月別アーカイブ: 2017年4月

恒例行事

2時間ほどでしたが、

ホッとしています。

今年も無事に第1学生への特別講義を

終えることが出来ました。

入学して間もない学生諸君です。

そういう意味では高校生と変わりありません。

つかみを得るまで空気を読んでいました。

が、

締めに、

大きな拍手とありがとうございましたとの

言葉を頂き、

ホッとしました。

また、

学部長自らの司会には誠に光栄でありました。

今日だけは、

ゆっくり休めそうです。

 

朝から始動

新潟市は快晴。

朝の7時から新潟駅構内の喫茶店にて、

お一方面談の予定、

次いで9時から大学にて学部長との面談、

てな訳で、

早々に身支度を済ませ、

いつものように散歩へと外へと出たのです。

やはり此処は北国。

外気は冷たい!

新潟での滞在の間、

毎日参拝する白龍大権現さまのお社へと。

街はまだ眠っているようです。

人情横丁の活気はまだのようです。

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お参りを済ませて、

これまた何時ものように信濃川堤を萬代橋へと。

綺麗な桜です。

今朝は橋を歩いて渡って駅へと向かおうと。

いつ観ても大きな橋だな。

日本海からの風を全身で浴びて心地好い。

途中、アチコチを振り向きながら橋を堪能しています。

本当に萬代橋は美しくと思います。

気がつけば、

もう目の前に新潟駅が。

よく歩いたものです。

第1学年生への特別講義は2時45分からです。

今日もハリキッテ頑張りましょう。

休息

新潟市の家を引き払って少々淋しい気持ちでいましたが、

ホテル滞在も、まぁ良いかと、

ドアマンの「先生、お帰りなさい」と云う一言で、

単純な私は、そう思い直したのです。

窓の外は桜満開。

明日の講義の最終チェックなど頭から消え去り、

つい外へと出掛けてしまったのです。

古町から三越前を過ぎて、

白山神社へ登る辺りの小路へと。

ガレットを商いする贔屓の店へと

足が向いていました。

パリの裏通りの店を意識して作ったであろうこの店は

私好みの美人が商いしていることもあり、

ついつい来てしまうのです。

無論、ガレットの味も良く、

ガレット.コンプラッテをハイボール片手に、

で、

美人の姉妹?との話しに花が咲くと云う塩梅。

歯の仕事から一時解放される新潟での束の間を

大いに堪能し、

ホテルに急ぎ舞い戻り、

後悔しながら明日の準備の仕上げをしつつ、

そんな新潟での第1日が始まりました。

久しぶりの新潟

上越新幹線の車窓から越後平野をぼんやりと眺めていました。

20代に観た風景と変わりありません。

肉体的に私は歳を経りましたが、

連峰の山々など自然界は昔のままであることに、

儚い人の一生について想いを巡らせていました。

肉体的成長は終わっていても、

人間的成長はいつまでも可能であり、

また、すべきことである。

その際の成長とは、

伸びてゆくよりも熟してゆくこと。

この言葉に出会って以来、

素直さと謙虚さが【成熟】の鍵であることに

気がつきました。

弥彦山が視界に入れば、

直ぐに新潟市です。

その頃から私はそわそわするのです。

棚上の鞄を手元に下ろし、

でも、ジッとできずに出口前まで早々と移動し、

窓に額を付けんばかりに新潟市の街並みに見いっています。

ドアが開いた瞬間、

新潟の匂いが鼻腔に拡がります。

足早にバス停へと向かい、

大きく深呼吸するのです。

萬代橋が観えたら、

あぁ帰ってきたのだと。

荷物を宿に置いて早々に、

柾谷小路へと出でて、

いつもの散歩道を歩くのです。

今年最初の新潟です。

神棚にお祀りしている白龍大権現さまの御札を

新しいものへと気もそぞろで歩き、

お社の前にて、

腰を下ろして座りこんだのです。

新潟の神さまには、随分と長い間お世話になったものだと。

後どのくらいまでご縁を頂けるのかな?

そんな事を考えていました。

 

 

 

学ぶ

若い方で私を応援して下さる方々のアドバイスをありがたく拝聴しています。

最近の活字離れは著しいのだそうです。

その影響にて出版業界は四苦八苦しているとのこと。

作家でも、

ベストセラーを連発してくれない作家は、

出版社にとってはお荷物的存在なのだとか。

ですから情報発信のトゥールは、

ブログからフェイスブック、

フェイスブックからツイッター、

ツイッターから今はビジュアル中心のインスタグラムなのだそうです。

視界に訴えることの重要性は十分に理解できます。

プロカメラマンの報道写真なり、

芸術色溢れる表現には、

胸を打ちますもの。

でも、

私は活字を大切にしていたいと思います。

映像的瞬間芸の才能のない私にとっては、

周りくどい活字しか、

表現の方略を持っていないのです。

時代遅れなのかもしれません。

学生諸君に課題を与えました。

興味深いのは、

解答の基となった索引がインターネットであることが

一目瞭然であることです。

ですから、

答えに誤りはありません。

しかし、

厚みのない、

思考を放棄した学生を、

どうして学ぶ者と呼べましょう。

1つの答えを導きだすために、

図書館に隠り、

多くの書籍を閲覧し、

無駄な作業の中から、

自分の答えを、

自分の言葉で書く。

そうすることで、

課題として与えられたもの以上の知識が、

身体のなかに沈殿してくれるのにと。

国家言語を疎かにして栄えた国がなかったように、

情報の共有のグローバル化は大切ですが、

活字と火を手にしたことで、

人が猿ではなくなったことを

再考すべきではないでしょうか?

