学ぶ


若い方で私を応援して下さる方々のアドバイスをありがたく拝聴しています。

最近の活字離れは著しいのだそうです。

その影響にて出版業界は四苦八苦しているとのこと。

作家でも、

ベストセラーを連発してくれない作家は、

出版社にとってはお荷物的存在なのだとか。

ですから情報発信のトゥールは、

ブログからフェイスブック、

フェイスブックからツイッター、

ツイッターから今はビジュアル中心のインスタグラムなのだそうです。

視界に訴えることの重要性は十分に理解できます。

プロカメラマンの報道写真なり、

芸術色溢れる表現には、

胸を打ちますもの。

でも、

私は活字を大切にしていたいと思います。

映像的瞬間芸の才能のない私にとっては、

周りくどい活字しか、

表現の方略を持っていないのです。

時代遅れなのかもしれません。

学生諸君に課題を与えました。

興味深いのは、

解答の基となった索引がインターネットであることが

一目瞭然であることです。

ですから、

答えに誤りはありません。

しかし、

厚みのない、

思考を放棄した学生を、

どうして学ぶ者と呼べましょう。

1つの答えを導きだすために、

図書館に隠り、

多くの書籍を閲覧し、

無駄な作業の中から、

自分の答えを、

自分の言葉で書く。

そうすることで、

課題として与えられたもの以上の知識が、

身体のなかに沈殿してくれるのにと。

国家言語を疎かにして栄えた国がなかったように、

情報の共有のグローバル化は大切ですが、

活字と火を手にしたことで、

人が猿ではなくなったことを

再考すべきではないでしょうか?