月別アーカイブ: 2017年8月

お盆休みのスタートは

診療所も例外に漏れず、

今日からお盆休みです。

と言って、

起床時間も体内時計がセイコーばりの超正確さ故に

いつもと全く変化はなし。

そうか今日は休診であったと、

仕事への準備もする必要がないことに気づき、

そうだお盆だ!

ご先祖さまが帰ったくるのだと、

こういう潜在的意識と所作は

長年の習慣と、

何千年にも渡る日本人が古代から刷り込まれDNAの

為せる技でしょうか?

カトリックを信仰し初めた私は

教会から叱られるかもしれません。

が、

お仏壇とお墓の祭祀を護る長男の役目を

大学生の息子に委ねるには

まだまだ早すぎる。

到底できません。

と云う訳で、

いつものこの季節の習慣を

自己都合にて変える訳にはいかないのです。

また、

ご先祖の霊魂を完璧に信じる私は

あの世から、

暑い最中に旅して下る

ご先祖さまに肩身の狭い想いをさせる訳には参りません。

で、

早朝からお仏壇の 中から、

お位牌やら中央に鎮座まします阿弥陀さま、

仏具をすべて取り出して、

それぞれを綺麗に拭き清め、

スッキリしたお仏壇も

埃をはたき、

濡れたタオルにてピカピカに仕上げ、

お仏壇ひとつ、ひとつを手にとっては、

生前の名前と戒名を、

声に出して呼び、

綺麗度をチェックし、

線香の燻しによる汚れを見つけては拭き、

で、

お仏壇の所定の位置に戻す。

これを、

繰り返し、繰り返し。

早朝から営業するスーパーへと車を出して、

私の好きな白百合とお供えを求め、

お仏壇が沈香に香しく包まれた時には

既に10時を回っていました。

これで帰ってくる処の準備はできたぞ!と、

帽子にサングラスの出で立ちで、

再び家の戸を開けて、

一歩足を外に出した瞬間に、

圧倒的熱気の凄まじさに

私は怖じ気ついたのです。

まるでサウナじゃないか!

三枝家の墓地と並んで母方の先祖の墓地を移したことは

歳を経り初めた私にとっては

誠に都合良い結果であったと、

熱帯・亜熱帯の国化している温暖化現象の波に

身体に苦なく、

頻繁に掃除に来れるなと、

墓地の移葬は今年の私にとっては大変な行事でしたが、

もしかしたらご先祖さまが、

私を楽にしてやろうとの思い遣りであったのかもしれません。

白檀の香りが陽炎のよう墓石群を包み、

ご先祖さまと一体化したような気持ちと、

それと、

心配症の権化であった母方の祖母の笑顔が浮かび、

父方の祖母のスマした表情が瞼に写ったのです。

お地蔵さまのお顔も

久しぶりに観ることが出来ました。

お盆がくる度に、

無縁仏さまのお地蔵さんに、

帰って来る際に肩身の狭い想いをさせてはならじと、

新しい赤い前掛けを何百枚と一年かかりで準備して、

今日の日に交換するのが私の35年来の恒例行事だったのですが、

今年からは

春か秋のお彼岸に代えさせて頂こうと、

お地蔵さまにお伝えしたのです。

この炎天下、

1日がかりの石に囲まれの作業が

私の体力では無理になったからです。

コレは仏さまは判って下さると思います。

なんせ今日だけで、

私は消耗したからです。

帰宅したのは、

もう夕方の5時半を回っていました。

シャワーを浴びて、

チョッとベッドに横になって、

ふと気づくと22時。

いつもなら深い眠りの最中の頃合いですのに。

相当疲れたんでしょう。

台所で牛乳をコップに2杯イッキ飲み。

で、

足元マッサージ機に両の足を突っ込み包まれて、

そんなこんなでブログを綴っています。

明日も早朝から出かけます。

できれば、またご報告したいと思っています。

皆さんも、

どうぞ交通安全と暑け対策、海難水難事故などには

くれぐれもご注意ください。

では。

仕事

私の帽子姿を観た患者さんから

大いに褒められて、

相手は社交辞令なのでしょうが、

私は大いに自信を取り戻したのです。

通りのショッピング街のガラスに映る姿を

周囲に気づかれないように、

チラチラと眺めて、

そんな単純な処から、

いつまで経っても大人になれていないと

批判を受けるのです。

歯科医師と云う仕事、

子ども心を失っては到底できないのだ!

