日別アーカイブ: 2016年12月6日

私の履歴書 6.

幼少期の私は、

相当な癇癪持ちで、

異常なほどの潔癖症、

で、

イタズラ坊主でした。

今の時代の親御さんなら、

病気だと気を病んだかもしれません。

イタズラの限りを尽くした後は、

お待ちかね通り、

叱られる訳です。

ある時、押入に閉じ込められました。

で、

幼子の私のプライドがプツンと、キレたんでしょうね。

半ズボンを膝まで下ろし、

オチンチンを両手で支え棒。

巡洋艦の大砲ならず小砲が、

右から左へと、

押入の中に火を噴いた!

ではなく、

オシッコ攻撃!

これには家中、大慌てだったので、

孫の代まで、

語り継がれる事でしょう。

潔癖症と云えば、

私はシワが嫌なんです。

就寝時の際には、

横たわった布団から頭を上げて、

布団全体を見渡すのです。

で、

布団にシワが無いように、

婆やに布団の四隅を引っ張らせてという塩梅。

遺伝子とは恐ろしいモノです。

息子が幼稚園の頃の話しです。

口煩い祖母が鬱陶しくてたまらない息子。

一泡吹かせようと、

息子は祖母が【かりん糖】を好むことを思い出したのです。

学校帰りに、せっせと犬の糞を集め、

裏庭に広げた新聞紙の上で陰干しされる犬の糞。

祖母愛用のかりん糖の入れ物に、

それとなく混ぜて入れられた息子の製品。

準備万端。

リビングのソファーに腰掛け

テレビのスイッチを入れた祖母の横に、

何気ない素振りで息子は腰掛けたんだそうな。

で、

祖母が菓子器の蓋に手をかける。

眼はテレビの画面に。

製品を摘まんで、

ポンっと

口の中へと入って暫くした刹那、

怒涛の韋駄天ほどの体力を爆発させた祖母から

ホウホウの体で逃げ出した息子の、

その後は、ご想像の通り。

息子の悪い処は、

私、

婦人科医であった私の叔父、

で、

私の母方の私の祖父の遺伝の為せる業だと。

私の、この祖父はその名前もウィキペディアにも記載されている発明の人でした。

私の叔父を私は尊敬して、今の医療の支えになっています。

医師として倫理観を持ち、男の器の大きい人でした。

私も変人の類いであることは自覚しています。

歯科医師としても、未だ未熟で、

修行僧の心で患者さんを診ています。

自覚してるんですよ。

私は勤め人は、到底に務まりません。

歯に巡り会えなければ、

単なる変わり者の役立たずだった事でしょう。

本当に歯には感謝しています。

人生をかける程の値打ちがありますもの。

 

 

英語もできない歯科医師って

此処まで落ちたんでスか?ね。

ハロウィーンやクリスマスに、

【神聖なる治療行為の場】である診療室へ、

【衛生面に日常から配慮すべき無菌的環境の場】である診療室へ、

患者さんをお招きしてパーティーする歯科医院も登場!

何でそんなツマラナイこと知っているのかって?

先程、広告業界の営業マンが、

広告の営業に来られた際に、

見せてくれたんです。

こんなイベントの企画もお任せ下さい!って。

ありがとうね、と。

でも、

色んな人が居るんですね。

ただ、

お招きの英文ですが、

オカシイんですね。

何をするのも自由ですが、

英語もデキナイのは、

阿呆さ加減の宣伝でしかないように思うんでスが。

無理しない。

無理しない。

普通の歯科医院で良いモノを。

 

父から子たちへのメッセージ

来年早々に、

ベテラン浪人生の息子と、

来春中学へ上がる娘の受験を控えています。

私は勉強には全くタッチしません。

これは本人の問題ですから。

が、

内心では、

心配でなりません。

息子はさておき、

中学で県外へ進学!

可哀想じゃないという意見もありました。

娘を寮へと送り出し、

高松市へ帰る車中で

必ず私は泣く自信はありますよ。

息子にしたってそうです。

高校で新潟へやりましたもの。

越後の深い雪の中、

雪に沈む長靴を、

一歩、一歩と踏みしめながら、

吹き荒ぶ吹雪に頭を垂れて、

片手に重い灯油缶という後ろ姿に

涙したモンです。

が、

私はできる限り早い段階で、

他県での暮らしを経験すべきという考え方をしています。

親の監視がなくて不良になったらどうするの?

