月別アーカイブ: 2018年3月

夙川教会のミサにて

今、

ミサの儀式が終わった処です。

夙川教会は、

日本で2番目に古い教会だそうな。

会堂の中、

正面に、

大きな聖母マリアさまの御像が。

お優しいお顔で、

私たちを見守って下さっておられます。

生きると云う当たり前の時間の中で、

心の汚泥が溜まるのを感じる頃、

私はカトリック信仰の縁を頂きました。

生きることはシンドイですよ。

週ごとのミサにて、

私の心の汚泥は消しさるのです。

 

父息子

21の息子は、

何でも酒を断ったとのこと。

あれだけ呑めば、

誰も留めることはないだろう。

飯で腹いっぱいになったら、

帰りたくなった。

近くの息子の住まいへと向かい、

犬のアール君を挟んでの川の字になって、

聖書の話しから、

歴史から職業感へと

話しは巡り、

眠ったのは午前の4時であった。

10時から夙川教会でのミサを受けようと、

今は大急ぎの最中である。

魚慶と云う小料理屋にて

阪急苦楽園口前の広場を

上島珈琲本店に向かっての通りに

至る直前に、

春の訪れにブレーキをかけるような木枯らし。

夜も8時は回っていたので、

小腹もすき、

そんな瞬間に、

視界に入った店が

【勘働き】の対象となったと云う塩梅。

開店して2年と云うこと。

この付近の店は、

ある面において恐ろしいもの。

関西1の高級住宅地を付近に控えていることから、

目と味に肥えた人が暮らす処だから。

焼き鳥屋も多いが、

これらは通勤のサラリーマンの憩いの場であろう。

心が疲れきって、

さ迷うがごとくに訪れた私が、

サラリーマンの騒ぐ居酒屋は、

この時は敬遠させて頂き、

長年の遊び人の自分の勘に託したのである。

何でもご亭主の誕生日であったそうな。

私より年少の53歳。

愛想の良い女将は大阪堺市の床屋の娘。

店の名前の由来を聞けば、

父の理髪店を誰も継がなかった申し訳なさから、

父の店を屋号にと。

今時、優しい女性である。

料理の味に触れないのは、

確か鮮度と、

確かな手当て、

文句のつけようがないのは、

私の見立てには、

間違いがないからである。

運転手役の息子は烏龍茶を2杯。

私は久しぶりに、

新潟の酒を相当飲んだ。

若者を連れて、

こういう店に行くには覚悟がいるが、

会計はなんと1万円で野口英世と小銭のお釣が帰るのに

思わず、

女将の顔を覗き込んでしまった。

こういう店には、

無理してでも、

通わねばならない。

商いは3年目からが勝負である。

皆で育てて、

親父の腕も更に磨きがかかると云うもの。

最近の関西はだらしない。

格好だけの東京との勝負を棄てている感がある。

東京なんぞ、

所詮は田舎者の集団である。

味でも、

価格でも、

気遣いにおいても、

久しぶりに良い店であった。

名前は【魚慶】と云う。

グルメ雑誌や、

テレビのグルメレポーターの味音痴と、情報収集の怠慢で、

この店は光があたっていない様子。

私は大いに満足至極であった。

 

医師の仕事には

海外の歯科医師なり医師と会話すると、

話しがノレば、

専門領域から大きく外れ、

美術、

歴史、

そして宗教の話しに

必ず至ります。

カトリック信仰の私には、

日本の神々への信仰との違いや、

神々と仏さまとの違いなどを

よく聞かれます。

コチラも慣れたもので、

海外の医療人の納得する【落とし処】は

前もって勉強して頭に入っています。

この間、

シカゴの学会にて、

懐かしい歯科医師と再会したのです。

私より5つほど年長の日本人の歯科医師を

伴っておられました。

腰かけての雑談の際に、

ホラ、来たぞ!

シカゴ美術館へは行ったのか?

キリスト教の絵画、

ギリシャの神々の像はどうだった?

