歯医者冥利


 2年位前の話であるが、
愛媛県から来られた病院経営者の
治療をしていた最中の事である

 受付から緊急の電話と云う事で
患者さんに
おことわりを入れて
受話器を手にした私である。

 電話の主は
県立中央病院の
ナースセンターからであった。

ー ??? ー

ー モシモシ、三枝先生でいらっしゃいますか?
    〇〇様が、只今、御危篤となりました。
     ついては、〇〇様より
      先生が緊急連絡先になっておりましたもので。 ー

ー !!!!! ー

 確かに〇〇さんは、
長年の私の患者さんである。

 癌の闘病の最中であり
一週程前に
私が新潟駅のホームに居る際に
お電話を頂いていた。

 頑張れ!頑張れ!と
励ましたものの、
気掛かりで
ついこの間
見舞いに行ったばかりであったのだが。

 私は患者さんとの
付き合いは
長い方である。

 歯を通しての
ホームドクターであるから
至極当然の結果である。

 大勢の患者さんを
見送り
葬儀に参列し
涙した私である。

 祭壇に掲げられた肖像写真に
御家族から
歯を治してから撮った写真ですと
伝えられ
又、大泣きしてきた私である。

 しかしながら、
危篤の場に
立ち会う様に
求められた機会は
私を動揺させた。

 治療の最中の患者さんから
話の過程を考慮され、

ー 先生らしいや!行ってあげて! ー

と、背中を押されて
病院迄、
すっ飛んで行った。

 〇〇さんには
三人の子供さんがいた。

 立派に成長され
勤務されている。

 其々の勤め先に電話を入れたが
個人情報だなんだかんだと云って
埒があかない。

 バカ野郎!
お前はクダラン法律の為に
親子の別れをささない積もりかと
私の怒りの凄まじさに
圧倒され
とにもかくにも
子供達は
母親の元へと
突っ走る。

 もうこれ迄だと
息も絶え絶えの〇〇さんの
身体を揺さぶり、
大声を掛けて
頑張れ!頑張れ!と
叫び続ける私。

 次々と
バン!と
ドアが開き
親子の対面が続く。

 最後は80歳になる
〇〇さんのお母さんだけである。

 私は〇〇さんを
お子さん達に任せ
病院前のタクシー降り場へと。

 私は〇〇さんの
お母さんの顔など知らぬ。

 タクシーから降りて来られる
歳相応のご婦人に対して
お声掛けし、
見付けた!

 病室迄の遠い事。
えーい!焦れったい!
私は此のお母さんを背負い
ひたすら突っ走ったのである。

 廊下で待つ私の耳に
啜り泣く声が聴こえた時に
私は座り込んでしまった。

 〇〇さんが
初めて私の診療所へ来られた時からの事が
走馬灯の様に
思い出される。

 患者さんから
お手紙を頂く機会も多いが
この様な成り行きに
身体中の力が
抜けてしまった。

 出棺の日、
珍しく高松市は
白い雪で
覆い尽くされた。

 頭を下げるお子さん達に
ー 焼き場へは行かないよ。
   生きている時のお袋さんの
    イメージを持っていたいんでね ー
 と、伝えて
嗚呼、此れが開業医なんだと
〇〇さんのご冥福を祈った。