月別アーカイブ: 2016年12月

臨床使用を前提とするなら研究論文の優先順位を考える

毎月、海外の学会から会報が郵送されてきます。

ドカン!とです。

内容は、ほぼ研究論文です。

論文にはDNA,RNAレベルでの基礎研究から、

それこそ臨床レポートまで幅広いのですが、

読む側の、読む論文への見立てが大切になります。

遺伝子レベルや幹細胞レベル、再生医療レベルの論文は、

近い将来への準備だと考へ、

丁寧にノートに整理しています。

材料や薬剤などの基礎研究は、

成分の身体への伝わり方を中心に、

これはノートに整理しています。

臨床レポートは、

これはあくまでも参考程度にしか考えていません。

臨床応用を前提とした基礎研究については、

注意深く、精査するべきです。

母集団の数、性質は当然のこと、

実験の方法から、

統計処理の方法まで。

ここに落とし穴が在るからです。

実験の方法や対象、統計の仕方によっては、

全く反対の結論が導かれるからです。

また、

研究者の程度も考慮すべきですが、

これは論文の構成を観れば、

なんとなく、は~ん?てな具合で、

予想できるモノです。

患者さんへの診療行為は実験ではありません。

確実な根拠と実績の認められた方法以外は、

治療に採用すべきではありません。

私の診療所での診療は、

全て、

その考えの上で行っています。

なんとなく良さそう!

と、

絶対に安心出来る!

との間には天地の差があることを

認識しなければなりません。

論文の読み方とは、

その様な根拠で行うべきと思っています。

 

クリスマスイブ

もうクリスマスですね。

上の娘が中学受験で最後の追い込みでした。

危機一髪は、父親譲りですから、

私は一言も言えません。

試験が終わりホッと、親子でノンビリと

クリスマスという塩梅です。

1番下の娘から、

封書を貰いました。

で、

これです。

なんとまぁ!プレゼントの数の多いこと。

欲張りなのも、父親譲り。

これにも一言も言えません。

絵を観て下さい。

DSC_0346

本当は娘の年齢からすれば、

同級生のお父さんと比べれば、

私はお爺ちゃんの年齢です。

若く描いてくれて嬉しい気持ちになりました。

小学2年、4年、6年の三姉妹です。

面白いことに、

彼女たちは本当にサンタクロースが居ると信じています。

プレゼントのリクエストが何故サンタクロースに

正確に伝わるかって?

パパがメールにて予めサンタクロースに報せていると

説明しています。

お金はどうするの?

それも予め、

サンタクロースの銀行口座に振り込みしておくんだと。

現代っ子です。

納得しています。

今日も随分と忙しい1日になりそうです。

頑張って!と、

自分で自分にカツをいれてる処です。

あー、疲れた!

今、インプラントの手術が終わった処です。

同じ症例などありませんから、

毎度、毎度の手術の際には、

今でも緊張します。

何千本のインプラントを入れたのか、

今、統計書を確認を確認していませんから

正確な数字は明示出来ませんが、

3千や4千本では足りないでしょう。

が、

慣れることはありません。

毎回、緊張します。

今日の症例は、

インプラントと骨との固定は、

インプラントの先端部分のみにて。

インプラントの頬側の骨は無く、

インプラントの先端5ミリを残したあとは、

完全に露出しています。

ですから、ネジの溝は丸見え状態です。

インプラントを入れたあとに、

骨補填材にてインプラントの露出部分を含めて

大きくカバーして、

インプラントを包み込みます。

縫合が終わり、

レントゲンの現像仕上がりを待っている処です。

インプラントの固定さへ出来れば、

骨補填した部分には、

骨が再生します。

抜糸の後は、

6カ月から8カ月ほど、

待つことが必要です。

このような仕事ばかりの毎日ですので、

本当に疲れますよ。

でも、

好きなんでしょうね。

このスリルが。

 