私は自己弁護しています。

どうして?

どうして?

考へ、

工夫し続けるのが、

歯科医師の本来の姿だと思います。

変わり者でないと、

歯科医師の仕事を全うできないと

そう今では開き直りました。

私の人生は歯科そのものでした。

これからも、そうでしょうか。

少年期に読んだ

トム・ソーヤやロビンソンクルーソーの物語に

心を高揚させ、

夢いっぱいに空想に耽った心模様が、

大人の私を歯科がドップリと魅了してくれたのです。

食べる手段が仕事だとは思いません。

といって、

ワーカホリックの狂気の沙汰の狭い了見の人で居たくはありません。

ただ、

道のない処を

自分で道を造って

一歩、一歩と、

大地を踏み込んで、

それが私の仕事です。

当時のままの

先のブログで触れた祖母の命日が今日であったので、

昨日の叔母へのお供えに続いて、

今日も祖母が生前好物であったモノをと考えています。

が、

祖母の好物が思い出せません。

祖父の口を借りれば、

お前は【猫また】じゃ!

と、しばしば耳にしたものでした。

【猫また】?

コレは祖父の弁です。

猫でもまたいで、

食べないほどに不味い食べ物でも、

お前は何でも食べる、

そういう意味なのだそうな。

ですから、

好物ってモノを思い浮かばないのです。

思いだすのは、

先ほどのようなイタズラの的が祖母であったこと。

懐が淋しくなった際には、

おだてれば、

気前よく財布を全開にする単純な私にとってのATMであったこと。

と、

今の人は皆目わからないでしょうが、

【杉野!杉野!杉野はいずこ?】

で有名な広瀬中隊長を称える軍歌などの歌詞と節回しが

自然と口から出るのも、

乃木大将や東郷元帥の

聞くも心が高揚する明治の大戦の模様を

あたかも実際の眼で

観たかのように語る祖母の影響であることは間違いありません。

幼児期の体験は、

自覚なくとも、

身体に染み込んでいる証だと思います。

それが実感できますので、

私は子育てにおいて、

今風には抵抗が在るのかもしれません。

お位牌を前に、

生前の名とは異なる戒名を観ては、

当時と今との境目が判らなくなるのです。

時間の流れを感じないのです。

今でも私は当時のままの悪戯坊主の積もりですし、

祖母も今は無き家の玄関戸を開けると、

台所から顔を出して声をかけられる気がしてなりません。

こういう心情になるのも、

お盆が近く、

墓参りとお仏壇のすす払いを

待ってくれているからでしょうか?

 

 

 

夏の夜は

夏休みを過ごす小学生の娘の所作を眺めながら、

男女の差は在れども、

今時の子どもの大人しいことに

私は心配になります。

其の辺りが

他所さまの親御さんと私が

大きく違う処であることも自覚しています。

夏の夜には、

アチコチの鎮守の森はお祭りで賑わい、

夕食のあと、

皆から小遣いを貰って、

ポケットを手でシッカリと押さえて、

サンダルを履きながら玄関戸を飛び出して、

お参りもソコソコに、

電灯輝く夜店を徘徊する私は

なんとも言えない幸福な心持ちでありました。

で、

翌日。

小遣いはシッカリと取りあげつつ、

日頃から口喧しい婆やを

ここは一つ懲らしめてやろうと、

購入資金源が婆やであることはスッキリと忘れて、

ゴム製の大きな蛇を振り回す私がいました。

離れのトイレ、

昔は水洗ではありませんよ。

所謂ポットン便所です。

穴の開いた床の脇に、

用を済ませた後に使う紙が

小箱の中に重ねてしまっているのが常でした。

箱には取っ手のついた蓋があり、

これが昭和中期の日本の家でした。

私は必殺大蛇を

この箱に忍ばせたのです。

もう心はウキウキ、ワクワク気分です。

渡り廊下の向こう側の座敷の障子越しに

さぁさぁ早く、婆やよ!

