春が来ます


春が来ます。

私を取り巻く環境も、

大きなうねりを以て、

グルグルと大きく回転し始めているようです。

私はこの時のために、

日々を準備していたように思います。

心構えや、

心の準備、

日常の所作などなど。

例えば、

31日の夜、

高松市桜町教会の復活祭でのミサにて、

私はカトリックの洗礼を受けます。

患者さんの幾らかは、

教会へと足を運んで下さるそうです。

洗礼とは、

この世で1度死に、

神さまの御力にて復活し、

残された時間を敬虔に

感謝して過ごすと云う

新しい生き方を選ぶ誓いの儀式です。

同じキリスト教でも、

カトリックとプロテスタント系諸流派とは

大きく考え方が違います。

プロテスタント教会には、

イエスさまの磔された十字架はありません。

聖母マリアさまも、

多くの聖人の姿もありません。

聖書を中心に信仰の拠り所とするのがプロテスタント教会です。

しかし、

私は聖母マリアさまを信じます。

そして、

磔されたイエスキリストのお姿に涙するのです。

万能の神である父と、

古来日本の神々は、

もしかしたら同じ神さまかもしれません。

神さまとお会いし、

その会見談をした人は、

歴史的にモーゼとイエスさま位ですから。

私は万能の神さまを信じます。

私の新しい名前はヨゼフとなりました。

師匠である内藤正裕先生が名付け親です。

聖ヨゼフはイエスさまの、

この世での父親です。

大工を生業としていたそうです。

パリのルーブル美術館にある、

画家ラ.トゥールによる【大工ヨゼフ】と云う絵です。

私はこの絵に心を打たれたのです。

カトリックネームを師匠にお願いした際に、

間髪入れずに、

師は仰いました。

三枝!お前は歯の大工、大工ヨゼフに決まってるだろ!

私の診療室のドアの前の空間には、

内藤先生のおばあ様の描かれた【大工ヨゼフ】の絵が、

掲げられています。

私の診療所は、

見えない力によって護られている処だと。

そして、

カトリック信仰の中心である奉仕と感謝の心で、

歯の番人を務めてゆきたいと思っています。

私の診療台の前には師匠の写真を掲げています。

その前に、

幼いイエスさまを抱く聖ヨゼフ像です。

これからの私は、

歯科医ヨゼフとして、

大勢の患者さんを抱いて、

手当てに尽くす日々を過ごすこととなります。

また、

4月1日をもって、

私の大学での仕事が大きく変わることを、

学部長から伝えられました。

誠に名誉ある光栄の至りであります。

私は日本歯科大学において、

歯科医学のい・ろ・は・を教えて頂きました。

私の医療倫理、医療哲学は勿論、

歯科医師としての生き方の原点が

日本歯科大学に在ります。

私の微力が母校のお役にたつのであれば、

どんな労苦も惜しみません。

考え方も大きく変わりました。

春が来ます。