穏やかに

私は決して社交家ではありません。

診療所での仕事。

大学での仕事。

あとは殆んど、自宅から出ません。

出るとすれば、

犬の散歩と書店へ行く程度。

会合、パーティー、忘新年会などは完全パスの、

人付き合い悪い質だと思います。

私の恩師の一人に、

山口隆二先生という方が居られます。

私よりも10も年配の大先輩です。

先生は現在でも見た目はお洒落の若作り。

海軍士官を彷彿させる姿に、

女性にはモテにモテにモテまくり、

若い時分から、相当 長期に渡って、

女殺しの竜という異名の持ち主でした。

が、

今では表情、言動はおろか、

何から何まで穏やかな紳士へと変貌されて居られます。

先生の趣味は料理。

ご自身の昼食のお弁当から、

ご高齢のご母堂様の一切の食事のお世話を

毎日、手料理でという塩梅。

人は変われば変わるモノだと。

先生と私は、大学事務方、

そして上層部から、

当時から在籍しておられる医局員、

そして彼らから聞いた若い医局員、

となると、

全員なんですが、

ヤンチャ坊主の典型であったというのは衆目の一致する処。

そんな私たちですが、

ヤりたいことは全てして済ませた結果だと思っています。

池波正太郎氏の言葉ですが、

人は良いことをしながら悪いことをする。

悪いことをしながら、良いことをする。

人間なんて、そんなモンさな。

そう言う意味で、

私たちは、

もう好好爺になりました。

が、

心の中には、

未だに熱い情熱の火が炎々と燃え続けてもいるンですよ。

今日も手術です。

綺麗仕事に務めさせる頂きます。

患者さんにとっては、

一つしかないかけがえのない大切な身体の手当てですから。

沢山のお便りに感謝しています

昨日のブログにて認めた、

ご先祖の墓の移転の話しに関して、

あまりにも多くのご意見メールを頂いていて、

ビックリしました。

核家族化が進み、

都会へと出でる人が増へ、

故郷との縁も薄れ、

当然、

ご先祖の墓などには実感も持てず、

それよりも、

親でさへもてあまし、

介護を負担と感じて、

もっと云うならば、

自分の生活で精一杯でという姿が、

今日の日本の現状だと思います。

私の自宅付近では、

雨後の筍のように、

老人ホームの建設ラッシュです。

私が幼い頃に、

祖母に連れられて老人ホームへ行った記憶が在ります。

祖母の友人が、入居して間もない頃だと云う事も覚えています。

50年も前の出来事ですが、

記憶鮮明である訳は、

祖母の友人を同情し哀れむ姿が強烈だったからです。

当時は、身寄りのないお年寄りで、

所得も絶えて、

お身体がご不自由になられた方が、

安心して過ごせる場が老人ホームだったと聞いていました。

祖母の複雑な表情は忘れません。

祖母は90過ぎまで健在でした。

現在は、

お仏壇の中で位牌と姿を変えて、

毎朝の私の下手なお経を聞かされています。

幼少期に人は物事の判断基準を身につけるそうです。

私は年寄りは家で看取るものだと思っていました。

今では介護保険の名の元に、

老後はホームで穏やかに過ごすことが普通になりつつあります。

今では、

何が普通で、

何が正しいのか、

私には判断出来なくなりました。

私の育った時代との価値観の違いが大き過ぎるからです。

私は歯科医師です。

ですから、自然科学を学ぶ人間です。

理論を重視することは身に染み付いています。

が、

私は神さま、仏さま、

無論、

ご先祖さまの存在を信じて疑っていません。

科学が未熟で、

解明されていないだけだと信じています。

ですから、

私がメスを手にする時には、

必ず私は護られた見えない力の支えによって

助けて頂いていると信じています。

毎朝のお仏壇でのお務めは、

子孫である私とご先祖の間の会話の時間だと思っています。

昨日の遠い親類からの依頼は、

情けなく、不快なモノでしたが、

私はご先祖さまのハッキリと、

心で明言しました。

不安にならなくても良いこと。

キチンと安住の地に落ち着いて貰うからと。

不思議なモノです。

ご先祖さまの動揺を感じたのです。

私はセッカチですから、

一週以内に、

段取りの手筈のために業者さんとお会いすることになりました。

医者の癖に、霊を信じるんて!と、

私を変人、バカ扱いするなら、

それはそれで全く構いません。

私は見えない力を信じて、

日々を感謝して過ごしています。

また、

今の時代の常識に精一杯に馴染もうとの努力はします。

が、

嫌なモノは嫌です。

筋目は変えません。

 

