月別アーカイブ: 2017年9月

瞬間芸

仮の総入れ歯を造り始めた治療風景です。

患者さんの脇で、

手当ての下ごしらえです。

普通のクラウンの治療の際には、

【歯型を採る】と表現しますが、

入れ歯の際には、

【歯型を創る】と、

私は表現しています。

無からの創造ですから。

タイミングを見計らって、

【瞬間芸】です。

皆さん、患者は入れ歯を経験しています。

が、

私の入れ歯造りの手法は

観たこと、

されてこと、

全く初体験であるそうな。

ビックリされて居られます。

で、

一生懸命に治療について来て下さいます。

師匠

今は朝の6時を少し回った処です。

読みかけの本の続きをと、

その前に昨日、

東京音楽大学の武田真理教授へ送った

プレゼントにまつわる物語が

鮮明に思い出され、

心暖まり、

珈琲でもと。

プレゼントの中身はCDです。

武田真理教授の御母堂である

武田弘子先生が自ら作曲し、

貸し切りのスタジオで、

私の目の前で演奏し、

プロが録音したモノです。

私がこの診療所を新築した際に、

ホームページを一新させました。

現在のホームページの前のモノです。

このホームページのバックに流れていた

あの曲が、

武田宏子先生の曲だったのです。

武田宏子先生はクラシックピアノ界の巨星でした。

活躍するプロの殆どが、

先生のお弟子さんであり、

プロピアニストで

武田宏子の名前を知らない人は居ないでしょう。

私の診療所の新築を先生は、

自分のことのように喜んで下さいました。

なんせ私の若い時分から、

ずっと患者さん目線で、

私を見守って下さっていたからです。

先生はブローネマルクインプラントの

四国第1号患者でもありました。

当時はお住まいは東京でいらっしゃいました。

私と患者としての付き合いは

四半期になりましょう。

私の歯科医師としての歴史を

側で観て、

で、

私のために曲を創ったのだそうな。

再び、

ホームページのバックに曲を流そうと思います。

先生は優しい温かい眼で、

私を見守って下さったのだなと。

が、

プロの眼で、

息子のようにショッチュウ注意され、

日々の過ごし方を怒られたのも思い出されます。

曲から、

先生が私を応援して下さっているのが

肌で伝わります。

昨冬、

先生は天に召されました。

私が先生を忘れる事は生涯ありません。

歯科医師以外でただ1人の師匠ですから。

 

励む

午前中に歯周外科を、

お昼前から今は午後の2時半ですが、

奥歯のダイレクトボンディング修復を行っていました。

詰め物の脇に、

ひびが入って、

歯の内部に大きな空洞ができています。

綺麗に虫歯を取り除きます。

一部、

虫歯が神経に達しています。

心配無用です。

三枝メソッドにて、

神経を保護します。

で、

ダイレクトボンディング修復。

神経の保護も行いましたので、

疲れました。

細かな形態修正と研磨は次回。

次の患者さんは部分入れ歯の調整です。

その後直ぐに、

上顎全体にインプラントを埋めこんだ患者さんの

修復物のセットです。

長くなりそうです。

これが私の今日1日です。

私にできる事と云えば、

誠実に、

丁寧な、

手当てをするだけです。

患者さんが喜んで下さいますから、

私も一生懸命に励めます。

患者さんも

長時間の治療に頑張って下さいますから、

私も一層励めます。

ただ一生懸命

私には殆ど私物がありません。

泥棒もビックリするほど、

私には私物がありません。

東北大震災の直後、

かの凍った大地に立つ私の

人生観なり価値観は一転したのです。

腕時計も1つきり。

洋服にも頓着しなくなりました。

靴や雑貨の類いもそうです。

そのような中、

息子から電話が入りました。

息子が幼い頃から新潟へと出向くまでの、

あるいは社会人となった娘の幼い頃の、

今の幼い娘たちが生まれて成長するまでの、

ビデオテープを観たそうな。

父ちゃんは良い父親になろうとしてたんやな。

ポツリと息子が言いました。

私のような単細胞には

よく判りません。

ただ仕事においても、

何事においても、

一生懸命であったと。

考えること

台風のお陰で外出もままならず、

自宅に隠っての休日を過ごせました。

この頃は、

新患の方が多く、

それも難しい症例ばかり。

若い歯科医師たちや、

製作にあたる歯科技工士さんから、

先生、いったいどうやって

ほどいて、

形に仕上げて行くんですか?

私の仕事です。

山は高ければ高いほど

挑みがいが在ります。

リスクの少ない、

よりシンプルにシンプルに、

そういう目線にて、

患者さんの資料を前に

考へ、

考へ、

糸口を見つけることが、

治療成功の決め手となります。

休日は有効に使うことができました。

保存治療の全ての治療方法にて

台風到来のなか、

海を渡って岡山県瀬戸市から

お出で下さいました。

早く帰れるように!

無理して今日お越しにならずに、

アポイントメント変更すれば良かったのに!

私は気合い充分で臨みます。

根管治療、

歯周外科、

歯肉移植、

保存治療の全ての手法を使いました。

で、

今日、

歯型採りの治療です。

ビシッ!と、

鮮明なる歯型が採れました。

ちなみに、

手前の歯はダイレクトボンディング修復です。

治療は患者さんとの共同作業

覚えていらっしゃいますか?