歯科治療

地方の田舎街のしがない歯科開業医ですが、

いささか特殊な仕事をしているからでしょう、

派手に観えるのでしょうね。

遠くからは患者さんが大勢にお越し下さいます。

地元の高松市の方も随分と増えました。

でも、

芸者処流行らずと云う言葉が在るように、

自費治療だけの私なんぞは、

金儲けの権化のように言われ、

秘かに胸を傷める時もあります。

健康保険の治療は国の大切な宝です。

国民みんなから集めた大切な財源です。

将来に渡って維持できるように

医療機関、患者さんともに、

真剣に考える時が来ています。

なぜなら人口の減少と高齢者が増えるからです。

命に係わる時のために

この限られた財源を用いなければなりません。

歯科疾患は確実に予防ができます。

また初期にキチンと適格な処置を施せば、

歯を失うことは稀でしょう。

私の診療所にお越しになられる患者さんは、

歯を本当にお大切に考えて下さいます。

ですから私も、

真剣に対応させて頂きます。

セラミッククラウンを入れることが、

歯科治療のゴールではありません。

治療を施しても、

なんとなくスッキリしない時があります。

その様な歯に最終修復をする気持ちにはなりません。

仮の歯で何年も経過を観る機会も在ります。

私の仕事は人工の歯を入れる事ではありません。

生涯、美味しく、美しく、

歯を通じて、

この目的を達成するお手伝いすることです。

ですから、

他人任せの方には、

私は恐い歯医者かもしれません。

家庭生活、会社での仕事、

すべては共同作業です。

他人への責任転嫁は楽かもしれませんが、

今、

それぞれの方が、

自分にできることを頑張ってみる時が

来ているように思います。

 

花造り

ホテルのベッド脇の小さなスタンドデスクの引き出しのなかには

大抵、聖書が置かれています。

手持ちぶさたも手伝って、

仏教徒の私ですが、

つい頁を開くのです。

で、

関心を持ち、

時々にキリスト教を信仰する方の著作を

買い求めるのです。

キリスト教詩人である八木重吉氏の詩に

神のごとくゆるしたい、

ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため

花のようになったならば

神のまへにささげたい。

今の私に、其れができるでしょうか?

でも、

私はそういう人になりたいと思います。

多くの煩悩や想いを抱えています。

でも、

歯に向かい合っている刹那だけは

私は空気のようになっています。

46時中、

そういう心で在れれば良いのにと、

欲するのですが、

なかなかには、そうなれません。

決して大きな艶やかな花でなくても構いません。

神さまに捧げられる花を

育てることができるのならば、

小さな小さな可憐な花でも構いません。

そういう機会に恵まれますように、

花を育ててみることにします。

私の師

なかなか大人に成れキレません。

困った時、

悩んだ時、

怒りに震えた時、

つい、

師匠である内藤政裕先生の診療所へと

電話をかけてしまうのです。

ドチラかと言えば、

先生も激情型のお人柄です。

情熱の人です。

しかし、

感情を勝る紳士の嗜みをお持ちの人です。

先走ってはならないので、

私は先生に先ずは相談してしまうのです。

先生には絶対に長生きして頂かないと、

本当に私は困ります。

歯科全般、人生全般、

先生の灯火の後を付いて行っていますので。

迷いは恵み

診断の際、

本当に、本当に悩みます。

【迷い】が在るからです。

もっと良い方法が在るのでは?

そんな考えが脳裏を過るからです。

私たちの一生も【迷い】の連続です。

ある方が、こう仰られて居られました。

迷うことができるのも、1つの恵みだと。

ナチスの収容所に送られた人々には、

迷うことは許されなかったと。

そりゃそうだ!

善い人の言葉に救われます。

少しでも良いから、

私も努力して、

善い人で居ようと。

善い人で居よう

患者さんでも、

無理難題を言う方が時として居られます。

ただ、

この無理難題の定義が

他の医師とは違うかもしれません。

治療への要求度が非常に高い患者さんに対しては

むしろ喜んで診察させて頂いています。

嫌な気持ちなど一切ありません。

面倒だとも一切思いません。

私自身の上達へのキッカケになりますし、

患者さんの歯科に対する関心が高いことを

喜ぶべきだと思っています。

複雑な症状を細かく訴えて下さる患者さんも、

私にとっては診断の参考になりますから大歓迎です。

私の言う無理難題とは、

不可能を求めてこられる方です。

組織が治癒するのを待たないで、

先に治療を進めと無理強いする方。

根管に病気が在るにも関わらず、

クラウンだけ入れて欲しいと強要する方。

この歯は長持ちしませんと、

懇切丁寧な説明を繰り返しても、

死ぬまで絶対に保証せよと望む方。

私も長持ちして欲しいと頑張って治療しています。

が、

絶対に死ぬまで保証と言われたら、

それ以前に、

いつ爆発するかもしれない歯であるのに。

そういう時は、

ご自身にて、

その様な名医をお探しになられて、

どうぞ、どうぞ、

他所で治療して下さいって言いたい気持ちになります。

実際、言いますけど。

診察時間を絶対に守ってくれない方ですか?

そういう方はほとんど居られません。

お時間のお約束をお守りになられない方は、

診療を進める気がない方だと、

私は判断しています。

治療のアポイントはコチラからはお採りさせて頂いていません。

患者さんのお人柄を尊重しつつ、

丁寧な仕事をと考えています。

でも、

私も相手も人間です。

気持ちの糸を切って下さる機会にも遭遇します。

その様な時には、

正直、ホッとしています。

私はもう若くはありません。

紳士として毅然と居たいと思います。

楽しめない歯科治療はしたくはありません。

人の暖かい心の判る人で居たいと思います。

心の暖かい人で居たいと思います。

難しい理屈は判りませんが、

私はそういう気持ちで診療に勤しんでいます。