其の際の自分の顔を覚えています。

結末ですか?

そりゃ大変なことになったのは云うまでもありません。

婆やは蛇が一番苦手であったのを

幼い私はシッカリと知っていたのです。

大勢の大人が、

糞まみれとなった婆やを救助し、

で、

私は翌朝まで蔵に閉じ込められた結末です。

それでも、

蔵の中で、

大いなる空想に耽っていたのです。

其処から生まれた【ネズミの忠太郎】という作品が、

大人になって、

一人前に子を持ち、

寝物語にて

子どもたちのワクワク気分を満たすことになりました。

今の子どもに、

当時の私の度胸はないでしょう。

夏の夜になると、

そんな昔を思いだすのです。

一日暮らし

海に行って

海の久遠を眺め

お弁当を    食べる

少しの貝と  少しのノリを採り

蒔きにする流木を拾い集めて     一日をくらす

山に行って

山の静かさにひたり

お弁当を      食べる

ツワブキの新芽と    少しのヨモギ

蒔きにする枯木を拾い集めて     一日を暮らす

一生を暮らす    のではない

ただ一日一日

一日一日と     暮らしてゆくのだ

 

【一日暮らし】山尾三省  氏の詞です。

この日がくる度に

今日は叔母の命日であったなと、

朝からお仏壇の前にて読経する私です。

帰りに叔母の好物であったモノを買って帰ろう

などと考えながら、

幼い頃の記憶に想いを馳せていたのです。

幼少期には、

随分と可愛がって貰ったにも拘わらず、

青年期以降、

私はこの叔母に辛く当たりました。

叔母は生涯を独身で通し、

年老いた両親の世話が叔母の家での役目でありました。

商家に嫁いだ母にとっては天敵、

不倶戴天の敵が叔母であったと言って良いでしょう。

橋田壽賀子氏の小説丸出しのような家事情であったことが、

私が商家を継がずに

家から逃げ出した大きな訳でも在りました。

私も54です。

毎日の読経のなかで、

今まで見えなかったものが

観えるようになりました。

叔母は私を赦してくれるでしょうか?

叔母の位牌を眺め、

叔母との時間が

走馬灯のように脳裏に浮かんできます。

もう直にお盆がきます。

叔母は私の元へ帰って来てくれるでしょうか?

人を苛めることを最も嫌う私は、

過去に自分が逆であったことを

認めています。

酷い自分であったと、

赦しを乞う時には、

もう其の人は居ないのだと。

長崎市に投下された原爆の悲しい日に重ねて、

私も心も沈みがちになるのです。

今の私にでき得る限りのことをして、

仏さまとなった叔母にひたすら詫びる。

鏡に写った姿が美しいものであるように。

 

 

歯の神経への気遣い

ダイレクトボンディング修復だからと言って、6

虫歯に罹患した感染歯質を徹底的に

取り除かなければ全く意味がありません。

虫歯が再発しますから。

タービンやエンジンなどの

回転切削器具も使いますが、

最後はヤハリこれです。

手先で丁寧に丁寧に。

神経に近い部分を

効率の良い回転切削器具を使うと危ない!危ない!

取り過ぎる!

注水していても歯の神経はシッカリと

摩擦熱を察知しています。

摩擦熱は神経が弱る原因なのです。

だから、

手先に持った小さな小さな鋭利なスプーンにて、

丁寧に、丁寧に。

これが神経には一番やさしい治療です。

帽子

【アルプスの少女ハイジ】のアニメを観て、

ですから、

小学校低学年の頃でしょうね?

