月別アーカイブ: 2013年10月

来年の抱負

 此のところ、
朝の目覚めがスッキリしない。

 犬達から
早く散歩だ、飯をくれと
囃し立てられるが
隣で眠る末の娘も
夢の最中である。

 ようやく床から這い出し
上衣を羽織って
ボサボサ頭で
リードを手にすると
もう
足元で犬達が
もつれあっている。

 家戸を開けると
グッと寒気が
頬を刺す。

 犬達が尻尾をフリフリ
歩いて行くのを
追いかけて付いて行く。

 台風が去ると
讃岐にも
冬の到来が。

 一年の過ぎ去る事の速いこと。

 今年は、
ご先祖の仏壇を
お祀りする事になった事くらいしか
確たる仕事はしていない様な気がする。

 そろそろ、
来年の抱負を
考えねばならぬ。

新潟.古町

IMG_20120624_093957 若い時分には
神楽坂や京町を
夕暮れと共に
出歩いたものである。

 人間の生きている匂いが
心地良い。

 近代化の波に呑まれて
全国各地の
色町が消えてしまって久しいが
新潟の古町の小路には
未だ昭和の匂いが
残っているのは
私の様な者には
誠に嬉しいものである。

 打ち水された小路を
歩くとき
下駄の音が在れば
尚更、善い。

 来月の初めに
日本歯科大学の大先輩である
群馬県の浅見裕先生と
新潟で落ち合う事と相成った。
 
 先生は風流な人である。
先生は寡黙な歯をこよなく
愛した人である。

 芸子の三味線の奏をつまみに
歯の話で夜を明かすのも
一興である。

 昔、
東都の富士見町に在る
日本歯科大学が
何故にもう一つの
教育の場を
北の外れの
越後の国に
創ったのかしらんと
不思議に思った事が在った。

 歯科界の巨星と云われ
文化人としても
名高かった中原実先生の
懐の深さ故の
決断の源に、
越後の文化と
越後人の直向きさが
医人教育には
最良の環境であったと
今、此の歳に為って
理解出来る様になった。

 夏の柳に、冬の雪。

 古町の小路には
懐かしい暖かい空気が在る。

新しい家族

IMG00176 新潟の自宅のドアを開けると
愚息の飼っている
七歳のキャバリアのアール君が
尻尾をフリフリ
飛びついて来るのだが、
今回は静かで在ったので
怪訝な気持ちで
奥まで
名前を呼び呼び
入っていった。

 ドアの開いたゲージの中で
上目遣いで
見詰めるアール君がいた。

 末の娘が

ー パパ、ブタがいるよ! ー

 肥り過ぎて変わり果てた姿のアール君であった。

 愚息が帰宅した後に
私の怒りが炸裂した事は
云うまでもない。

 アール君は
現在、減量の最中である。

 マリリンと共に
朝夕、走らせ、
果物と野菜中心の
ダイエット食と
ドッグフード少々。

 其れでも、
頭を、身体を
頻繁に撫でてやっているから
満足している様子である。

 が、犬の世話で
私も中年太りには
縁が無さそうである。

新潟散策

IMG_20120624_092448 新潟から
車で帰ってきて
未だに身体が
揺れ心地である。

 歳をとったと云う事だろう。

 倅と古町へ出向き
夕食を摂っていた。

 ー そう言えば、お前処の
    明訓は高校野球はどうなった?
     選抜もアカンかったんか? ー

 倅の舌打ちを感じて
張り倒した私である。

 新潟の高校野球と云えば
やはり明訓である。

 甲子園のマウンドに
濃紺のMEIKUNの文字の
ユニフォームを
楽しみにしている人間が
大勢いるのであるから
残念至極である。

 明訓は新潟のシンボルとも云えよう。

 新潟のメインストリートである
古町には
ドカベンのブロンズ像が
勢揃いしている。

 私は此の像に接し
嗚呼、新潟へ帰って来たと
感じるのである。

時代の違い

 私の講義は脱線が多い。

 が、教務部長の藤井教授より

ー 年々、ブラッシュ.アップされてますね! ー

と、お世辞でも
お褒めの言葉を頂いたから
先ず先ずであったのだろうと
安堵した私である。

 が、驚いたのは
新潟で大学時代を過ごす
新一年生諸君達に
新潟の生んだ大偉人である
私の贔屓にしている
連合艦隊司令長官.山本五十六元帥の話をしても
皆がポカンとIMG_20120211_095330
していた事である。