今だからこそ古典を学べ

ダイレクトボンディング大好きみたいに

思われている私ですが、

私は適応症例を選んでいます。

生きている歯が先ずは前提です。

大型の修復も行いますが、

決してクラウンを否定する訳ではありません。

またチャレンジケースも珠にはします。

が、

クラウンをするには未だ時期が早いと判断した時です。

ダイレクトボンディング修復にも限界がありますし、

未だ未だ発展途上だと思っています。

そもそも歯と材料の接着には大きな問題点があります。

歯の表面のエナメル質は98%が無機質です。

無機質は疎水性です。

接着状態を長持ちさせるには疎水性である必要があります。

ですから、エナメルと材料の接着は、

くっ付ける相手であるエナメル質が疎水性であるため、

相性も良く、

接着状態も安定していますから、

ほぼ大丈夫と言って良いでしょう。

エナメル質の内部にあり、

歯の形をほぼ構成している象牙質は、

その成分の半数はコラーゲンです。

コラーゲンは有機質です。

で、

まずい事に、コラーゲンは親水性なのです。

ですから、象牙質と材料を接着させるには、

接着剤は親水性と疎水性という

全く性質の反対の基を持たねばならないという

矛盾点をはらんでいます。

その上、

親水性環境での長期の接着状態を維持させなければなりません。

現在、研究が進み様々な接着性モノマーが世に出ています。

未だ未だ発展途上だと考えるべきでしょう。

セラミックやファイバーポストの接着の際には、

接着性モノマーに加えて、

シランカップリング剤の使用が推奨されています。

が、

気をつけなければならない事は、

シランカップリング剤は接着剤ではありません。

また接着増強剤でもありません。

材料と接着性モノマーの間の馴染みを良くするだけのモノです。

シランカップリング剤の威力を向上させるには、

110度で1分間の熱処理が有効です。

ただし、

シランカップリング剤は非常にデリケートな材料です。

製造されてからの日数がとても大切です。

製造メーカーから歯科材料屋さんへ入荷し、

そこでどのくらいの期間、

どの様な環境で保管されていたのか。

で、

診療所が購入してからの日数と保管環境、

これも大いに影響するのです。

私はシランカップリング剤は気休めだと思って使っていますが、

使用方法は熱処理も行っています。

クラウンのセットの際のセメントにも、

接着性セメントが多く使われているようです。

しかし、

セメントの接着力に頼るのは危険です。

何故なら、

接着性セメントの触れる大半が象牙質だからです。

象牙質は親水性ですから、

接着力に永続性はありません。

また接着性モノマーは酸性ですから、

象牙質表層から徐々に浸透し、

コラーゲン繊維を劣化させます。

またクラウンには大きな大きな噛む力が加わります。

ついでに口の中には、

熱い食べ物、

冷たい食べ物、

考えなしに人は放り込むでしょう。

大きな力にサーマルストレス。

セメントは経年的に劣化しボロボロになってしまいます。

クラウンの治療でとても大切なのは、

キチンと適正なデザインで歯を削ることです。

力をしっかりとサポートできるデザインです。

また封鎖を完璧に出来るだけの

スムースな境界です。

これは接着性セメントのない時代の

基本のきでした。

私が長い間臨床を続けてきて思いますのは、

新しいモノは補助程度に、

古くからある確かな方法こそ宝物だと云うことです。

想う処沢山ありの時代

母方の先祖の墓が郡部の田舎にあります。

幼い頃、

春秋の彼岸と盆には、

田舎のボンネットバスに揺られて行くのが

年中行事であり、

私の細やかな楽しみでもありました。

