月別アーカイブ: 2017年9月

読書

そんなに沢山の本を

忙しいなか、

いつ読むのですか?

と、

尋ねられました。

時間は造るものです。

診療の傍らの研究も、

古い車の修繕も、

何事も忙しいで片付けていれば、

何も前へとは進みません。

私の読書は、

人生と云う旅には欠かせない食べ物だと。

 

原理原則

何時でしたか、

某インプラントメーカーの方が、

発売予定のインプラントの説明のために

わざわざお越し下さいました。

添付資料やカタログのゲラを前に

熱心に説明してくださいました。

で、

その製品の研究のデーターと論文を依頼し、

今日、

その返答として再び

診療所へお越しになられました。

誠実な対応に感謝しました。

で、

先ずはサッと目を通すことを初め、

あることを考えていました。

アルキメデスの原理は不変です。

コレが変わることはありません。

原理原則とは、

そういうモノです。

昔は通用したが、

今は通用しないというのは、

原理原則ではありません。

原理原則に例外はないのです。

インプラント製品が雨後の筍のように、

毎年次々と出現しています。

メーカーそれぞれの工夫が見受けられます。

これは工夫でしかありません。

インプラント業界を含めた歯科業界は、

未だに骨の原理原則に気がついていないようです。

多くの症例を誠実に施術させて頂き、

長い経過症例から学んだことは、

やはり、

開発者であるブローネマルク博士の言う

インプラント治療の原理原則が正しいと

つくずく感じています。

開発が、

全て科学的なモノである確証はありません。

研究が、

全て原理原則を探す旅であるとも言えません。

人が関わる問題においては、

全て主観と意図が含まれると考えます。

それを見抜くのが、

私ら臨床医の大きな仕事でも在ります。

中国、我が国に及ばず、

西欧の古い書物に興味を抱くのは、

物事の有り様の見つけ方のヒントが在るからです。

私は人の身体を与る医師です。

医師は人を知らねば、

深い部分が見えません。

また、

宗教と人の営みは切っても切れません。

そのような意味合いにおいて、

仏教から神道、

そしてカトリックへの私の旅が始まったのです。

我を捨てる

教会へ通う度に神父さんは

我を捨てなさいと

仰られます。

耳では素直に聞いています。

我を捨てる。

私の仕事と、

この教えを、

何処にも矛盾なく共存させるように

私は考え続けていくでしょう。

自分と云う個性を、

治療する歯に封入してこそ、

病であった歯の治癒が得られるからです。

面白い文章に出会いました。

文字で心を洗い、

心のノミで顔を彫る。

小島直紀氏の著作から目に止まった言葉です。

また、

風雪に耐え抜いてきた顔

と云う一節にも興味を強く惹かれました。

生きることと

仕事に生きることは、

今でも私の中では一緒です。

自分の知識の一層の向上のために、

私は練習やトレーニングも欠かしませんし、

多くの書物や文献にも目を通すことを

苦労とは思いません。

書物から得た知識を、

今度は実体験で磨きをかけて、

見識を深めたいと思います。

そこから私と云う個性が生まれ、

私の顔が形成されてくるものだと

信じて来ました。

私は我が儘は、

歳を経るごとに収めるべきと考えています。

好好爺で良いじゃないですか?

でも、

我を捨てる。

この意味を考えて過ごしたいと思います。

世界中の誰もが自分を賞揚しても

私は独り静かに満足して座っている

世界中の誰もが私を見捨てても

私は独り静かに満足して座っている

ホイットマンの詩作です。

心に泊まりました。

変幻自在

上顎の無歯顎症例のインプラント症例。

今日の手順は歯型採りです。

同様のついこの間の患者さんとは、

全く違う歯型採りの方法を採用しました。

同じように見える症例であっても、

患者さんの個体が違いマスから。

同じ手順を行うことの方がオカシイのです。

プロですから。

症例の【癖】、【あや】を察知し、

変幻自在に治療手順に彩りを添える。

私は、

そうしています。

 

