月別アーカイブ: 2017年8月

考えること

今は午後の4時半を過ぎた処です。

今日はやっと、

机の前でゆっくり出来ました。

患者さんの数は何時もと変わりませんのに。

患者さんとお話ししたりで。

昨夜は珍しく遅くまで読書を。

梅原 猛氏の古い書籍に引き込まれていました。

【考える】ことが好きです。

ただ、

その傾向が強いかもしれません。

歯学博士を英語表記すれば【ph.D】と表されます。

ドクター.オブ.フィロソフィと云うことでしょうか。

フィロソフィと云うからには、

【考える】ことが主体なる学問であると云う。

意外でしょう?

手先仕事の歯科治療を支える歯学がね?

【考える】人であり続けたいですね。

父息子

息子としばしば電話で会話するようになりました。

昨夜、

息子が語り出しました。

父ちゃんが以前、ポツンと口にした

【やむを得なかった】

と云う台詞。

小学時代に父ちゃんと一緒に

婦人科のオッチャンの見舞に行って、

オッチャンが言った台詞。

【やむを得なかった】

中学の時も、

高校の時も、

全然、判らなかった。

今ね、

なんとなくやけれど、

チョッとだけ判るような気がする。

私ですか?

そうか、

とだけ。

また、

このような事も言われました。

父ちゃんは全部、

自分の裏側まで息子に曝けだすけど、

それは凄いことだと。

私ですか?

これからお前も、

一波、二波、

では済まんわな。

次々と大波が来るで。

でな、

本に載ってるような立派な人が居る筈ないわな。

少なくともお前の親父は、

泣いたり、

心細かったり、

気が小さくクヨクヨしたり、

悩みに悩み抜いたり、

絶望に喘いだり、

まぁ、たいしたことないのや。

其れをシッカリと息子のお前に見せておく。

いつかお前の安心材料になる筈じゃ。

だから俺は隠さない。

私は息子とは、

相手が子供と云うことを無視して、

ズッと、

こういう姿勢で接してきました。

それが正しいのか、過ちであるのか、

私には判りません。

物事の基準は、

時代によって様変わりするものです。

昔の普通が、

今の異常って多いじゃないですか?

ただ、

自分を支えるつっかえ棒みたいなもの、

心を秘かに避難させる術ってものを

私は教えておこうと思ってるんです。

私も55になります。

辛い時でも、

自分の方が守ってヤらねばならない者の方が多いんです。

誰かの処へ、

避難する訳にはいきませんし、

逆に、

正面から向かい合わねばなりません。

だから、

男はつらいよって

映画のタイトルにもなり、

長い間ヒットし続けたんじゃないですか?

息子が言います。

友達の間で、

父ちゃんの話しで笑いに花が咲くんさ。

私ですか?

そうかい。

とだけ。

 

頃合い

今では判った顔して、

それなりに大人の男を演じているものの、

実際には、

幼い頃から何にも変わっちゃいません。

好奇心も相変わらず。

幼い頃、

神社仏閣参りが好きだった私は、

今でも、

夏の酷しい日射しと蝉時雨の中に立つと

思い出すのです。

静まりかえった寺の中。

都合の良いことに、

留守番婆さんは不在の様子。

そ~と、

本堂の奥の、

祈祷台の向こう側まで、

そぞろ歩き。

で、

ご本尊さまを安置したる大きな蓋に手をかけて、

そ~と、

開いて秘かにご本尊さまのお顔を

仰ぎ観るのです。

何でも次の御開帳は30年も先のことと云う。

それならば、

とっくに大人になってしまうじゃないかと。

手をあわせて日頃を感謝するのに、

仏さまが怒る筈はないだろう!という。

観るなと云われれば、

観たくなるのが、

私の性分だったのです。

時代劇の忍びの者に影響され、

家の天井裏に上がって、

足元誤って、

大きな穴を空けたことも在りましたっけ。

こんな様子ですから、

家でも、

学校でも、

しょっちゅう叱られていました。

医局時代でも、

よく叱られていましたね。

国道を走行中に、

前をトロトロ走る白いセダンに苛ついて、

シュパッっと、

追い抜きかけて疾走したら、

翌日、

突然に教授からの呼び出しを受けたのです。

気の毒そうな表情で私を観る秘書の顔つきを

今でも覚えています。

白いセダンの主が、

なんと私の指導教授その人だったのです。

師匠の車を追い抜くとはナニゴトか!

師の影を踏まず!

風呂に入ったら師匠の背中を流せ!