そうですね。

1度や2度は、

横道に反れるでしょうね。

でも私は息子を信用しています。

横道に反れても、

必ず自力で軌道修正するさなと。

その時、

今自分の真下の道が王道だと

気づくか、気付かないかは、

反れた時の質で変わってくるでしょう。

娘には、

横道に反らせる訳にはいきません。

外の世界には悪い男が手ぐすね引いて待っていますので。

しっかりと、

私は刑務所のサーチライトの如く、

目を光らせる積もりです。

男親は勝手なモノです。

女子だけの寮生活で、

不条理さを、

遠慮も、

気兼ねさも味わうでしょう。

女の子は、

伴侶によって、

何処へ行くことになるか判りません。

また、

生活レベルのアップダウンも経験するでしょう。

ですから、

私は決めたのです。

私には都合6人の子宝に恵まれました。

別れた最初の家人は、

自分の引き取った娘と私の間に楔を打ち込むのが、

彼女の生き甲斐となり、

自己肯定の支えになっているのだと思います。

幼少期から会えない3番目の娘の笑顔は、

あぁ云う男は父親失格の見本だと、

毎日、毎日聞かせて育ててきたのだと。

でも、

娘から、どのように思われても、

私の大切な娘です。

私の瞼には、

当時のままの娘で、

成長した娘の姿は判りません。

声も、

あの頃の娘の声で、

手を繋ぎながらパパと呼ばれた声が鼓膜に焼き付いています。

今でも毎日、何十回と、

娘の面影を探しています。

どの子も、

私にとっては宝物です。

子供の方では、

そんな事は全く眼中にないでしょうが。

私は、自信を持って子供たちに言えることがあります。

パパは好きな仕事に就けて、本当に幸せであった。

仕事優先で、皆には結果、苦労はかけた。

心からお詫びするが、やむを得なかった。

でも、みんなを自慢に思い、

応援しながら観ていた。

将来の仕事、一生賭けれる仕事と出会って欲しい。

挫けるのは駄目だ。

我慢しなさい。

で、

いつか仕事を通じて社会貢献できる気持ちになって下さい。

 

