聖書を読むなどと云う暮らしからは
全く無縁であった私の日常が、
今では、
少しでも間の空いた時、
電車や飛行機の中で、
床に就いてスタンドの灯火を消すまで、
聖書の頁の一文字一文字を
眼で追っているのです。
そんなにも、
一転したのも、
歩いて来た道を振り返り、
後悔ばかりだからです。
せめて、
残りの時間を
穏やかもので締めくくりたいと
自然発生的な心の泡が湧いてきたからだと
思っています。
今日は聖ヨゼフの日だそうな。
私のカトリックネームが、
ヨゼフと云うことになるので、
今夜は、
聖書にはほとんど記載のない
イエスキリストのこの世での父について
想いを馳せようと。
私は歯科医師です。
人の身体の、
ほんの一部を診ることを
仕事として生きてきました。
でも、
歯科医学の奥の深さに
魅了され、
また、
翻弄され。
今しがた、
再び、
内藤先生から電話を頂いたのです。
今日のヨゼフの日に合わせて、
私に聖書を送って下さった
粋なはからいと、
長年の先生からの温情に、
思わず私が男泣きしたことを
案じたからだと思います。
先生は仰いました。
聖書はボロボロになるまで
読むのも良いが、
チョッとしたときに、
本を手に取って、
その重みを感じるのが良い。
机のうえの革表紙に
THE BIBLE の金文字が視界に入るだけでも良い。
医師には、
心の拠り所ってモンが、
絶対にいるんだよ。
私が日本一の師の、
一番の面倒かかる愚弟であることを
どうかお笑いください。