る。
小島直紀氏の著作から目に止まった言葉です。
また、
風雪に耐え抜いてきた顔
と云う一節にも興味を強く惹かれました。
生きることと
仕事に生きることは、
今でも私の中では一緒です。
自分の知識の一層の向上のために、
私は練習やトレーニングも欠かしませんし、
多くの書物や文献にも目を通すことを
苦労とは思いません。
書物から得た知識を、
今度は実体験で磨きをかけて、
見識を深めたいと思います。
そこから私と云う個性が生まれ、
私の顔が形成されてくるものだと
信じて来ました。
私は我が儘は、
歳を経るごとに収めるべきと考えています。
好好爺で良いじゃないですか?
でも、
我を捨てる。
この意味を考えて過ごしたいと思います。