感性

今の若い男性は、

自動車には余り興味がないそうな。

で、

交際している女性が居る割合も3割程度って云うから

驚いてひっくり返りそうになります。

そういえば、

この秋は【瀬戸内芸術祭】にて

街をたむろする若者の姿が多かったように感じました。

若者がオブジェを見物に香川まで!と、

ついでに、

カップルじゃない、

女性同士、男性同士って姿に、

私の理解の範囲を大きく越えている奇妙な平成の時代です。

私が若い時分には、

頭の中の半分は歯科。

これは本当です。

残り半分は、

車と女性。

みんながそうだったと、

私は信じています。

あと、

造形美には興味はありましたが、

どちらかと云えば、

古典的な美を好んでいました。

法隆寺などの寺社仏閣建築とか、

ミケランジェロやミロの彫刻。

それらには、

言葉では言い表せませんが、

何か規則事みたいなモノを感じていました。

芸術における【型】って云うのでしょうか。

自動車は散々、乗り換えましたね。

で、

私の中での名車3台。

フォード F-150

ダイムラー.ダブルシックス

で、

やっぱり、

アルファロメオ  スパイダー ベローチェでしょう。

Alfa_romeo_spider_serie4_open9

今の車に魅力は感じませんね。

単なる下駄でしかないように思います。

こういう感覚は、

青春期に養われるんじゃないかと、

私は思いますから、

若い人にはドンドン遊んで頂きタイですね。

女性については、

コメントしません。

今は恐わ~い平成の時代ですもの。

若き歯科医師の悩み

つい先程、

関西で開業されておられる若手の歯科医の先生から

お電話を頂きました。

もう4~5年の付き合いになるでしょうか。

その先生が開業される時に、

私の診療所を訪ねて来られたのが縁です。

で、

最近の私のブログでの、

私の履歴書が面白いんだそうです。

毎日、毎日が苦しいのだと。

大都会で開業した故に、

歯科医院間の競争も激しく、

固定経費も大きい。

で、

治療技術の取得や勉強もせねばと焦る。

そんな苦しみなんでしょう。

私でも苦しい時が在ったのか?と、

苦しい時の同類ってな安堵の気持ちになられたのでしょう。

そもそも、

職人仕事ですから、

歯医者の仕事って。

実業家とは違います。

メスを手にするのであれば、

経営者にはなれません。

医師免許、歯科医師免許を持って、

医療機関の経営を拡大するのであれば、

臨床から離れませんと、

上手くいかないでしょう。

私は、そう思います。

私は人が悪いですから、

時たまに、

歯医者へ通院してみるんです。

ここは参考になるかもと、

興味をひいた処です。

もちろん、

身分は明かしません。

で、

クリーニングなんか受けてみるんです。

ですから、

良い歯医者を、

私は良く知ってますよ。

逆に、

なんだ、上っ面だけかと、

ガッカリする処も多いですが。

結局の処、

私は安心して、

自分の道を歩み続けようと。

その繰り返しでした。

案外、歯科医師って良いモノを知りませんから。

競合相手としてはチョロいと思っています。

一般の事業の場合は、そうもいきませんから。

その若手の先生から聞かれたんです。

先生は、何を考えて診療されてるんですか?って。

な~んも考えてやしません。

夢中になってますもの。

心の手当てさへ頭のど真ん中に置いておけば良いんです。

歯の方から、

近寄って来てくれますよ。

助けてくれって。

で、

ありがとうって。

患者さんも同じじゃないですか?

最近はホームページの影響でしょうね。

香川県、岡山県、徳島県、愛媛県の方が、

割合が多くなってますね。

ですから、近県の歯科医院の治療内容には

随分と詳しくなりましたよ。

歯科氷河の時代と云われる位に、

歯科医師過剰で、

どの歯科医院も苦しいのが伝わって来ます。

だって、

治療に無理してますもの。

あと、

明らかに不勉強です。

いつの時代の理論なんだと。

だから余計に柔軟な頭でなきゃって。

治療成果は、

私の生んだ子供みたいなものです。

良い子を生んで、

良い子に育って欲しいと願う、

だから患者さんが大勢、来てくださいます。

それだけですよ。

私は歯の番人で居たい。

 

 

私の履歴書 5.

ブログの読者の方って面白いですよね。

昨日のブログのなかで、

東北大震災の際に

東北から離れた私の診療所の患者さんが減った訳と、

何故、暇になったらスタッフがバカにするのか?

というご質問を多く頂きました。

本当に真面目に読んで下さりありがとうございます。

元来から私の診療所の患者さんは遠方の方が殆んどです。

で、

殆んどが会社経営なりの方、

そしてそのご家族。

歯医者選びの条件を、

近い処で、

通勤から便利な処で、

ということでの患者さんは

私の診療所には、今でも皆無です。

製造業の患者さんでは、資材が手に入らない。

客商売の患者さんは、放射線の影響で商品が売れない。

当時、私の患者さんの大勢も経営が大変だったと思います。

自然災害に無縁の香川県の人には

実感湧かないのも判ります。

県内の患者さんが少なかったので、

県内の景気には左右されませんが、

当時は、どうなるのかと。

スタッフがバカにする理由ですか?

これは、そのスタッフ個人の性格、価値観でしょう。

たまたま、そういう人を過って雇用してしまったってことです。

私の診療所のスタッフと聞けば、

普通なら世間体は良いと、

自惚れです。

でも、本当だと思います。

が、

患者さんが来ないから、

支払いに苦労しましたもの。

決まって出てゆくものは減りませんから。

私は思うのです。

楽して稼ごうとか、

良い格好して稼ごうとか、

そんな時代を何処かの時期に日本人が作ったのでしょうね。

不労収益という言葉がありますが、

私は嫌いです。

ですから、

私は株式投資は全くしませんし、

職人が楽してお金を手にしてはならないと、

今でも本当に思っています。

私は患者さんに対しては、

みんなに労いの気持ちでもって、

で、

年長者には敬意を払います。

年少者へは懐で包み、胸を貸す気持ちで接します。

対患者さんは、

人と人との触れあいだと思います。

患者さんの懐具合などに気持ちは行きません。

お金持ち故にの特別扱いはしません。

私が治療を請け負うと決めたなら、

私は患者さんを慈しみます。

歯のことでなら、

生涯、私の背中で背負う気概で、

私は仕事を請け負うのです。

ですから、

私は診療出来ないと、

お断りさせて頂いたことも、

後味悪い経験もありました。

どうしても私が、その気になれず、

他の歯科医師に診察して貰う方が良いと思ったからです。

お金じゃねぇよ!てな、

反骨精神はあります。

それは、

私の中での理想の歯科治療の形が在るのだと思います。

ただ、

まだまだ満足してはいません。

私が開業した当時から

私の夢は続いています。

ですから、

若い歯科医師の先生方には

決して勘違いして頂きたくないですね。

私はお金儲けのために仕事はしていません。

コツコツと、

ボクトツに、

地味な仕事が歯医者の仕事です。

手の先で、

思うような手当てが出来た時の

満足感のために、

私は時間を積み重ねています。

振り替えって観ても、

残った財産と言えば、

診断力と、

手先の自由さ、

それだけです。

私は、それで十分に満足しています。