若い時分には
神楽坂や京町を
夕暮れと共に
出歩いたものである。
人間の生きている匂いが
心地良い。
近代化の波に呑まれて
全国各地の
色町が消えてしまって久しいが
新潟の古町の小路には
未だ昭和の匂いが
残っているのは
私の様な者には
誠に嬉しいものである。
打ち水された小路を
歩くとき
下駄の音が在れば
尚更、善い。
来月の初めに
日本歯科大学の大先輩である
群馬県の浅見裕先生と
新潟で落ち合う事と相成った。
先生は風流な人である。
先生は寡黙な歯をこよなく
愛した人である。
芸子の三味線の奏をつまみに
歯の話で夜を明かすのも
一興である。
昔、
東都の富士見町に在る
日本歯科大学が
何故にもう一つの
教育の場を
北の外れの
越後の国に
創ったのかしらんと
不思議に思った事が在った。
歯科界の巨星と云われ
文化人としても
名高かった中原実先生の
懐の深さ故の
決断の源に、
越後の文化と
越後人の直向きさが
医人教育には
最良の環境であったと
今、此の歳に為って
理解出来る様になった。
夏の柳に、冬の雪。
古町の小路には
懐かしい暖かい空気が在る。