博物館へは行ったのか?

エジプト人の神々をどう考える?

そこで、

この同胞の歯科医師は地雷を

見事に踏んだのです。

私は科学者ですから、無神論者です。

この台詞を聞きながら、

高名な歯科医師は、

西洋人特有の明確な不愉快な表情を表したのです。

科学の進歩と、

心の問題は完全に別な次元のものと区別すべきなのです。

医師は病だけ診れば良い訳ではありません。

良い医師であるためには、人の心を診なければなりません。

人の心と信仰は表裏一体の大切な問題です。

信仰のない医師など、

海外には皆無でしょう。

で、

旧知の歯科医師は楽しそうに

私に尋ねました。

合衆国には珍しく、

彼もカトリックだったからです。

私の肩を抱いて、

主の祈りを日本語で教えてくれぃ!

序でに、

ローマ字表記で、

このノートに書いて欲しいと。

天にましますわれらの父よ、

願わくはみ名の尊まれんことを。

み国の来たらんことを。

み旨の天に行われるごとく

地にも行われんことを。

われらの日用の糧を今日われらに与え給え。

われらが人をゆるすごとく、

われらの罪を許し給え。

われらを試みに引き給わざれ、

われらを悪より救い給え。

両者は学会だというのに、

大勢のなかで、

両者の母国語で、

声に出してお祈りしたのです。

で、

大きく頷いたのでした。

チェンジ

今日、

仕事が終わったら、

県外に出ようと思っています。

仕事も沢山積まっていますが、

心がもたなくなりました。

私は嫌なことがあっても、

仕事には全く影響はありません。

歯と向き合っている際には、

無心の境地に至っているからです。

ですから、

治療が多ければ多いほど、

私は嫌なことを忘れています。

でも、

治療から離れると、

不快なことで、

胸が潰されそうになるのです。

最近では、

嫌なことがあると、

神さまとの会話で、

気をそらす手当てを覚えたのですが、

余りにも大きな不快感は

そう簡単には消えません。

出掛けたことで、

不快の原因が消え去る訳ではありません。

でも、

状況を変えることを

次々と

実践する気持ちになりました。

今までと同じであれば、

何も変わらないことは、

月日の経過と結果が一致しないことで

学んだからです。

信仰と仕事の実績が

私の身体を支えてくれています。

私はヤる時にはトコトン、ヤる男です。

次々と、

ヤるべきことを進めようと決めました。

こういう時の周囲は大変でしょうね?

私はバランス人間ではありませんから、

周囲の迷惑は考えません。

別段、

迷惑かけるような悪いことを

する訳ではありませんし。

スピード感ある動きをするだけです。

ただ、

スピードが出ると、

風が吹きます。

風が吹くと、

風車が回り出すのです。

そうやって、

状況を変えてゆくんだと、

経験上、

私は知っているのです。

短い人生です。

走れ!

駆けろ!

雲を離散させろ!

それが私の生き方です。

神さまとの会話

こう言われたから、こうシテヤル。

こうされたから、こうシテヤル。

気にくわないから、無視してやる。

そういう態度が、

普通にできる人がいます。

そのような、

心を傷つけられた時に、

爆発する時もあります。

が、

後で思い返すようになりました。

自分で腕の肉をつねってみるのです。

痛みから、

私は少なくとも、

こういう事は止めようと、

思うようになりました。

が、

相手はそのようなことはありません。

相変わらず、

心傷つく行動は続きます。

そのよう時には、

神父さんから教わった方法を採り入れました。

神さまとの会話です。

何故、悪いように受けとるんでしょうか?

何故、物事の一面だけで判断するんでしょうか?

何故、最後の一線を越えてまで言うンですか?