 此れは誠に嘆かわしい現象である。

 如何に先の対戦で
敗戦の憂き目をみたからとは云へ、
祖国の歴史から
目を背けてはならぬ。
 こう言う状況であるから、
二宮金次郎等と云えば
さも在りなんである。

 数年前に
東北地方の中学校へ
訪問した際に
校庭にある
二宮金次郎の銅像に
思わず、
気をつけを
してしまった。

 幼い頃に
此の銅像の謂れを
耳にタコが
数珠になる程に
聞かされて、
其れに較べて
お前はどうだと
辟易したものである。

 時代が如何に代わっても
変えてはならない
尊い心を
若い人たちに
伝えていかねばならぬ。

母校の絆

IMG00173 黄金に輝く広大な稲田の
越後平野の中を
ひたすら北へと
車を走らせた。

 新潟へと辿り着けば
先ずは何よりも
白竜大権化の鳥居をくぐり
道中の無事と
愚息の日頃の守護に
心から礼を述べた。

 その日は
自宅でゆっくりと
旅の疲れをとった。

 隣で末の娘とマリリンが
既に夢の最中であった。

 翌朝、萬代橋畔を
娘とマリリンで散歩した。

 ナッツで
熱い紅茶を啜りながら
午後からの講義の
最終準備をしていたら
娘から
はやくせねばお兄ちゃん達に
怒られるよと
囃し立てられ
店を後にした。

 マリリンを散髪へと、
娘を保育園へ送って
タクシーから
日本海を
眺めていた。

 今日は珍しく
遠くの佐渡が
鮮明に見える。

 大学前で
車から降りて
附属病院の建物を
見上げた。

 日本歯科大学の新潟校の
一年生に対する特別講義を受け持って
今年で五年目となる。

 プロとしての
自覚を促すための
カリキュラムで
プロフェッションと云う
科目であるそうな。

 私の時分には
その様な科目は無かったが、
確かに
医人教育には
必要かもしれぬ。

 教壇からの学徒は
誠に清々しく
将来の歯科を背負って貰いたい。

 日本歯科大学の者にしか判らぬ
厚い絆で
我々は結ばれている。

 講義を終り
中庭へ出れば
開学の師である
中原市五郎先生の像が見えた。

 無意識に姿勢を正す
自分が居た。

 青い空が頬に暖かかった。

明日から新潟へと

IMG00078

明日は診療が終わったら
車で新潟へと向かう。

行程は何時もの通りである。
淡路から吹田を経て
北陸道をひたすら走る。

昨年迄は
夜通し走っていた。
で、朝から
大学へと云う
体力が在った。

流石に
今は無理である。

疲れたら休み、
駄目だと感じたなら
サービスエリアで
仮眠を充分にとって
ゆっくり
楽しみながら
越後へと
向かおう。

後ろの席には
末の娘とマリリンである。

ちょっとだけの背伸び

 普段の生活は
つつましくとIMG00105
心がけているが、
時折、
倅なり娘を引き連れて
大人の行く店へと
誘う私である。

 無論、周囲の雰囲気を
台無しにする時間帯は
避けての行いである。

 又、予め
店の人間には
電話でもって
チビを連れて行くから
宜しく頼むよとの
一言は忘れない。

 ティールームでも
レストランでも
時には値の張る店へ
小さい時から
連れて行くのは
教育上
大切な事である。

 子供の感性は
大人の其れより
遥かに優れている。

 此方が
彼是、講釈しないでも
子供の方で
グラスの重さや輝き、
ナイフ、フォークの重みで
此処がどの様な店なのかは
察知しているものである。

 マナーさへ、
その都度、
教えて遣ればよいのである。

 こういう事は
ずっと後の
子供が大人になった時に
役立つのだと
私は思っている。

 男であれば
盛り場を徘徊し
女性を口説く様な
野暮な阿呆には
先ず、なることは在るまい。

 お高くとまった勘違いは
愚かであるが、
他人に動じない度胸なり、
空気を感じる感性を養う
手助けは
親の役目である。

 何れにても
少し雰囲気の違う店での
幼児の好奇心の有り様は
微笑ましいものである。

身体は大人で心は子供

IMG00144 整理整頓、綺麗好きには
定評ある私である。

 私が飼い始めた
ゴールデン.レトリバーの
マリリンは
毎日、私と
診療所へ出勤する。

 犬嫌いの人には
犬の毛がと
気になるかもしれない。

 其処が私の真骨頂の
発揮処である。

 マリリンは、
朝に夕に
二度の入浴を
日課とする
矢張、
飼い主に似た
綺麗好きである。

 が、其れでも
犬の毛がと
気になる動物嫌いの人は
来んで宜しいと
私は思っている。

 私の診療所であるから
私の思う様にさせて頂く。

 大学生の娘から
昔、云われた台詞が
頭をかすめていった。

ー パパは身体は大人で心は子供 ー

元帥の産まれた家

 来週、新潟へ出向いた際に
久方ぶりに
長岡へと
車を走らせ様と
思っている。

 連合艦隊司令長官、山本五十六元帥の
産まれ育った家を
訪れる為である。

 人は産まれ死する際には
身体一つきりである。

 私は元帥の産まれた家を
訪れる度に
心を原点に
回帰する。

 天候に恵まれれば良いが。
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