私は強度の寂しがり屋です。
それは病気かもしれません。
恐らく、
幼少期の育った環境に原因があるのだと
私個人的な勝手診断を下しています。
私の診断が正しければ、
この寂しがり屋症は生涯治らないでしょう。
小豆島に詩人であった尾崎放哉の墓が在ります。
その縁で、
生前に住んで居られた庵が残って
記念館として、
氏の詩を伝えています。
庵には、
作為的な手が加えられていますので、
私は関心が湧きません。
むしろ、
石に刻まれた詩に心打たれます。
孤独の人であった氏のような生き方を
私は絶対にできない自負が在ります。
大学生ですから、
当たり前ですのに、
息子が帰省すれば
嬉しくてなりません。
寄宿舎生活の思春期の娘が帰省すれば
嬉しくてなりません。
よくコレで、
大学生生活を送れたものだと
想い返すのです。
歳をとってきて、
子ども心に戻っているのでしょうか?