神さまは万物の創造主です。

何でもお見通しな筈だと。

神父さんに聞きました。

返事が聞こえません。

神父さんは仰いました。

あなたには聞こえなくても、

神さまにはしっかりと聞こえていますから。

信じて、

神さまとの会話を続けなさい。

会話をする際に、

悲しくて、

辛くて、

何と不条理なと、

涙流すことも

しばしばあります。

55歳の男の私がですよ。

私は決して人を苛めない。

悪口は言わない。

他人を無視しない。

意識的な嫌なことはしない。

そんなことを

今になって学んでいます。

距離を置いて、

身を守り、

ひたすら祈るようになりました。

最後の賭け

ある人との出会いが私の人生を大きく変えました。

歯科医学においては内藤正裕先生です。

内藤先生なくしては、

私の歯科医師としての今の姿はなかったでしょう。

個人的にも、

ある人との出会いが、

やはり私の人生を一変させました。

ある決意を自分の胸に硬く約束し、

私はその人との関わり合いを持ちました。

人は生まれも育ちも大きく異なります。

価値観や言葉の使い方、心の襞の違いに

大きく戸惑いながらも、

その兼ね合いを模索し、

私自身も成長できたように思います。

そのような意味合いにおいては、

私はその人に感謝しています。

しかし、

成長には苦痛も伴います。

これは歯科医学においても同じでした。

私との大きな差に、

大きな苦しみと、

時には怒りや苦しみを

味わう日々を余儀なくされたのも事実です。

私は硬く天に一度決意したことを

覆すことはありません。

しかし、

ある人との関わり合いは、

私を挫折直前にまで、

追い込むほどに苦しいものでした。

自分の仕事は、

自分の血と汗と涙、努力と工夫で

半分は解決できるものです。

後は運と時期、

天祐に左右されると思います。

しかし、

人との関わり合いは、

自分の力だけではどうにもなりません。

一生懸命に仕事に向き合い、

一生懸命に人と交わり、

私は断崖に立たされたのです。

そんな時に、

神さまのお導きでしょうか?

岡山県倉敷市のノートルダム学園の三宅シスターとのご縁にて、

私はカトリックの門を叩いたのです。

三宅シスターは、

あの有名な渡辺和子シスターの後任の校長先生です。

さぞ大きなプレッシャーとシスターは交わり、

日々を祈りを捧げて過ごしておられるでしょう。

ある人との関わり合いも18年になろうかと思います。

しかし、

16年ほどは、

私は地獄でした。

歯科医師として、

残りの人生を感謝と奉仕の心で過ごすために。

そして、

私にはどのような手立てを以てしても

悲しい心で、

全く自分の耳を塞ぎ、

頑なな心の人が、

【気づく】きっかけにならますようにと、

カトリック信仰に生涯を捧げる決意に

最後に賭けに出たのです。

毎夜、毎夜

私はその人のために祈りを捧げています。

朝は患者さんのために祈りを捧げて過ごしています。

父と子と聖霊、

そして、

聖母マリアさま、

聖ヨゼフさまが、

必ず門を開いて下さると

私は硬く信じています。

 

 

 

