月別アーカイブ: 2016年5月

昨今

私が大学3年生の師走だったと記憶しています。

衆議院選挙の投票を前にした新潟県長岡市に私はいました。

みぞれ混じりの雪が大陸から吹き付けられる此の越後の大地に、

機関銃の銃声のような迫力ある怒号が響き渡るのを

私は襟巻きに首をすくめて聞いていました。

ロッキード裁判で一審有罪判決を受けたばかりの

元首相の血の叫び声でした。

世論では、この判決を当たり前と云う空気一色だったと記憶しています。

吹雪のなか、同じように私の横に立ち

自分たちの代弁者である同郷の人の戦う姿に

【いねしょ ( ここに住んでいない人 ) には分からね】

と、ささやいた老人の声が今でも鼓膜に焼き付いています。

あれから既に30年近くが過ぎ去りました。

闇将軍が天才と云う評価に変わってき、

今の時代には、

この様な人の再登板が必要だなどと云う声も聞かれることに、

何を勝手な事をと思うのです。

この越後の生んだ人が、

初の選挙に挑んだ時のスローガンは

【若き血の叫び】でした。

一見寡黙な越後の人たちですが、

心の内には外気を蒸散させるほどのエネルギーを秘めているのに、

私はこの地に過ごす内に気がつきました。

私が其れなりに【歯科医学】と云う地味な学問に埋没できるのも、

この地で過ごしたお陰だと、

この歳になって思うのです。

私の歯科治療においては

【筋目を通す】ことを最も大切にしています。

法律と云う単語を再考してみて下さい。

法と云う字は、人の定めた決まりです。

律と云う字は、天に見離されないような恥なき行為です。

法は時代と共に変化する勝手な解釈、決まり事です。

と言っても、

私は法は絶対に遵守する考えを持っています。

何故なら、他人に迷惑をかけたくないからです。

私も随分と多くの過ちを犯したと思います。

人を本意とは裏腹に、泣かせた時もあります。

後悔の多い人生でした。

が、

意図して【律】の存在を意識して過ごしてきたのも

反面、事実です。

歯科と云う小さな小さな世界を軸に生活していても、

どうしてしまったんだ日本人!と、

感じる今日この頃です。

 

 

今はジッとしていなさい!

と言っても、

我慢出来ない質の人がいます。

駿馬のように、ただひたすら駆け走る時も在れば、

岩のように鎮座する時も、

人の長い一生涯には、

様々な顔を使い分けなければなりません。

コレが大切だと思います。

 

 

新しい治療方法が生まれるまで

コレは何だかお分かりになりますか?

人の頭蓋骨を頬骨の部分で、横断切断した模型です。

DSC_0252

医科用のCTで、患者さんの頭を撮影した画像をコンピューター処理して、

立体画像を構築します。

このデーターからCADCAMにて立体模型を製作したのが【コレ】です。

物凄く【精度の良い】再現です。

このレベルのモノは未だ未だ商業化されていません。

高価格だからです。

患者さんの治療費用が遥かに高価格になるので。

この精度で、もっと低価格で製作できるようにと

メーカーは企業努力の最中なのです。

私は本当に幸運だと感謝しています。

多くのメーカーの方々のお陰で、

こうした機会に恵まれて診療させて頂いています。

 

 

夢のまた夢

講演だの、何処かの顧問だのと、

色々な話が持ち込まれるのですが、

【岩もあり木の根もあれどさらさらと、たださらさらと水の流がるる】

と、

流れに身を委せていると云った処でしょうか?

其れは私が【一白水星】の星の下に産まれたからでしょうか?

仕事に関しては、

私は現実主義者です。

【かくあるべき】と云う

原理原則主義者ではありません。

【こう在る。これをどうするか】

現場処理を重要視しています。

歯科治療に関しても、

長い臨床生活から得た私なりの独特の

考え方があります。

快適に長く治療結果を安定させることが、

私の仕事だからです。

水は、

少しの隙間からでも染み込んで入って行きます。

また、

穏やかに水面に波ひとつ見せない凪の顔も在り、

と言って、

怒涛の如く岩をも砕く荒れる姿にも。

即ち、

水には【定型】がないのです。

私もそうかもしれません。

と、

働けど、働けど、

お金も私の前を素通りするだけで、

預貯金など、夢のまた夢。

 

再確認

今朝は午後の一番までズットお一人の患者さんに付きっきりです。

上の全ての歯の歯型採りです。

歯の一本、一本に、

歯と歯茎の境目の溝に (ここにプラークが付き炎症が起こるとポケットになります )

細そーい糸を挿入していきます。

被せモノと歯の境目に材料がスムースに入っていくようにとの配慮です。

でないと、

被せモノの境目がピタリと適合しません。

ソレから、歯にシリコン材を使って歯の型を採ります。

今ですか?

