日別アーカイブ: 2017年8月9日

一日暮らし

海に行って

海の久遠を眺め

お弁当を    食べる

少しの貝と  少しのノリを採り

蒔きにする流木を拾い集めて     一日をくらす

山に行って

山の静かさにひたり

お弁当を      食べる

ツワブキの新芽と    少しのヨモギ

蒔きにする枯木を拾い集めて     一日を暮らす

一生を暮らす    のではない

ただ一日一日

一日一日と     暮らしてゆくのだ

 

【一日暮らし】山尾三省  氏の詞です。

この日がくる度に

今日は叔母の命日であったなと、

朝からお仏壇の前にて読経する私です。

帰りに叔母の好物であったモノを買って帰ろう

などと考えながら、

幼い頃の記憶に想いを馳せていたのです。

幼少期には、

随分と可愛がって貰ったにも拘わらず、

青年期以降、

私はこの叔母に辛く当たりました。

叔母は生涯を独身で通し、

年老いた両親の世話が叔母の家での役目でありました。

商家に嫁いだ母にとっては天敵、

不倶戴天の敵が叔母であったと言って良いでしょう。

橋田壽賀子氏の小説丸出しのような家事情であったことが、

私が商家を継がずに

家から逃げ出した大きな訳でも在りました。

私も54です。

毎日の読経のなかで、

今まで見えなかったものが

観えるようになりました。

叔母は私を赦してくれるでしょうか?

叔母の位牌を眺め、

叔母との時間が

走馬灯のように脳裏に浮かんできます。

もう直にお盆がきます。

叔母は私の元へ帰って来てくれるでしょうか?

人を苛めることを最も嫌う私は、

過去に自分が逆であったことを

認めています。

酷い自分であったと、

赦しを乞う時には、

もう其の人は居ないのだと。

長崎市に投下された原爆の悲しい日に重ねて、

私も心も沈みがちになるのです。

今の私にでき得る限りのことをして、

仏さまとなった叔母にひたすら詫びる。

鏡に写った姿が美しいものであるように。

 

 

歯の神経への気遣い

ダイレクトボンディング修復だからと言って、6

虫歯に罹患した感染歯質を徹底的に

取り除かなければ全く意味がありません。

虫歯が再発しますから。

タービンやエンジンなどの

回転切削器具も使いますが、

最後はヤハリこれです。

手先で丁寧に丁寧に。

神経に近い部分を

効率の良い回転切削器具を使うと危ない!危ない!

取り過ぎる!

注水していても歯の神経はシッカリと

摩擦熱を察知しています。

摩擦熱は神経が弱る原因なのです。

だから、

手先に持った小さな小さな鋭利なスプーンにて、

丁寧に、丁寧に。

これが神経には一番やさしい治療です。

帽子

【アルプスの少女ハイジ】のアニメを観て、

ですから、

小学校低学年の頃でしょうね?

お祖父さんが被るチロルハットを凝視する

自分の表情が手に取るように思いだせます。

4、5年頃になると

シャーロックホームズが難問奇問を解くさまを

白地に黒いペン一色で顕す挿し絵にある【あの帽子】。

頭頂で結んだ紐を解どくと、

両の耳が隠れると云うアレです。

無論、

私が大いに興味を抱いたことは云うまでもありません。

親類縁者にとって、

少年期の私の様が、

さまざまな種類の帽子で皆の記憶に残ったことも

云うまでもありません。

尚登へのお土産は【帽子】

それが皆の暗黙の了解であったそうな。

それほどに私は帽子が好きでした。

それが、

いつ頃からか、

私と帽子の付き合いは途絶えました。

色気ついて、

気恥ずかしくなったからでしょう。

それでも、

海外に赴いた際には、

野球帽にサングラスが、

私の定番でもありましたから、

私の潜在意識に帽子が刷り込まれていたのでしょう。

普段の私はスーツを纏っています。

スーツに野球帽と云ういでたちがマッチする筈はなく、

やはり普段の私から帽子は見られなくなりました。

が、

今年の猛暑の凄まじさに、

ついに思案に思案を重ねて、

帽子売り場へと足を運んだのです。

それでも、

大いに躊躇したのです。

某ニヒルな大臣のように観られないだろうか?

被っては鏡で写し、

で、

落胆。

傍目からすれば滑稽であったと思います。

何度繰り返したでしょう。

で、

ある黒い帽子が私の心を射ぬいたのです。

街にて、

妙な格好のオジサンを見かけたら

私かもしれませんよ。