春が来ます

春が来ます。

私を取り巻く環境も、

大きなうねりを以て、

グルグルと大きく回転し始めているようです。

私はこの時のために、

日々を準備していたように思います。

心構えや、

心の準備、

日常の所作などなど。

例えば、

31日の夜、

高松市桜町教会の復活祭でのミサにて、

私はカトリックの洗礼を受けます。

患者さんの幾らかは、

教会へと足を運んで下さるそうです。

洗礼とは、

この世で1度死に、

神さまの御力にて復活し、

残された時間を敬虔に

感謝して過ごすと云う

新しい生き方を選ぶ誓いの儀式です。

同じキリスト教でも、

カトリックとプロテスタント系諸流派とは

大きく考え方が違います。

プロテスタント教会には、

イエスさまの磔された十字架はありません。

聖母マリアさまも、

多くの聖人の姿もありません。

聖書を中心に信仰の拠り所とするのがプロテスタント教会です。

しかし、

私は聖母マリアさまを信じます。

そして、

磔されたイエスキリストのお姿に涙するのです。

万能の神である父と、

古来日本の神々は、

もしかしたら同じ神さまかもしれません。

神さまとお会いし、

その会見談をした人は、

歴史的にモーゼとイエスさま位ですから。

私は万能の神さまを信じます。

私の新しい名前はヨゼフとなりました。

師匠である内藤正裕先生が名付け親です。

聖ヨゼフはイエスさまの、

この世での父親です。

大工を生業としていたそうです。

パリのルーブル美術館にある、

画家ラ.トゥールによる【大工ヨゼフ】と云う絵です。

私はこの絵に心を打たれたのです。

カトリックネームを師匠にお願いした際に、

間髪入れずに、

師は仰いました。

三枝!お前は歯の大工、大工ヨゼフに決まってるだろ!

私の診療室のドアの前の空間には、

内藤先生のおばあ様の描かれた【大工ヨゼフ】の絵が、

掲げられています。

私の診療所は、

見えない力によって護られている処だと。

そして、

カトリック信仰の中心である奉仕と感謝の心で、

歯の番人を務めてゆきたいと思っています。

私の診療台の前には師匠の写真を掲げています。

その前に、

幼いイエスさまを抱く聖ヨゼフ像です。

これからの私は、

歯科医ヨゼフとして、

大勢の患者さんを抱いて、

手当てに尽くす日々を過ごすこととなります。

また、

4月1日をもって、

私の大学での仕事が大きく変わることを、

学部長から伝えられました。

誠に名誉ある光栄の至りであります。

私は日本歯科大学において、

歯科医学のい・ろ・は・を教えて頂きました。

私の医療倫理、医療哲学は勿論、

歯科医師としての生き方の原点が

日本歯科大学に在ります。

私の微力が母校のお役にたつのであれば、

どんな労苦も惜しみません。

考え方も大きく変わりました。

春が来ます。

大きな変化

深夜の0時は回っていたと思います。

私も診療所で調べモノをしていました。

携帯電話が鳴り響きます。

???

日本歯科大学新潟生命歯学部の学部長です。

受話器の向こう側から、

いきなり、

先生、起きてます?

ええ、この頃は調べモノが多くて。

今夜は帰宅出来そうにありません。

そんな他愛ない話しから、

次第に、

仕事の話しへと。

最近の私は、

腹が座ったように思います。

歯科医師として、

生きることをです。

目の前に大きな壁が

立ちはだかる機会もありますし、

頭を抱えるような難しい症例もあります。

そういう時、

ソファーの腰を下ろして、

ミサのCDを聴くことにしています。

持ち歩く鞄の中の、

新約聖書とカトリックの祈りの本。

小袋の中には、

小さな聖母マリアさまの絵の描かれた折り畳み式の何てモノでしょうか?

それとロザリオを入れて、

いつも持ち歩いています。

私は歯科医師であり、

私はカトリックを信仰する者。

その自覚が、

私の行動に大きな変化をもたらせたと自覚しています。

聖書の中のルカによる福音の受胎告知の場面は、

私を何度も感動させてくれますし、

ヨハネの福音書の冒頭の言葉は

私の心の琴線に触れるのです。

東京の聖路加病院の名前の由来は、

このルカによるモノだそうな。

白衣を纏う医療人の心構えに

聖書はとても、

道しるべになってくれることを

この歳になって知ったのです。

自負

昨日やっと、

今年の特別講義の準備が終わりました。

日本歯科大学に入学したばかりの

1年生に対する、

【プロとしての心構え】を認識して貰うための

【プロフェッション】と云う講義です。

私が担当して、

早いもので11年になりました。

原稿はありません。

相手は未だ高校生みたいなもので、

医学を学ぶ学徒の顔ではありませんから。

彼らを知らず知らずのうちに、

三枝ワールドに引き込み、

歯科医学の戸を、

自らの手で開くきっかけを創る。

これが大学から私に与えられたミッションです。

良い歯科医師を世に送り出すことが、

私ども日本歯科大学の使命です。

そこに我が国最古で最大の歯科医学教育機関の自負があるのです。