茹で蛸のように顔じゅう紅潮させて怒鳴りまくる

私の指導教授に、

直立不動の姿勢で両の手の先までピンと伸ばし、

神妙な趣でうつ向き

大いに聞く姿勢を見せるものの、

余りにも大人気ない口上に、

下唇を上の前歯で噛んで、

笑いを堪えるのが大変でした。

ですから、

私も幼なかったですが、

この指導教授は、もっと幼子であったように思います。

この指導教授の話しをすれば限りありませんよ。

私が学生時代だった頃には、

超ヘビースモーカーであったこの指導教授。

90分の講義の間に中座して、

教室前のロビーで喫煙タイム。

それがご自身が禁煙を始めてからは、

ありとあらゆる処は絶対禁煙とし、

煙草の煙を見れば、

手で払い退けるほどの変貌ぶり。

こういう処は、

至る処で発揮され、

スキーにハマれば、

日曜日の早朝、

私などはご自宅までお迎えの運転手。

おう!三枝!

歯科保存学を制するためにはスキーは必須!

と、

訳の判らぬ自説を延々と。

私の車であるのに、

助手席で脚をフロントグリルに乗っけて、

缶ビールをグイグイ飲む始末。

今度はゴルフ。

自分のショットのあとは、

後ろに並びし弟子たちに、

ナイスショット !

と言わせるスタイル。

次にハマったのがダンス。

学会の親睦会にて、

ブラックタイの出で立ちで、

スーパー?ダンスをご披露に。

本当に恥ずかしい思いをしたもんです。

今でも、

ご当人を除くみんなが集まった際などには、

蛸と云う渾名で、

酒の肴にされているとも知らず、

良い意味でも、

色んな意味あいでも。

まぁ憎めない大人でしたね。

今、

テレビなんかでコンプライアンスって聞くでしょ?

私らの時代って、

今では全部アウト!でしょう。

ですから、

私なんぞ、

いつもハラハラしながら過ごしています。

私らの普通がハラスメントになりゃせんか?と。

でも反面、

厳しさも絶対に認められていた時代ですから、

医師教育と云う意味では、

当時に教育を受けた人間の方が

絶対に手が動くと思います。

なんでも程度、頃合いってなものが大切ですね。

 

 

 

患者さんとの雑談

30代の女性患者さんとの雑談から、

とても大切な治療上のヒントを見つけて、

反面、

慌てたのです。

インプラントを埋入して10日ほど経過しての

チェックのために来院されていた患者さんです。

で、

この間、内科でお薬を出して頂いたのですと。

血圧が低いせいでしょうか?

寝起きが悪いんです、

それなら、

この薬を出しましょうって言われて飲んでるんですが、

なんか、足先の浮腫も取れたようで、

調子良いんです。

はぁ?

どれどれ?

何て薬?

眼鏡フレームを思わず手に、

えっ!

この薬の効果は血圧を上昇させるものでした。

そのメカニズムは、

薬が働いて、

先ずは身体の末端に行き渡った末梢血管を縮じめます。

血管が縮じむと血の流れが悪くなります。

で、

これはイカンと慌てた心臓がポンプの力を強化して、

結果、

血圧が上昇すると云う顛末に。

薬を飲めば即効性がありますから、

この方の云う

朝の寝起きの辛さは改善します。

私はこの女性患者さんに向き合って、

思わず、

大真面目に語ったのです。

確かに、

朝の寝起き辛さは良~く判ります。

でもね、

こういうメカニズムで無理やりに血圧を上げるんですよ。

無理やりが本当に何時まで続きますか?

ず~と、頑張れるものでしょうか?

また、

この薬には甲状腺への影響があります。

○○さんは確か甲状腺がお弱いと

私は認識しています。

今はコントロールされてますが、

そういう体質であると云う意識で

私は治療させて頂いています。

以前に私が治療したインプラントは経過良好ですが、

この前に手術させて頂いたインプラント今が1番大切な時期です。

いつも手術前には、

皆さんにお話しさせて頂いているように、

思い出してください。

術後4日目から、

骨芽細胞が出現して、

その後の3週間ていど活発に細胞活性が高まるのです。

この時期にバランスのとれた栄養の摂取が大切になりますし、

喫煙などを止めて、控えてと云うアドバイスがあるのは、

血行が悪くなることを恐れてのことなのです。

血の働きによって骨が出来ますから、

インプラントについては、

この時期は大切なのですよ。

後日、お医者にはご相談して頂くとして、

とりあえずは、

ある時期までは、

このお薬の服用は控えてください。

しかし、

お薬にお頼りになられる前に、

水分の摂取が少ないでしょう?

もっと沢山、意識して水分を摂ってください。

で、

民間療法のようで馬鹿にせんで下さい。

膝から足先の方へ向かって、

ご自身の手で、

シッカリとマッサージするようにして、

末梢まで血液を送って下さい。

健康は、

先ずはご自身で日頃の生活習慣を整へ、

ご自身でできるチョッとした手当てを続きることから

意外と簡単に維持できるものだと。

病気になってから後悔するよりも、

今、元気で体力あるうちに、

意識して過ごしてみませんか?

