月別アーカイブ: 2014年11月

若い時代の終り

若者の嗜好と生活習慣が変わったと言われています。

昔、日本歯科大学.新潟病院の正面にシェルブールと云う喫茶店がありました。
当然、店内はウチの学生で賑わっておりました。

私には別に贔屓にしている店がありましたが、それでも毎週に一度はランチに出向いたものです。

6年程前に、再び縁があって新潟へと帰ることとなりました時に、
この店は勿論のことながら、他の飲食店の姿が消え去っていることに、
あぁ私の若い時代は終わったのだと実感させられたのと同時に、
イッタイ今時分の若い奴等は何処へ行っているのだろう?と、
いぶしがる想いがしました。

昨日、新潟市でご開業の先輩からお電話を頂きました。

このシェルブールは、新潟市の郊外と言っても隣の市に近い処で営業を続けられておられた様ですが、
マスターが体調を壊されて久しかったようです。

で、マスターのご令嬢より、マスターの代理として旧くからのお客さんへとフェイスブックにての御知らせが。

【この度、天国にてレストラン.シェルブールをオープンすることとなりました。皆さまは、ズーと先になられると思いますが、
 こちらへお越しの折りには‥‥】

髭のマスターのご冥福を心からお祈り申し上げますと伴に、私の青春時代は確実に終わったのだと思いしらされました。

マスターの悲報を報せる電話口の向こうで、涙声につまる声と、ホンに味な報せ方で、昔の人間の心の有り様は
今の人には決して判るまいと、私も目頭を押さえたのです。

歯科医の広告

ホームページによって私の診療所なり私を、出来るだけ正確に知って頂けるようにと努力している積もりですが、
此れがなかなかの難作業です。

ホームページは、一種の広告です。
謂わば、宣伝でもあります。

この宣伝を派手に行っている食い物屋に一流の店は無いので、
このような事実を踏まえると、私はホームページについて、控え目にと考えざるを得ないのです。

何処其処の産地などと、大袈裟にうたう食い物屋などにも、一流の店はありません。
確かな店は、いちいち産地など吹聴しなくても、間違いない素材を吟味しているからです。

今のホームページの前のモノは、私的には気に入っておりましたが、
他人目には、随分と変わり者と受け取られた様です。

家族なりスタッフからのアドバイスにて、現在のモノに落ち着いたのですが。

紳士のタシナミを以ての広告は、とても難しいと感じる今日この頃です。

科学を越えた力

幼い頃に、近所の老女と知り合いとなって頂いたる観音様の仏像は
今では私の院長室で、静かに私の毎日を見守って下さっています。

この老女から幼い私は、般若心経を教わり、時にはお遍路へと連れて行って貰った記憶が鮮明に残っています。
子供を授からなかったからでしょうか。血のつながらない私を孫のように可愛がって下さいました。

その老女の好意が在った故に、私はスンナリと神様や仏様の話しが染み込んでいったのだと思います。

幼い頃には、特別にこの観音様のご供養をしていた訳ではありません。
勉強机の横に、ただ置くだけで、線香やお茶をお供えしていた訳ではありません。

なんとなく、後ろめたい心持ちになった時に、ナニか願い事のあるとき、
この観音様の顔を観る自分に気がついたのは、中学生に上がった頃からだと思います。

キチンと線香やお茶をお供えするようになったのは高校生の頃からで、
将来の自分の姿に不安感をつのらせたの時期と一致したように記憶しています。

私は歯科医になりたくて、この道に入りました。

この時に、この観音様に願をかけたことは、今でも忘れてはおりません。
この時から、この観音様は常に私の行動と伴にするようになりました。

何処かへと出向く時などには、肩から下げたる私の鞄の中で、常に私を護って頂くようになりました。

私の信仰心は、この老女からのお導きあった故のものです。

最近、散歩の途中で小さな祠を見つけて、ふと立ち寄ったる際に、
小さな仏様の石像の脇の御寄進者として、この老女の名前を見つけて、
想わず、オバチャンと呼びかけてしまいました。

この老女は随分と前に亡くなってしまいましたが、この時に私の頭の中で
幼い頃からの記憶が正に走馬灯のようにと浮かび上がって。

人は不思議な縁によって、意図しない方へと導かれていくものです。

科学は結果とその過程の証明をすることはできますが、
その行間の不思議を説明することはできません。

此処に私は、科学を越えた力を感じるのです。

新しいオモチャ

朝からスタッフの宮田君と、届いたばかりの新しいインプラント.システムの器具を前に
アラヤコレヤ!と、検品に夢中で、患者さんがお越しになられた事に気づきませんでした。