先程の歯型採りを確認し、

イマイチ!と判断。

で、やり直し。

もう一度、糸を挿入して、

歯茎の整うのを待っている処です。

自分のなしたる仕事でも、

イマイチと感じたら、

もう一度、

手順を戻ってやり直す。

コレが大切なんです。

心を落ち着かせて、

もう一度トライします。

マイクロスコープ治療

カールツァイスのマイクロスコープが私の愛機です。

診療には欠かせない、私のもう1つの眼です。

が、

私の見える世界を、脇で診療補助のスタッフには全く見えません。

で、

マイクロスコープ付属のカメラと液晶テレビを連動するようにと。

ならば、

私の見える世界をスタッフと共有できます。

朝から診療所へ出向いて、

ゴソゴソ作業しています。

数日後には完成するでしょう。

 

犬との暮らし

一般の方で云う処の夜中に起床する私の日常は、

私が眼を覚ますと同時に、

瞬時に立ち上がるマリリンを

玄関戸から向かいの公園へ放つことから始まります。

そんなノンリードで不謹慎だとお感じになられるかもしれません。

ご心配には及びません。

マリリンは先ずは庭へと。

其処で小用を済ませ、

寝ぼけ眼の私がリードを手に来るのを待っています。

周りは未だ寝静まった暗闇のなか。

星を仰ぎつつ、

マリリンと散歩へと出かけるのです。

DSC_0130

 

奥歯のダイレクトボンディング修復

さぁ、今から岡山市からの患者さんの【ダイレクトボンディング修復】です。

部位は、下顎の奥歯です。

生きている歯ですが、

適合の悪い古い修復物を外して、

虫歯を除去したならば、

ほとんど歯の概形は残りません。

通常、オールセラミック冠を被せるんでしょうが、

冠を確りと保持できる健康な歯質は、

もう残っていません。

大概は、この様な時には【便宜抜髄】と言って神経を採って

差し歯にするんでしょうが。

私は【保存学 】の専攻です。

ダイレクトボンディング修復で、

噛み心地良い、見映え良い

修復をしてご覧にいれましょう。

で、

ブログを中断し治療を。

今、終わりました。

DSC_0251

スマートフォンのカメラで撮影した画像なので、

近接出来ません。

照明具合もイマイチですが、

実際は綺麗ですよ。

私はオールセラミック冠よりも、

ダイレクトボンディング修復が好きです。

企業努力

初診でいきなり【直前キャンセル】。

電話口から急病だと聞かされると、

まぁ、他の理由であっても此方としては

何とも言えませんが。

若い時分だったら、腹がたってましたね。

私は同じ時間帯に複数の予約患者さんを入れませんので。

だって嫌でしょう。

治療したと思ったら、

先生は隣の患者さんへ。

で、

また舞い戻って来てチョロチョロと診療されるの【繰り返し】。

私は患者さんが大切です。

ですから、お一人お一人時間をずらせて予約をいれていました。

丁寧に、お一人に専念して治療して差し上げることが

私の患者さんへの【最低限の誠意】だと思っていますから。

ですから直前キャンセルされたら、

その時間帯は、私は何もすることがありません。

患者さんを重ねて予約を入れていたならば、

そんな事も無いでしょうが。

でもね、

私は丸くなりました。

そんな時は、溜まったデスクワークに専念できると。

相手がどうであれ、

私は紳士で在りたいと。

向こうにも向こうの都合が在るんだろうてな具合です。

初めての歯医者だから、ビビってんだろう!てな具合です。

ただこれは3回までです。

どんなお金持ちの患者さんであっても

3回無断で予約を直前キャンセルした際は、

私の診療所の扉が二度と開くことはありません。

他の患者さんにご迷惑がかかりますし、

診療ごとに、それぞれ前以ての用意、準備があります。

それにはコストがかかっています。

また、この様な方はルーズな方です。

自己管理の出来ない方は、

自己管理の出来ない方とグループを造ります。

【類は類を呼ぶ】です。

ですから、私の診療所の患者さんはキチンとした方ばかりと、

世間では言われている由縁です。

丸くなったと言われる私ですが、

ソレは怒りを見せないだけで、

それなりの評価は確りとしています。

私の診療所が、其れなりに業界での高い評価を頂いているには、

それなりの努力してるってもんです。

 

ヤンチャ坊主二人

先のブログの山口隆司先生と私は、

昔から現在に至っても、

ヤンチャ坊主である処は変わっていないようです。

まぁ、よく女性からはモテたんです。

どうしてか?は判りません。

少々、度が過ぎたと、

今は反省すると共に、

その体力、気力が懐かしい。

当時の私が大学を去った訳は、

現在も尾ひれが付いて語り継がれています。

大学に戻れるまでに

20年もかかりました。

学部長と教務部長である藤井教授からは、

「先生、大人しくして下さいよ。学生の手本にね!」

と、確りと釘を指されて、

私は現在では、修行僧のような気持ちで居ります。

山口隆司先生も、

この方は【格の違い】を感じるほどに女性にモテました。

結局、二人とも好好爺になったんでしょう。

歯科が好きなんでしょうね。

後は母校愛。

コレは他校出身者には判らないでしょう。

残った僅かの時間を大切に過ごしたいと。

そういう気持ちで、大学の構内に足を踏み入れる私たちです。

が、

時々にはヤハリ、

「三枝先生、山口先生、ダメじゃないですか!」

と、藤井教授からのお叱りを受けるのです。