昨日のミサは、
私にとってはとても良いミサでした。
朝刊がポストに入れられた音とともに、
玄関戸を開け、
で、
朝刊を開きつつ捲り、
眠気が一瞬で消え去ったのです。
【荷風 晩年苦心の跡】
とタイトル付けされた記事と、
氏の遺した大学ノートが2冊、
都内の古書店にて見つかったとの記事です。
私の高校時代は氏の著作と共に在りました。
今でも思い出したように、
氏の著作を開きます。
美しい文章に触れたい気持ちが
沸き起こった際にです。
私にとっての永井荷風氏は
文章を巧みに操る文使いの名人です。
また、
心模様の味深い、
情緒と彩の天才だと、
嗜好や時々の感情を越えた処にある
【優れ人】としての憧れの人でも在りました。
このノートは、
私の仕事における苦悩の軌跡とも
重なって見えたのです。
私の仕事は結果勝負です。
寸分のミスも許されません。
ですから、
考えて、
考えて、
悩みに悩んで、
診断なり治療計画をたて、
治療においても、
正確仕事に徹するために、
自分を全部、
指先に封じ込んで、
手当てしています。
私の仕事の域は到底に
氏の著作に及びません。
しかし、
造ると創るを一体化させる際には
苦しむものだと、
半ば安心したのです。