日別アーカイブ: 2016年12月21日

今だからこそ古典を学べ

ダイレクトボンディング大好きみたいに

思われている私ですが、

私は適応症例を選んでいます。

生きている歯が先ずは前提です。

大型の修復も行いますが、

決してクラウンを否定する訳ではありません。

またチャレンジケースも珠にはします。

が、

クラウンをするには未だ時期が早いと判断した時です。

ダイレクトボンディング修復にも限界がありますし、

未だ未だ発展途上だと思っています。

そもそも歯と材料の接着には大きな問題点があります。

歯の表面のエナメル質は98%が無機質です。

無機質は疎水性です。

接着状態を長持ちさせるには疎水性である必要があります。

ですから、エナメルと材料の接着は、

くっ付ける相手であるエナメル質が疎水性であるため、

相性も良く、

接着状態も安定していますから、

ほぼ大丈夫と言って良いでしょう。

エナメル質の内部にあり、

歯の形をほぼ構成している象牙質は、

その成分の半数はコラーゲンです。

コラーゲンは有機質です。

で、

まずい事に、コラーゲンは親水性なのです。

ですから、象牙質と材料を接着させるには、

接着剤は親水性と疎水性という

全く性質の反対の基を持たねばならないという

矛盾点をはらんでいます。

その上、

親水性環境での長期の接着状態を維持させなければなりません。

現在、研究が進み様々な接着性モノマーが世に出ています。

未だ未だ発展途上だと考えるべきでしょう。

セラミックやファイバーポストの接着の際には、

接着性モノマーに加えて、

シランカップリング剤の使用が推奨されています。

が、

気をつけなければならない事は、

シランカップリング剤は接着剤ではありません。

また接着増強剤でもありません。

材料と接着性モノマーの間の馴染みを良くするだけのモノです。

シランカップリング剤の威力を向上させるには、

110度で1分間の熱処理が有効です。

ただし、

シランカップリング剤は非常にデリケートな材料です。

製造されてからの日数がとても大切です。

製造メーカーから歯科材料屋さんへ入荷し、

そこでどのくらいの期間、

どの様な環境で保管されていたのか。

で、

診療所が購入してからの日数と保管環境、

これも大いに影響するのです。

私はシランカップリング剤は気休めだと思って使っていますが、

使用方法は熱処理も行っています。

クラウンのセットの際のセメントにも、

接着性セメントが多く使われているようです。

しかし、

セメントの接着力に頼るのは危険です。

何故なら、

接着性セメントの触れる大半が象牙質だからです。

象牙質は親水性ですから、

接着力に永続性はありません。

また接着性モノマーは酸性ですから、

象牙質表層から徐々に浸透し、

コラーゲン繊維を劣化させます。

またクラウンには大きな大きな噛む力が加わります。

ついでに口の中には、

熱い食べ物、

冷たい食べ物、

考えなしに人は放り込むでしょう。

大きな力にサーマルストレス。

セメントは経年的に劣化しボロボロになってしまいます。

クラウンの治療でとても大切なのは、

キチンと適正なデザインで歯を削ることです。

力をしっかりとサポートできるデザインです。

また封鎖を完璧に出来るだけの

スムースな境界です。

これは接着性セメントのない時代の

基本のきでした。

私が長い間臨床を続けてきて思いますのは、

新しいモノは補助程度に、

古くからある確かな方法こそ宝物だと云うことです。

想う処沢山ありの時代

母方の先祖の墓が郡部の田舎にあります。

幼い頃、

春秋の彼岸と盆には、

田舎のボンネットバスに揺られて行くのが

年中行事であり、

私の細やかな楽しみでもありました。

高松市とは縁も所縁もない私が、

当地で開業医をするキッカケとなった訳のひとつに

この墓の存在が在りました。

私がこの墓守りをせねばという、

気持ちが強かったためです。

本来、この墓守りをすべき人間は、

母の兄である私の叔父であたりますが、

西明石にて婦人科を開業していたために、

滅多に遠出は出来ません。

この叔父には息子が1人居りますが、

父息子の相剋著しく、

結局、叔父の葬儀にも来ず仕舞いという始末。

という訳で、

幼い頃から不思議な縁を強く感じる私は、

月毎に、

三枝の墓参りと共に、

足を伸ばして、

この墓の掃除をするのを常としていました。

祖母には可愛いがってもらいましたが、

他の先祖の顔を私は知りません。

が、

それぞれの先祖の戒名と名前を見上げ、

私は血の繋がりを感じていました。

私は齢53になります。

ひとかどの苦労は経験した積もりです。

苦しい時に、

悲しい時に、

困った時に、

何度、ご先祖にお願いしたことか、

本当に頼りない子孫を持ったと、

ご先祖を悩ませたに相違ありません。

今日、

遠い親類から突然の連絡が診療所へ入りました。

内容は、

この一族を弔う墓地を整理して、

