日別アーカイブ: 2013年10月24日

私の宝

 先のブログに於いて
患者さんとの別れの場での
話を書いた。

 と云うのは
先日、
末の娘と
スーパーへ買い物に
出掛けておった際に
と或、お電話を頂いた。

 医師である初老の男性からの電話であった。

 此の方の奥さまと
お子さんが私の患者さんである。

 此の医師である男性は
癌で闘病の最中である事は
奥方から聞かされていた。

 ー 先生、家内と倅が常日頃ありがとうございます。
     此れからも見守って下さい! ー

 励まして、
即座に奥方に電話を代わって貰った。

 ー 〇〇さん!よして下さい!
     俺も歳だ。
        涙腺が緩んでるんだから! ー

 最後まで諦めない様に
一生懸命、話をして
男性医師には
医大に通われている御子息が
医者になるのを観ないで
どうするんだ!
と伝えた。

 私は歯医者になった時に
本当に嬉しかった。

 腕を磨くは勿論の事ながら
患者さんと共に
生きていく歯科医師に成ろうと
思った日の事が
忘れられない。

 噛めない、
困った、困ったを
噛める様にするのは
専門職として
当たり前のことである。

 私は患者さんとの縁を
何よりも大切にしたいと思っている。

私の宝は患者さんである。

歯医者冥利

 2年位前の話であるが、
愛媛県から来られた病院経営者の
治療をしていた最中の事である

 受付から緊急の電話と云う事で
患者さんに
おことわりを入れて
受話器を手にした私である。

 電話の主は
県立中央病院の
ナースセンターからであった。

ー ??? ー

ー モシモシ、三枝先生でいらっしゃいますか?
    〇〇様が、只今、御危篤となりました。
     ついては、〇〇様より
      先生が緊急連絡先になっておりましたもので。 ー

ー !!!!! ー

 確かに〇〇さんは、
長年の私の患者さんである。

 癌の闘病の最中であり
一週程前に
私が新潟駅のホームに居る際に
お電話を頂いていた。

 頑張れ!頑張れ!と
励ましたものの、
気掛かりで
ついこの間
見舞いに行ったばかりであったのだが。

 私は患者さんとの
付き合いは
長い方である。

 歯を通しての
ホームドクターであるから
至極当然の結果である。

 大勢の患者さんを
見送り
葬儀に参列し
涙した私である。

 祭壇に掲げられた肖像写真に
御家族から
歯を治してから撮った写真ですと
伝えられ
又、大泣きしてきた私である。

 しかしながら、
危篤の場に
立ち会う様に
求められた機会は
私を動揺させた。

 治療の最中の患者さんから
話の過程を考慮され、

ー 先生らしいや!行ってあげて! ー

と、背中を押されて
病院迄、
すっ飛んで行った。

 〇〇さんには
三人の子供さんがいた。

 立派に成長され
勤務されている。

 其々の勤め先に電話を入れたが
個人情報だなんだかんだと云って
埒があかない。

 バカ野郎!
お前はクダラン法律の為に
親子の別れをささない積もりかと
私の怒りの凄まじさに
圧倒され
とにもかくにも
子供達は
母親の元へと
突っ走る。

 もうこれ迄だと
息も絶え絶えの〇〇さんの
身体を揺さぶり、
大声を掛けて
頑張れ!頑張れ!と
叫び続ける私。

 次々と
バン!と
ドアが開き
親子の対面が続く。

 最後は80歳になる
〇〇さんのお母さんだけである。

 私は〇〇さんを
お子さん達に任せ
病院前のタクシー降り場へと。

 私は〇〇さんの
お母さんの顔など知らぬ。

 タクシーから降りて来られる
歳相応のご婦人に対して
お声掛けし、
見付けた!

 病室迄の遠い事。
えーい!焦れったい!
私は此のお母さんを背負い
ひたすら突っ走ったのである。

 廊下で待つ私の耳に
啜り泣く声が聴こえた時に
私は座り込んでしまった。

 〇〇さんが
初めて私の診療所へ来られた時からの事が
走馬灯の様に
思い出される。

 患者さんから
お手紙を頂く機会も多いが
この様な成り行きに
身体中の力が
抜けてしまった。

 出棺の日、
珍しく高松市は
白い雪で
覆い尽くされた。

 頭を下げるお子さん達に
ー 焼き場へは行かないよ。
   生きている時のお袋さんの
    イメージを持っていたいんでね ー
 と、伝えて
嗚呼、此れが開業医なんだと
〇〇さんのご冥福を祈った。

食育

 テレビのニュースや新聞で
何処かのホテルのレストランが
メニューの食材の産地の
偽装をしていたとの
報で賑わしていた。

 なにを今更と
鼻で笑ってしまった。

 記者会見の場で
大の大人が
並んで頭を下げていた。

 客を呼びたい、
でも、
コストは下げたい
と云う気持ちは
判らぬ事はない。

 但し、
自身に一流の自覚が在るならば
コストを下げたいならば
其れは其れで
悪い事ではないから
客に呈示して
集客すれば良いのである。

 結局は
其のホテルは
一流では無いと云う事である。

 現に、彼の地において
其のホテルを
一流であると
思っている人は居ない。

 但し、
客にも判っていた筈である。

 今時、ロシアでも
稀少になったキャビアが
あんなに大量に安く
食えるものか。

 九条葱にしても然り。
色合いと食感で
判るであろう。

 客にとって
大切であったのは
食材の産地ではなく
調理方法であったのであろう。

 何処の産地であろうと、
客が旨いと感じたなら
其れは其れで
良かったのにと云う感がする。

 何れにしても
背伸びしたホテルの慢心と
客のニーズを
読み間違えた
矢張、
ホテルのマーケティングの
未熟さの結果であろう。

 一番最悪なのは
九条葱の偽物を
判らず食っていた
客の舌である。

 常日頃、
ファーストフードやコンビニの
調理済み食材に
慣れ親しんでいたり、
親や女房が
手を抜いた食事に慣らされて
たまの外食が
グルメ本頼りであれば
舌と眼は
鍛えられ様筈はなし。

 食育と云う言葉を
暫し、耳にする様になったが、
なにも
食育は児童の福祉の為に
在るわけではない。

 食は文化である。

食によって、
人は
感性と人格、教養
全てに於いて
育てられる。

 因って、
食育とは
生涯に亘って
人であるかぎり
疎かに出来ない
要である。