親に逆らい家業を継がず
歯科の道に入った私である。
が、今になって想うのは
恵まれた境遇で
育ったと云う事である。
観る目は自然と
養われるものである。
其れには年季が必要だ。
付け焼き刃の講釈などは
たかが知れたものである。
難しい人と言われるやも知れぬ。
私は器、食器の類いには
ウルサイくちである。
料理を活かすも殺すも
器次第であるからだ。
料理屋へ出向いた際に
季節感、食材と
似つかわしくない器が
供される機会が多い
昨今である。
プロの程度も堕ちたものだと
嘆かわしい。
主婦も立派な職業である。
女性としてのたしなみは
些細な事柄から
伺いしれる。
洋菓子であれ
食材を際立たせる
器とフォークの準備も出来ぬでは
性転換手術でも受けるか
表から消え失せ
納戸の奥で昼寝でも
するが善かろうと
思うものである。
かように子育てと云うものは
決して手抜き出来ない
大切な親の仕事である。