医師の仕事には


海外の歯科医師なり医師と会話すると、

話しがノレば、

専門領域から大きく外れ、

美術、

歴史、

そして宗教の話しに

必ず至ります。

カトリック信仰の私には、

日本の神々への信仰との違いや、

神々と仏さまとの違いなどを

よく聞かれます。

コチラも慣れたもので、

海外の医療人の納得する【落とし処】は

前もって勉強して頭に入っています。

この間、

シカゴの学会にて、

懐かしい歯科医師と再会したのです。

私より5つほど年長の日本人の歯科医師を

伴っておられました。

腰かけての雑談の際に、

ホラ、来たぞ!

シカゴ美術館へは行ったのか?

キリスト教の絵画、

ギリシャの神々の像はどうだった?

博物館へは行ったのか?

エジプト人の神々をどう考える?

そこで、

この同胞の歯科医師は地雷を

見事に踏んだのです。

私は科学者ですから、無神論者です。

この台詞を聞きながら、

高名な歯科医師は、

西洋人特有の明確な不愉快な表情を表したのです。

科学の進歩と、

心の問題は完全に別な次元のものと区別すべきなのです。

医師は病だけ診れば良い訳ではありません。

良い医師であるためには、人の心を診なければなりません。

人の心と信仰は表裏一体の大切な問題です。

信仰のない医師など、

海外には皆無でしょう。

で、

旧知の歯科医師は楽しそうに

私に尋ねました。

合衆国には珍しく、

彼もカトリックだったからです。

私の肩を抱いて、

主の祈りを日本語で教えてくれぃ!

序でに、

ローマ字表記で、

このノートに書いて欲しいと。

天にましますわれらの父よ、

願わくはみ名の尊まれんことを。

み国の来たらんことを。

み旨の天に行われるごとく

地にも行われんことを。

われらの日用の糧を今日われらに与え給え。

われらが人をゆるすごとく、

われらの罪を許し給え。

われらを試みに引き給わざれ、

われらを悪より救い給え。

両者は学会だというのに、

大勢のなかで、

両者の母国語で、

声に出してお祈りしたのです。

で、

大きく頷いたのでした。