私が大学3年生の師走だったと記憶しています。
衆議院選挙の投票を前にした新潟県長岡市に私はいました。
みぞれ混じりの雪が大陸から吹き付けられる此の越後の大地に、
機関銃の銃声のような迫力ある怒号が響き渡るのを
私は襟巻きに首をすくめて聞いていました。
ロッキード裁判で一審有罪判決を受けたばかりの
元首相の血の叫び声でした。
世論では、この判決を当たり前と云う空気一色だったと記憶しています。
吹雪のなか、同じように私の横に立ち
自分たちの代弁者である同郷の人の戦う姿に
【いねしょ ( ここに住んでいない人 ) には分からね】
と、ささやいた老人の声が今でも鼓膜に焼き付いています。
あれから既に30年近くが過ぎ去りました。
闇将軍が天才と云う評価に変わってき、
今の時代には、
この様な人の再登板が必要だなどと云う声も聞かれることに、
何を勝手な事をと思うのです。
この越後の生んだ人が、
初の選挙に挑んだ時のスローガンは
【若き血の叫び】でした。
一見寡黙な越後の人たちですが、
心の内には外気を蒸散させるほどのエネルギーを秘めているのに、
私はこの地に過ごす内に気がつきました。
私が其れなりに【歯科医学】と云う地味な学問に埋没できるのも、
この地で過ごしたお陰だと、
この歳になって思うのです。
私の歯科治療においては
【筋目を通す】ことを最も大切にしています。
法律と云う単語を再考してみて下さい。
法と云う字は、人の定めた決まりです。
律と云う字は、天に見離されないような恥なき行為です。
法は時代と共に変化する勝手な解釈、決まり事です。
と言っても、
私は法は絶対に遵守する考えを持っています。
何故なら、他人に迷惑をかけたくないからです。
私も随分と多くの過ちを犯したと思います。
人を本意とは裏腹に、泣かせた時もあります。
後悔の多い人生でした。
が、
意図して【律】の存在を意識して過ごしてきたのも
反面、事実です。
歯科と云う小さな小さな世界を軸に生活していても、
どうしてしまったんだ日本人!と、
感じる今日この頃です。