お祖父さんが被るチロルハットを凝視する

自分の表情が手に取るように思いだせます。

4、5年頃になると

シャーロックホームズが難問奇問を解くさまを

白地に黒いペン一色で顕す挿し絵にある【あの帽子】。

頭頂で結んだ紐を解どくと、

両の耳が隠れると云うアレです。

無論、

私が大いに興味を抱いたことは云うまでもありません。

親類縁者にとって、

少年期の私の様が、

さまざまな種類の帽子で皆の記憶に残ったことも

云うまでもありません。

尚登へのお土産は【帽子】

それが皆の暗黙の了解であったそうな。

それほどに私は帽子が好きでした。

それが、

いつ頃からか、

私と帽子の付き合いは途絶えました。

色気ついて、

気恥ずかしくなったからでしょう。

それでも、

海外に赴いた際には、

野球帽にサングラスが、

私の定番でもありましたから、

私の潜在意識に帽子が刷り込まれていたのでしょう。

普段の私はスーツを纏っています。

スーツに野球帽と云ういでたちがマッチする筈はなく、

やはり普段の私から帽子は見られなくなりました。

が、

今年の猛暑の凄まじさに、

ついに思案に思案を重ねて、

帽子売り場へと足を運んだのです。

それでも、

大いに躊躇したのです。

某ニヒルな大臣のように観られないだろうか?

被っては鏡で写し、

で、

落胆。

傍目からすれば滑稽であったと思います。

何度繰り返したでしょう。

で、

ある黒い帽子が私の心を射ぬいたのです。

街にて、

妙な格好のオジサンを見かけたら

私かもしれませんよ。

馬鹿げた格闘

院長室の窓の向こう側は、

大きく左右に揺すられるように動く

大きな街路樹と、

風の轟音と、

車の挙げる水飛沫の音とだけ。

禁煙によるニコチンを欲する肺胞を

胸にジワジワと実感し、

実な肺胞に感情など在る筈もないことから、

本当は脳髄が、

そのような偽りの指令を出して、

私の心を試す以上、

挫折させようと云う意地悪さを、

そんな葛藤と戦っています。

しかし、

自分の胸部レントゲン像を診て、

繊維化が進んでいることに気づかぬ筈はなく、

健康を維持するには、

これ以上の喫煙は、

近い将来に必ず自らの頸を締める結末に至ると云うことを実感。

別の脳髄では、

明確にしなければならないことを

判っている筈にも関わらず。

気晴らしのキャンディの舐め過ぎでしょうか?

舌の先がピリピリします。

呼吸のリズムの度に、

大きく肺胞がニコチンを繰り返し繰り返し

欲しています。

人間関係に於いても、

このような場合もしばしば経験してきました。

心と脳味噌の判断結果の相違です。

この際には、

心持ちよりも脳味噌の判断の方が

冷静で正しいと、

これまた明確に判っているのですが。

難しい処ですね。

それに比べれば、

禁煙などメカニズムが単純ですから、

楽であると、

自分に自分で言い聞かせる。

そんな全ての局面に於いて

馬鹿げた格闘に四苦八苦です。

まだまだ未熟者

【置かれた場所で咲いた渡辺和子の生涯】

先に倉敷市中央図書館にて地元の歴史資料に夢中になっていた私が、

チョッと脳ミソの休憩をと、

違うジャンルの書棚へと移動し、

並んだ書物の背表紙を

指と眼で、

ゆっくりと移動しながら、

心にひっかかる一瞬を求めていました。

で、

先の書籍を引っ張り出したのです。

著者は保江 ( やすえ ) 邦夫 氏。

元ノートルダム清心女子大学教授であった氏を私は初めて知りました。

私は渡辺和子シスターとはお会いしたことはありません。

が、

氏はシスターの信頼を得ていたことが文面から察せます。

そういう意味に於いても、

この書籍は良い参考文献になると思います。

その中で、

【人間には上下はありません、しかし人格に上下はあります】

シスターの酷しい台詞に、

置かれた場所が安養な処でなかったことが想像できます。

私自身の未熟さをつくづく感じ、

反省させられる良いキッカケとなりました。

知らぬが仏と云う言葉があります。

言葉通りの意味合い以上の深い処を

味わっている今日この頃です。