先のブログで触れた祖母の命日が今日であったので、
昨日の叔母へのお供えに続いて、
今日も祖母が生前好物であったモノをと考えています。
が、
祖母の好物が思い出せません。
祖父の口を借りれば、
お前は【猫また】じゃ!
と、しばしば耳にしたものでした。
【猫また】?
コレは祖父の弁です。
猫でもまたいで、
食べないほどに不味い食べ物でも、
お前は何でも食べる、
そういう意味なのだそうな。
ですから、
好物ってモノを思い浮かばないのです。
思いだすのは、
先ほどのようなイタズラの的が祖母であったこと。
懐が淋しくなった際には、
おだてれば、
気前よく財布を全開にする単純な私にとってのATMであったこと。
と、
今の人は皆目わからないでしょうが、
【杉野!杉野!杉野はいずこ?】
で有名な広瀬中隊長を称える軍歌などの歌詞と節回しが
自然と口から出るのも、
乃木大将や東郷元帥の
聞くも心が高揚する明治の大戦の模様を
あたかも実際の眼で
観たかのように語る祖母の影響であることは間違いありません。
幼児期の体験は、
自覚なくとも、
身体に染み込んでいる証だと思います。
それが実感できますので、
私は子育てにおいて、
今風には抵抗が在るのかもしれません。
お位牌を前に、
生前の名とは異なる戒名を観ては、
当時と今との境目が判らなくなるのです。
時間の流れを感じないのです。
今でも私は当時のままの悪戯坊主の積もりですし、
祖母も今は無き家の玄関戸を開けると、
台所から顔を出して声をかけられる気がしてなりません。
こういう心情になるのも、
お盆が近く、
墓参りとお仏壇のすす払いを
待ってくれているからでしょうか?