高松市とは縁も所縁もない私が、

当地で開業医をするキッカケとなった訳のひとつに

この墓の存在が在りました。

私がこの墓守りをせねばという、

気持ちが強かったためです。

本来、この墓守りをすべき人間は、

母の兄である私の叔父であたりますが、

西明石にて婦人科を開業していたために、

滅多に遠出は出来ません。

この叔父には息子が1人居りますが、

父息子の相剋著しく、

結局、叔父の葬儀にも来ず仕舞いという始末。

という訳で、

幼い頃から不思議な縁を強く感じる私は、

月毎に、

三枝の墓参りと共に、

足を伸ばして、

この墓の掃除をするのを常としていました。

祖母には可愛いがってもらいましたが、

他の先祖の顔を私は知りません。

が、

それぞれの先祖の戒名と名前を見上げ、

私は血の繋がりを感じていました。

私は齢53になります。

ひとかどの苦労は経験した積もりです。

苦しい時に、

悲しい時に、

困った時に、

何度、ご先祖にお願いしたことか、

本当に頼りない子孫を持ったと、

ご先祖を悩ませたに相違ありません。

今日、

遠い親類から突然の連絡が診療所へ入りました。

内容は、

この一族を弔う墓地を整理して、

土地を売却するので、

私の母方の先祖の墓を移動して欲しいというモノでした。

コレが現在の日本の状況だと、

想う処大いに在りました。

事の正否は云う資格は、私にはありません。

ただ、

その様な状況のなか、

私のご先祖が肩身の狭い想いをさせてはならじとだけ。

で、

承知致しましたと。

代変地は、

気の早い私が、

もう20年も前に自分の墓にと準備していた墓地を充てようと、

電話を聞きながら、

即座に決めていたのです。

本来であれば、

私には、その資格はありませんが、

事情が事情ゆえに、

また、

この墓の守りは私の責任でと云う想いが在りましたので。

ただ、

息子の了解は得なくてはと、

息子に電話にて報告した処、

「 父ちゃんが死んだら俺が守りは引き継ぐから」

と云う返事。

親不幸者の見本のような息子ですが、

あぁ、マトモに育ってるなと、

少し安堵したのです。

最近では、

このような些細なことにも嬉しい気持ちになったり、

逆に落ち込んでみたりと。

段々と、

歳をとっていっている自分を感じます。

で、

此処までは穏やかに綴りましたが、

本心では、

私は怒り、また情けない想いでおります。

この一族の墓は、

古い墓石を辿れば平安時代までさかのぼれ、

広い敷地に分家毎に囲いで被われ、

多くの同氏の墓石で賑わっておりました。

代も重ねると、

縁も薄れ、

栄華も衰え、

氏の礎石とも云える墓地を整理売却などと

なんとバチアタリな奴めという想い。

複雑な想いに浸っています。

審美歯科治療の際の私の流儀

今日も随分と時間がかかりました。

若いお嬢さんの前歯の治療です。

セラミッククラウンにて修復する前の

今日は仮歯を装着する治療です。

とても重要な処です。

治療が終わり、

手鏡を手にする彼女は嬉しそうになさっておられ、

私もホッと。

で、

セラミック修復において患者さんの関心事は

噛み合わせではありません。

噛み合わせは、プロたる私の腕の見せ所ですが。

患者さんは、歯の形と色に

大きな関心を持つモンです。

形については、

仮歯を観て、

患者さんは大いに満足されるのが判ります。

となると、

次は必ず、色について聞いてこられるのが常です。

この時、私は、

【色は私が決めさせて頂きます】

【私好みの女性になって頂きますので】

キザですみません。

が、

その方が、必ず綺麗になります。

審美歯科治療の色決定は、

私は、そう決めています。

 

