月別アーカイブ: 2016年3月

変な気分

内科の女医さんである患者さんは、

私の診察が終わる度に私に向かって

「先生、お大事に」

???

逆やないか!と。

が、

「先生は痩せてるから キチンと食べなよ!」\

「東京行く時には、飛行機の中ではマスクよ」

随分と私より年少なんですが、

頼りなく見えるンでしょうか?

転た寝

週末の上京を 前に、

するなら今日しかない!と、

アール爺さんを入浴させ

頭の先から尻尾の先まで

シャンプーリンス、

で、

乾燥まで終わると、

既に朝の6時前でした。

何時もの【鬼平犯科帳】まで3時間もあるので、

少しひと休みと、

横になったら、

既に昼を回っていました。

久方ぶりに、

友人の歯科医とランチへと。

夕刻前に帰宅し、

こんどこそ【時代劇 】

が、

転た寝、起きては、転た寝。

今週末から凡そ1年間、

ビッシリ予定満載です。

今のうちの転た寝、転た寝。

男の習性

東雲の空、

文献に眼を通しながら、論文を執筆しています。

論文書きながらに音を欲す私ですが、

テレビはケーブルテレビの時代劇専門チャンネルのみです。

この時期、私はNHK、民放共に観ません。

スイッチを入れる事もありません。

震災の記憶が蘇ってこないようにと

気を遣っていると云うよりも、

逃げています。

いよいよ空が明るくなりました。

若い時分には、考えられません。

身体の手当てを中心とした規則正しい生活を過ごしています。

5年前の今頃は、

新潟県と山形県の県境にある村上市辺りを走っていた頃です。

で、

南にターンし、雪の月山を仰いだ時に

その雪多い山の姿に、唖然とした自分の顔が判ります。

主要幹線は不通でした。

息の凍る程の外気と道脇の雪の高さ7メートルとの印しに驚愕し、

雪の迷路に迷い混んだ感が在りました。

が、

進まねば、太平洋側へ辿り着くことは出来ません。

今日の1日は、

道なき処を雪埋る日本を縦断し、仙台に入る!

に、終始したのです。

恐怖の余り、何度も、

この私でさえも悲鳴の声を挙げました。

夕刻4時に、

私のお下がりの革ジャンと革のスニーカーを履いた息子の

確かに息子の姿が視界に入って時に、

声なき叫び、

神仏への感謝の叫びで

空を仰ぎ、

でも、

息子には「よう!」とだけ。

寡黙に車の向きを新潟県へとターンするだけでした。

コレが、男の習性なのでしょう。

院長室の机の脇の床上には、

無造作に多くの書籍が山積みされています。

もう二度と眼を通すことは無いだろうと決裁された

書籍の墓場です。

とは言え、

私は書籍を捨てることが出来ません。

で、段々と増える一方となりました。

癖なんでしょうか?

久方ぶりに道で知人と出会った際、

ヨォ!と、

右手を大きく挙げる。

コレも私の癖なんだ相ですが。

息子に言わせると、

苦手な人の程度によって、

手の挙げ具合が判別出来るそうな。

コレも癖なんでしょう。

 

記憶

物忘れの多い年頃になった

気恥ずかしさを感じる機会が多いこの頃ですが、

5年前の記憶、

昨日からの2週間程の間は、

どの時刻に、

何を想い、

何を感じ、

幽体離脱し客観的に自分の表情を眺めるが如く、

全ての事象を鮮明に覚えています。

雪の北陸道を終日、

新潟へと、

ひたすら、ひたすらハンドルを握っていました。

空隙間なく舞う大粒の雪のかすか向こう側に、

空と海が一緒になる処の遥か彼方の峠目指して

ひたすら駆け抜ける私が居ました。

心でも、

口に出しても、

息子の名前を繰り返し、

不安に押し潰される私が居ました。

暮れる頃、

萬代橋にたどり着き、

街の警察署に駆け込み、

アヤフヤな情報収集に夜通し、

苦しんだ私が居ました。

引き留められるのを振り切り、

夜明けと共に、

再び、北へと北へと、

向かった私でした。

道に迫る荒れ狂う日本海の荒波を

恨めしく、

その後、

残酷な光景を眼にする事など考えるにも至らず、

息子の名前を泣きじゃくった顔で、

叫びの声を挙げて、

ただただ車を走らせる私が居ました。

どの時刻にでも、

どんな自分が居たのかを

鮮明に覚えています。

 