 

 

小学時代の思い出

私は昭和38年の生まれです。

ですから、

昭和中期の高度成長期に幼少期を過ごしました。

今でも小学1年生の担任であった中年女性の先生を思い出すのです。

評判の恐い酷しい先生でした。

入学式の際の担任発表のあと、

担任の名前を知った近所のオバチャンたちから、

尚登君は大変なことになった!と、

それはそれは憐れむような眼差しで口々にされたのです。

で、

想像を絶する私の小学校生活が始まったのです。

クラスの誰かが忘れモノ。

さすれば、

コリャ~!

お前ら!

全体責任じゃい!

クラスの全員を教室の後ろにズラリと並ばせ、

隣あった者同士の頭を鷲掴みし、

次々と、

頭つきしてゆくのです。

教室にはゴツン!ゴツンと云う鈍い音が鳴り響くのです。

小柄であった私などは、

要領を得て、

背の高い奴の横にサッと並ぶのでした。

頭つきではなく、

横の肩にぶつかる訳で、

私らは互いに痛みから逃げおおせたからです。

が、

敵もさること、

今度は私の顔を睨み付け、

横の生徒を動かし、

同じ背丈の生徒を連れてきて、

ゴツン!

トシ子ちゃんと云う大人しい女の子の

名前を今でも覚えています。

給食の好き嫌いの激しい女の子でした。

これも許してはくれません。

食べ終わるまで、

トシ子ちゃんだけ机の上には給食が。

凄まじいのは、

金曜日の給食が、

翌週の月曜日までトシ子ちゃんの机の上にありました。

考えれば、

トシ子ちゃんも頑固者。

ズット自分だけ、

机の上の給食とニラメッコですもの。

月曜日の朝の教室は、

腐った給食の異臭が漂っていました。

夜が来て、

ベッドに仰向けとなり仰ぎし天井を観ながら、

明日は何が起こるのか!

恐くて恐くて仕方がありませんでした。

幸か不幸か、

この先生、

1年の途中で、

体調を崩され学校から去ったのです。

確かに超ド級の凄まじさでしたが、

この先生だけが、

特殊だった訳ではありません。

4年の担任だった、

やはり女性先生も凄かったですよ。

おィ!三枝!

チョッと来い!

手招きするので、

席から前に鎮座する女先生の処へ行く私。

クワッ!

大きな翼を広げた鳥獣が、

喉に詰まった餌を吐くような音をたてて、

老女先生が痰をちり紙に吐き出すのです。

恐るべき柔らかそうな白い紙の塊を、

ホイ!手を出してみィ!

恐る恐る出でたる私の掌の上に

ポン!

で、

棄てて来い!

小学6年の時の、

これまた中年女性である担任には、

当時流行っていたダウンタウンブギウギバンド。

宇崎竜童さんと云えば懐かしい。

下げた位置でのエレキギターのネックを片手に握りしめ、

あんた!あの娘の何なのさ?

掃除の時間に友人たちと、

掃木をエレキギター代わりに、

あんた!あの娘の何なのさ?

これを

不幸なことに見つかって、

頭を鷲掴みされ、

黒板の方へ投球の所作!

哀れなる私らは、

黒板の板が枠から外れてしまう道具と化したのです。

どうですか?

今の人からすれば信じられないでしょう?

こういう先生って、

私らの時代は普通に居ました。

先生って恐い人って思っていましたもの。

今なら事件になっていると思います。

私らは、

こんな環境で育ったのですよ。

 

 

宿命

最も新しい治療の導入、

そして、

従来から在る確かな治療方法を

と云う

チョッと単純に聞けば矛盾する

2刀流の実践が必要なことに、

医療と云う分野の特殊性が在ると思うのです。

手堅い治療を心がけながらも、

でも時には、

リスクを背負ってチャレンジする気概も

私らの仕事には絶対に必要なのです。

その分別の根拠を

自分の中でシッカリと確立することが

医療人の責務であります。

てな判ったことを言っていますが、

その確かな根拠見つけの旅の最中でも在るのも事実です。

ですから、

毎日、毎日の診察に際して、

正直申し上げて、

心配で心配でなりません。

患者さんそれぞれに対して、

その時の自分のベストを出しきる努力と、

粘りと云う表現が最も適切かもしれませんが、

治療結果の合格点を、

少しずつ上昇させてゆきたいと、

好んで自分を傷める仕事かもしれません。

でも、

歯の一挙一動に興味をひかれ、

ついつい夢中になるのです。

変な話しですが、

レントゲンを診れば、

歯の寿命が判ってき、

その寿命を、

もっともっと延命させたいと

現状に戦いを挑むのが、

私の日常となりました。

それが知識を越えた知恵の取得であり、

また、

技術者の宿命だと思うのです。