息子としばしば電話で会話するようになりました。
昨夜、
息子が語り出しました。
父ちゃんが以前、ポツンと口にした
【やむを得なかった】
と云う台詞。
小学時代に父ちゃんと一緒に
婦人科のオッチャンの見舞に行って、
オッチャンが言った台詞。
【やむを得なかった】
中学の時も、
高校の時も、
全然、判らなかった。
今ね、
なんとなくやけれど、
チョッとだけ判るような気がする。
私ですか?
そうか、
とだけ。
また、
このような事も言われました。
父ちゃんは全部、
自分の裏側まで息子に曝けだすけど、
それは凄いことだと。
私ですか?
これからお前も、
一波、二波、
では済まんわな。
次々と大波が来るで。
でな、
本に載ってるような立派な人が居る筈ないわな。
少なくともお前の親父は、
泣いたり、
心細かったり、
気が小さくクヨクヨしたり、
悩みに悩み抜いたり、
絶望に喘いだり、
まぁ、たいしたことないのや。
其れをシッカリと息子のお前に見せておく。
いつかお前の安心材料になる筈じゃ。
だから俺は隠さない。
私は息子とは、
相手が子供と云うことを無視して、
ズッと、
こういう姿勢で接してきました。
それが正しいのか、過ちであるのか、
私には判りません。
物事の基準は、
時代によって様変わりするものです。
昔の普通が、
今の異常って多いじゃないですか?
ただ、
自分を支えるつっかえ棒みたいなもの、
心を秘かに避難させる術ってものを
私は教えておこうと思ってるんです。
私も55になります。
辛い時でも、
自分の方が守ってヤらねばならない者の方が多いんです。
誰かの処へ、
避難する訳にはいきませんし、
逆に、
正面から向かい合わねばなりません。
だから、
男はつらいよって
映画のタイトルにもなり、
長い間ヒットし続けたんじゃないですか?
息子が言います。
友達の間で、
父ちゃんの話しで笑いに花が咲くんさ。
私ですか?
そうかい。
とだけ。