タンゴ

今日の日は、

私を患者さん漬けにしようとのスタッフの気遣いを感じます。

合間が在ると、私が地震の日の記憶に苦しむ事を

判っているようです。

と言っても、

セメントが固まる合間には少しの時間が在りますので、

映画の再生ボタンを押して、

気をまぎらわそうと。

【セントオブウーマン】

アルパティーノ主演の私の好きな映画です。

何度、観たか判りません。

で、

初対面の女性をタンゴに誘う処から、

踊り終わるまでのシーンにひきつけられるのです。

【タンゴは人生と違い、間違わない】

【脚が絡まっても、踊り続ければ良い】

人生の岐路で、

何時も私は此の場面を眺めます。

心定まって、定まらず

昨夜は眠れませんでした。

今、患者の合間にて、

あの時を迎へ、黙祷を捧げていました。

胸の動悸がします。

あの光景が脳裏に焼き付いて、

毎年のように心が縮む想いがします。

あの地に立った人、皆が同じ心の痛みを思い出している事でしょう。

一晩中、映画を眺めていました。

生まれし頃から今日までの日々が

次から次へと

映画の画面と重なって蘇ってきます。

そろそろ先へ、前へと、

気持ちでは判っているのですが、

拙い私の歴史であっても、

私にとっては、大きな軌跡です。

役所広司の映画ばかり眺めながら、

この名優の顔表情を、

自分の心と見比べて、

朝を迎えました。

祈り

あの日、

先の東北大震災から5年目の朝を迎えました。

尊い命を落とされた方々の御冥福を、

心よりお祈り申し上げます。

大切な御家族、御友人を失われた方々、

住まい、職場を失われた方々、

不自由な生活を余儀なくされて居られる方々、

あの光景、声、に、

心に大きな傷を受け、

失意と恐怖と不安に、

苦しまれて居られる方々。

どうぞ、

力の灯火を思い出して下さい。

私は、祈っています。

トラウマ

恐らく死ぬまで、この心の傷は消えないでしょう。

明日で、先の東北大震災から5年を迎えます。

仙台に居た息子からの助けの声が、

耳に焼き付いています。

そこからのテレビ報道に氷ついた気持ち、

北陸道を新潟まで、ひたすら走り、

山形から当地へとたどり着くまでの記憶、

幸いにも息子を見つけ、新潟市へと避難させ、

その後、当地へ舞い戻り、

歯科医としての職務、

其れは命を落とされた方々に対する

決して治療ではない職務でしたので、

私自身が命なり職責を再認識する大きな岐路でもありました。

国と云う存在にも、

大きく考えさせられました。

悲鳴に近い叫びの涙を、

自身の非力も思い知らされました。

と共に、

私は歯科医で在って、良かったとも。

私らは、幸運の上に日々の暮らし向きが在ると

感謝せねばなりません。

本当に、ただ運良く、今が在ると感謝せねばなりません。

大勢の被災された方々の、辛辣な叫びを

私らは、耳を傾け向ける姿勢であるべきと思います。

恐らく明日の、あの時刻になると、

何時ものように、私の心と身体は凍てつくでしょう。

この瞬間を生涯、

私は繰り返すに違いありません。

大勢の御霊に頭を垂れて、

明日を迎える、

心が落ち着かずの今を途方にくれています。

歯三昧

大学院時代の上司であった当時の山口準教授がお越しになられます。

空港までお出迎えに参上し、診療所へと案内する予定です。

その後、

私はインプラントの手術が在りますので、

その間、先生にはマイクロスコープで遊んで頂こうと。

抜去歯と特別な器具も準備し、遊んで頂こうと。

生憎の雨模様です。

が、

互いが【歯三昧】であるので。