型破り

幼い頃から、

何をしでかすのか判らないと

周りから思われていることなど

とうに気づいています。

私は伝統は重んじますが、

慣例には囚われたくありません。

これは、

【型】に入ることが第1の基本でありつつ、

【型破り】の芸を生み出すことが

仕事の大きな意味でもあると思っているのと

全く同じ意味のモノです。

新聞も読まない。

読書も時たまに。

それが今の普通であるならば、

私は海外脱出の準備に取り掛かります。

無神論が普通であるならば、

物質至上主義、

あるいは、

資本至上主義社会の、

垢まみれな生き物しか育ちません。

大切な心を見失ってほしくはありません。

 

セラミッククラウンのもと

オールセラミッククラウンでも、

メタルボンドクラウンでも、

大切な【もと】が在ります。

それは【形】です。

この写真は、

私の診療所では普通に患者さんに使う

【仮の歯】を造る1過程です。

この手順は、

セラミッククラウンなどの【本歯】を造る際の手順と

全く同じです。

仮の歯であっても、

【形】は、

本歯への大切な情報の根拠であるからです。

蝋を盛り上げて、

彫刻し、

イメージと、

機能、

審美に沿った【形】を

丁寧に造り上げてゆくのです。

この操作をワックスアップと言います。

私はこの操作を

とても大切にしています。

ミサで歌う

私は生涯に1度も

カラオケ屋さんへ入ったことはありません。

それは音痴だからです。

若い時分には苦労しました。

先輩、上司からの指名から逃れ、

あるいは、

会合での雰囲気などを決して壊さぬように、

決して自分の喉を披露するまい!

逃げて、

逃げて、

逃げきる苦労で必死でした

ただ、

唯一稀なる機会は、

気分が大いに満足感に満ちた際、

独りで湯船に浸かっての

浪花節と都々逸、演歌のみ。

そんな私が、

ミサの際には、

大いに気分も調子良く、

読めない楽譜を開いて、

歌詞だけ目で追いつつ、

耳だけを頼りに、

声高らかに。

特に、

天のいと高き処に神の栄光、

で始まる栄光の讃歌と云う名の聖歌が

私は好きで、

大いに気分が満たされるのです。

小学時代の音楽の歌唱のテストの際に、

歌の出だしで、

三枝、もうよい!

オルガンを弾く教師からの評価が

私の歌う事への恐怖の引き金になりました。

ですから、

大勢の方と一緒に歌う自分が

可笑しくてなりません。

 

 

造ると創るを

昨日のミサは、

私にとってはとても良いミサでした。

朝刊がポストに入れられた音とともに、

玄関戸を開け、

で、

朝刊を開きつつ捲り、

眠気が一瞬で消え去ったのです。

【荷風 晩年苦心の跡】

とタイトル付けされた記事と、

氏の遺した大学ノートが2冊、

都内の古書店にて見つかったとの記事です。

私の高校時代は氏の著作と共に在りました。

今でも思い出したように、

氏の著作を開きます。

美しい文章に触れたい気持ちが

沸き起こった際にです。

私にとっての永井荷風氏は

文章を巧みに操る文使いの名人です。

また、

心模様の味深い、

情緒と彩の天才だと、

嗜好や時々の感情を越えた処にある

【優れ人】としての憧れの人でも在りました。

このノートは、

私の仕事における苦悩の軌跡とも

重なって見えたのです。

私の仕事は結果勝負です。

寸分のミスも許されません。

ですから、

考えて、

考えて、

悩みに悩んで、

診断なり治療計画をたて、

治療においても、

正確仕事に徹するために、

自分を全部、

指先に封じ込んで、

手当てしています。

私の仕事の域は到底に

氏の著作に及びません。

しかし、

造ると創るを一体化させる際には

苦しむものだと、

半ば安心したのです。

ダイレクトボンディング修復

小臼歯は大阪にてインプラント修復なされた患者さんです。

セラミックの歯の噛み合わせ面に

対合歯との接触により、

セラミックがポイント状に深く磨耗しています。

その奥の歯は、

私がダイレクトボンディング修復したモノです。

この患者さんの治療を受け持って

まだ半年程度です。

まだまだ私はこの患者さんの【あや】を

完全に把握していません。

メンテナンスの過程で、

その個性を掴んで行こうと思っています。

ただ、

何かイヤな匂いが?

食い縛りの【け】が

イヤな匂いの原因です。

出来るだけ、

エナメル質と同じ挙動をする素材で

修復治療はと、

そう思ったのです。

この頃、

総入れ歯ばかりご紹介したようです。

今日はダイレクトボンディング修復を。