くれない塾に参加する

随分と大昔になってしまいました。

東京都麻布開業の内藤正裕先生のくれない塾の合宿に参加したのは。

越後湯沢の高原の中にポツンと佇むホテルだったと記憶しています。

朝の7時から朝食。

で、

7時50分には会議室。

昼食は1時から2時。

2時から再び講義が再開し、

終了は6時。

で、

入浴のあと食事を済ませて、

また講義。

終了は、

先生の体力次第という始末。

1週間のセミナーでしたが、

2日目から、

先生の喉は潰れていました。

情熱の歯科医。

私も必死でした。

ノートに速記。

夜は自室で、1日のノートの清書。

なんせ量が多いってモンじゃなかったですから。

良いセミナーだったと、

今でもしみじみと思い出すことがあります。

1週間、1度もホテルから一歩も、

外出していないンですから。

そう、ホテルの庭へもです。

その位に、

先生から学ぼうと、

金魚の糞のようにクッツイてました。

愕然としましたね。

レベルの違いに。

その時から先生との距離がグッと縮まりました。

私の人生最良の師匠であり、

親父みたいな存在であり。

思う処あり、

来年の9月スタートのくれない塾50期セミナーを

真面目に受講しようと決めました。

内藤先生の診療所へしばしばお邪魔させて頂いた時に、

ガス室と呼ばれる先生の休憩室にて、

二人して煙草のヤニだらけになるほどに

くわえ煙草に先生のスライドを聞くのが習慣となりました。

いつも新鮮で、嬉しそうに、

で、

さぁどうだ!という表情で熱く語る先生ですが、

当人には申し上げてはおりませんが、

いつもいつも同じ話であるので、

先生もソロソロ老化現象が?と、

笑いを堪えて、

時には、

次に先生の口から出る台詞を

私が言って、

二人で苦笑いってなことも

いつもの光景となりました。

が、

壇上に立つ演者は別の人格に変わります。

それは自分が、そうだからです。

先生が日本1の歯科医であることに、

異論のある歯科医は先ずは居らんでしょう。

50期という節目での、

私が追い続けて歯科医人生を歩んできた師匠の

壇上での内藤イズムから、

今だからこそ、

必ず得る新しい発見と気づきがあると

私は、そう思ったのです。

私は歯科医になりたくて、なりたくて、

歯科医をしている果報者です。

歯科医の中の歯科医が、

私の師匠です。

いち学徒に戻って、

新鮮で、

素直な眼で、

内藤節を楽しみたいと。

私の履歴書 10.

私は20代の後半に、

大学時代ズット交際していた1年後輩の

当時は既に歯科医になっていた女性と所帯を持ちました。

子どもは3人授かりました。

傍目には幸せな家庭に見えたように思います。

ただ、私は好き放題し続けて居りました。

自由奔放が男の生きる道と考えていましたので。

家人については、

大人しく、何をしても許してくれるだろう位に、

半ば甘えていたように思います。

今考えますと、

若気の至りであったと想わざるを得ない処が

多かったように思います。

歯科治療の技術の習得に夢中でしたし、

機械設備も、

経済状況など全く無視して購入していました。

とにかく上へ上へと、

上手になりたい!

何でもかんでも歯科に関して知りたい。

私の歯科医人生のなかで、

全ての吸収の時代であったと思います。

また、若気の至りで、

よく遊びました。

女性関係も派手で、

今の時代であれば、

到底、許しては貰えないでしょう。

が、

当時の私は、

女遊びも芸のうち程度にしか考えていませんでした。

今考えますと家人は、

よく辛抱したものだと、

悪かったなと、

謝りたい気持ちに、

時々に思います。

子どもたちへは、

私は受けは良かったと、

勘違いかもしれませんが、

私が親の愛情に恵まれない家庭で育ちましたので、

子どもたちへは愛情は注いだ積もりです。

今ともなれば、

何故と思うことが度々あります。

私が若かったのでしょう。

離婚は予想もしていませんでした。

私の考える要所は、

押さえていたつもりでしたから。

相手に私への愛想が尽きたンだと思います。

別れた家人は、東北で開業医を営んでいるようです。

安堵半分、心配半分と言った心境です。

若い人たちには、私のようにはなって欲しくはありません。

が、

仕事、芸の道は酷しいものです。

両立の方法は、

私には判りませんので、

アドバイスは出来ません。

2回目の所帯を持ちました。

これはこれで苦労がありました。

相手が歯科業界とは無縁の人の上に、

私の仕事の体系が、

一般的な歯科医院とは全く違いますから。

また、14も年少の女性です。

私の昭和の感性を理解するのは難しいのでしょう。

ただ明るい人間であるのと、

美的センスは優れて居りましたので、

私の診療所の見栄え、内装、家具などは、

この人の業績だと感謝しています。

ここでも私は3人の子宝に恵まれました。

が、

先の子どもたちとは異なり、

私にとっては孫のような気持ちになるのです。

私は歯科医としてはまだまだ未熟です。

これからも、多くの時間やエネルギーを

歯科に費やさなければなりません。

それは私を、

大勢の患者さんが、

その身で多くのことを教えて下さり、

今日、私が在るからです。

人生においては、

私は多くの躓きを経験しています。

だからこそ、

歯だけは何としても真理を知りたいと思うのです。