土地を売却するので、

私の母方の先祖の墓を移動して欲しいというモノでした。

コレが現在の日本の状況だと、

想う処大いに在りました。

事の正否は云う資格は、私にはありません。

ただ、

その様な状況のなか、

私のご先祖が肩身の狭い想いをさせてはならじとだけ。

で、

承知致しましたと。

代変地は、

気の早い私が、

もう20年も前に自分の墓にと準備していた墓地を充てようと、

電話を聞きながら、

即座に決めていたのです。

本来であれば、

私には、その資格はありませんが、

事情が事情ゆえに、

また、

この墓の守りは私の責任でと云う想いが在りましたので。

ただ、

息子の了解は得なくてはと、

息子に電話にて報告した処、

「 父ちゃんが死んだら俺が守りは引き継ぐから」

と云う返事。

親不幸者の見本のような息子ですが、

あぁ、マトモに育ってるなと、

少し安堵したのです。

最近では、

このような些細なことにも嬉しい気持ちになったり、

逆に落ち込んでみたりと。

段々と、

歳をとっていっている自分を感じます。

で、

此処までは穏やかに綴りましたが、

本心では、

私は怒り、また情けない想いでおります。

この一族の墓は、

古い墓石を辿れば平安時代までさかのぼれ、

広い敷地に分家毎に囲いで被われ、

多くの同氏の墓石で賑わっておりました。

代も重ねると、

縁も薄れ、

栄華も衰え、

氏の礎石とも云える墓地を整理売却などと

なんとバチアタリな奴めという想い。

複雑な想いに浸っています。

審美歯科治療の際の私の流儀

今日も随分と時間がかかりました。

若いお嬢さんの前歯の治療です。

セラミッククラウンにて修復する前の

今日は仮歯を装着する治療です。

とても重要な処です。

治療が終わり、

手鏡を手にする彼女は嬉しそうになさっておられ、

私もホッと。

で、

セラミック修復において患者さんの関心事は

噛み合わせではありません。

噛み合わせは、プロたる私の腕の見せ所ですが。

患者さんは、歯の形と色に

大きな関心を持つモンです。

形については、

仮歯を観て、

患者さんは大いに満足されるのが判ります。

となると、

次は必ず、色について聞いてこられるのが常です。

この時、私は、

【色は私が決めさせて頂きます】

【私好みの女性になって頂きますので】

キザですみません。

が、

その方が、必ず綺麗になります。

審美歯科治療の色決定は、

私は、そう決めています。

 

くれない塾に参加する

随分と大昔になってしまいました。

東京都麻布開業の内藤正裕先生のくれない塾の合宿に参加したのは。

越後湯沢の高原の中にポツンと佇むホテルだったと記憶しています。

朝の7時から朝食。

で、

7時50分には会議室。

昼食は1時から2時。

2時から再び講義が再開し、

終了は6時。

で、

入浴のあと食事を済ませて、

また講義。

終了は、

先生の体力次第という始末。

1週間のセミナーでしたが、

2日目から、

先生の喉は潰れていました。

情熱の歯科医。

私も必死でした。

ノートに速記。

夜は自室で、1日のノートの清書。

なんせ量が多いってモンじゃなかったですから。

良いセミナーだったと、

今でもしみじみと思い出すことがあります。

1週間、1度もホテルから一歩も、

外出していないンですから。

そう、ホテルの庭へもです。

その位に、

先生から学ぼうと、

金魚の糞のようにクッツイてました。

愕然としましたね。

レベルの違いに。

その時から先生との距離がグッと縮まりました。

私の人生最良の師匠であり、

親父みたいな存在であり。

思う処あり、

来年の9月スタートのくれない塾50期セミナーを

真面目に受講しようと決めました。

内藤先生の診療所へしばしばお邪魔させて頂いた時に、

ガス室と呼ばれる先生の休憩室にて、

二人して煙草のヤニだらけになるほどに

くわえ煙草に先生のスライドを聞くのが習慣となりました。

いつも新鮮で、嬉しそうに、

で、

さぁどうだ!という表情で熱く語る先生ですが、

当人には申し上げてはおりませんが、

いつもいつも同じ話であるので、

先生もソロソロ老化現象が?と、

笑いを堪えて、

時には、

次に先生の口から出る台詞を

私が言って、

二人で苦笑いってなことも

いつもの光景となりました。

が、

壇上に立つ演者は別の人格に変わります。

それは自分が、そうだからです。

先生が日本1の歯科医であることに、

異論のある歯科医は先ずは居らんでしょう。

50期という節目での、

私が追い続けて歯科医人生を歩んできた師匠の

壇上での内藤イズムから、

今だからこそ、

必ず得る新しい発見と気づきがあると

私は、そう思ったのです。

私は歯科医になりたくて、なりたくて、

歯科医をしている果報者です。

歯科医の中の歯科医が、

私の師匠です。

いち学徒に戻って、

新鮮で、

素直な眼で、

内藤節を楽しみたいと。