上の前歯のインプラントの醜さに、

涙を流された患者さんです。

インプラントが本来歯のあるべき位置に

正確に埋められていません。

これが観た目違和感満載の原因です。

インプラントは除去して、

痩せた歯肉へは

厚い結合組織を移植しました。

この症例には、

仮歯を2回使って頂いています。

今日の状態です。

仮歯ですから、

色調は勘弁してください。

最終歯はビシッと決めますから。

次回、

窪んだ部分に骨の移植を行います。

現在、

私、患者さんともに、

一生懸命、

頑張っています!

心に余裕を

今の住まいを壊して、

平屋に建て変えようと

本気で考えています。

向かいが広い公園です。

静かな環境では在りますが、

塀もないオープンな造りにしたものですから、

日曜日などは

公園で遊ぶ人の路駐に困っています。

住まいの敷地は狭くもなく、

広くもなくと云った程度です。

周りに木を植えて、

道沿いには塀を設けて、

外から家に入った犬たちが

足を洗えて、

土間で眠れる造りにしようと考えています。

そんなこんな考えて、

心に余裕をと。

日本刀

息子がスタッフの宮田君とお喋りしていました。

父ちゃんは昔は

そりゃ恐かった!

いつもビシッとスーツで決めて、

髪もビシッ!

みんな近寄るのも恐かったみたい。

ある方も仰っていたもの。

三枝先生は日本刀のような人だったと。

私ですか?

ニコニコしながら二人の会話を聞いていました。

息子が小学生の頃だそうです。

一緒に大阪市へと出掛け、

リッツ・カールトンのロビーに入ると、

ドアマンからフロントマンまで総出でお迎え。

で、

先生、今日は坊っちゃんとご一緒ですか?

その後、

小学生の息子を新地へと連れ出したのだそうな。

黒服の方から、

若!お疲れ様です!

アチコチで声をかけられるのに、

息子は仰天したそうな。

息子の飲み屋デビューは幼稚園児の頃。

8時開店が普通ですから、

7時40分頃に

店のドアを開けるのです。

ボーイさんと新人のお姉さんが、

ちょうど開店前の最後のチェックをしている頃合いです。

で、

コーナーに腰かけて、

私はジントニックを。

息子はオレンジジュースです。

そんなこんなしていたら、

何人かのお姉さんが出勤し始め、

私らの処へ来る訳です。

あらぁ!先生のお坊ちゃん!

可愛いわねぇ!

息子はお姉さんの開いた胸元を凝視します。

あらぁ!触っても良いのよ!

ウシシ!と云う嬉しさイッパイの満面の笑顔で、

お姉さんの胸を触る息子。

あらぁ、私のも良いのよ!

スケベな息子は、

次から次へと、

本来は真面目なクラブのお姉さんの胸を

触りまくって大喜び。

で、

8時を回った頃合いに、

店を後にするのが常でした。

今は丸くなったと、

みんなから言われます。

私自身も、

そう思います。

が、

筋目とこだわり処は

全くのズレはありません。

私なりの紳士道と云うのでしょうか?

私の中にある境界線を踏み込んだ無礼な輩には、

私は今では怒りこそしませんが、

スーと後退するのです。

人と人との付き合いは

本当に難しいものです。

失言と、

言ってはならない言葉とは

全く意味合いが違います。

また、

覚悟して口にした際には、

その覚悟以上の責任をとらねばなりません。

だから、

普段はニコニコしていた方が楽なのです。

そんな話しを二人にしていました。

刀は抜いたら終わりです。

鞘に入ってこそ日本刀。

ですから、

私の若い時分は、

随分と未熟者だったんだなと、

反省しています。

ただし、

刀も鞘に入りっぱなしだと、

錆び付いてしまいますから、

人知れず、

刀を研がねばなりません。

そして、

静かに鞘に納める。

人生もこれと同じです。

刀を抜かせないように、

刀を抜かずに済むように、

そういう事を意識する、

これが大切なのです。

 

幸せ者

昨夜は遅くまで飲み過ぎました。

急に息子が帰ってきたので、

嬉しかったからです。

玄関前で、

息子の姿が見えなくなるまで

見送ったあと、

テーブルに腰かけています。

安気に過ごしているように

傍目からは見えるかもしれません。

が、

私と近い距離の人は、

私の生き方をよく知っています。

我慢比べのような半生だったと。

元来、短気な質です。

しかし反面、

相当に粘り強い面も

私には相反する性格が在ります。

後者は歯科医学への取り組みから

自然に身についたものだと思っています。

ある方から問われたことが在ります。

あなたは歯科医師として生きるのですか?

それとも、

人間として生きるのですか?

と。

可笑しな事を問うものだと。

歯科医師に成りたくて、成りたくて、

この道に入った私です。

物事の全てを、

歯に結びつけて、

考へ、

悩み、

工夫して

過ごしてきた私です。

技術にテッペンはありません。

ひたすら精進。

これが技術者の宿命だと。

私の人生は1度しかありません。

私の人生は、

すなわち歯科医師として生きる。

これが自然な姿と考えます。

歯に取りつかれたと云うのが

正確な表現での私です。

人生に貴重な宝物を見つけ、

その宝物を一生懸命に研く!

私は幸せ者です。