インプラント治療に対する基本的な考え方は、私はスウェーデン学派です。
ですからインプラント導入時には、迷わずブローネマルク.インプラント.システムを選択しました。

が、14年位前になるでしょうか?
ブローネマルク.インプラントを製造販売するメーカーがスウェーデンからアメリカ資本に変わったのに伴って、
製品のコンセプトなり細かな部分も、以前とは随分と変わってきているのを感じて、
同じスウェーデンのメーカーであるアストラ.ゼネカのアストラテック.インプラントにスイッチしました。

これは正しい選択であったと思っています。
何故なら、海外の著明な研究論文でのインプラントも、同じようにアストラテックが主流となったからです。

アメリカ資本の製品を見下す訳ではありません。
しかしながら、開発から市場に出るまでの期間が短すぎるような気がしますし、
株主重視の経営が強すぎて、医療と云う特殊さ故の、長い目で観るべき姿勢に欠けている気がしてなりません。

数年前にアストラテックも資本がスウェーデンからアメリカへと変わりました。
現状今までと変わらないインプラントでしたが、どうやら近未来的にモデルチェンジするようです。

で、今年は新たなるインプラント.システムの導入のための選択に多くの時間を費やしました。

多くのメーカーに協力して頂きましたことは、大変ありがたいと感謝しています。

私はスウェーデン&マルティナ社のプレミアム.インプラントを選択しました。
イタリアのメーカーですが、加工精度は大変優れていると、私は観ています。
これはミラノなどの加工技術を観ていれば歴然としていますし、
何よりも製品の設計に、スウェーデン学派の最新の結果か反映されているからです。

国内の輸入元である大信貿易は、かつてストローマン.インプラントの我が国での普及を司った信用あるメーカーです。
私のインプラント治療に対しても、万全の協力体勢をしいて下さっているのが伝わってきます。

初オペを前に、久方ぶりに私の血が騒いでいます。

インプラント.システムの違いによって、微妙な指の使いよう、強さを変えねばなりません。
インプラントの設計図面を前に、頭の中でイメージするのですが、
これが楽しくてなりません。

新しいオモチャを前にした子供のような気持ちです。

治療の重さ

診療方法を決める作業は、私にとっては心身ともに大きな疲労を伴います。

インプラントの場合には尚更です。

将来を見据えた治療をと、口にするのは簡単ですが、

いったいどれ程の数の歯科医が、自分の症例の四半世紀を経験したのでしょうか?

人は必ず、歳を老います。

寝たきりの不自由な身体になられた患者さんも、長い臨床生活では経験しました。
脳疾患にて、麻痺のでた患者さんも大勢居られます。
絶えず震えて、上下の歯が噛み合わない状態になった時に、
インプラントに対して直接的な圧力が架からなくなった時に骨は萎縮して、
インプラントと骨の結合は破壊します。

そのようなもしもの時をも考慮した設計を、インプラント治療には考えておかねばなりません。

レントゲン、噛み合わせ模型、口の中の状態を撮った写真等を
机の上にズラリと並べて、仕事の合間、仕事が終わってから、
兎に角、治療方法が私の頭の中に綺麗にイメージ出来るまで、
それこそ帰宅してからも、トイレに入っても、床に就いても、
アレヤコレヤと、
頭のど真ん中に‥‥。

最近では、予め数パターンの治療方法をプログラムに組み込んだソフトウェアがあるようです。
また、歯科医ではない治療カウンセラーだか治療コンシェルジュと、上手いこと云うもんです!
そういったお嬢さん方に、患者さんに対する治療方法の説明をさせるのだそうです。

アホか!と、私は思って観ています。

治療とは、患者さんにとっては大変な想いで受けるものです。
治療を直接する歯科医自らしないでどうするものぞ!と考えています。

治療する歯科医も、患者さんを背負う覚悟でと、私は思っています。

実感

出かけた序でに、夜、映画館へ入りました。

時代モノで役所広司のポスターが目に入ったのですが、
昨年でしたか、書店の新刊の棚に置いてあった原作を買い求め読んでみたものの、
イマイチであったので、さぁどうしよう?と迷っておりました。

何年か前の大晦日に、役所広司演じる山本五十六元帥にいたく感動した私は、
以降、この役所広司に一目おくようになり、このつまらぬ原作をどの様に演じるのかと
この時は、いたく興味を持ったのですが、
すぐ横のブロンドの綺麗な女優の演じる映画を、ヤハリ選んでしまいました。

昔、愚息がヤンキースの松井選手に憧れて、
その愚息にいいところを見せようと背伸びしてニューヨークまで行った事がありました。

肝心の松井選手がプレーする段になった時には、
長旅で疲れた愚息は、眼前の松井選手を前にネット越しに深い眠りでありました。

この時に宿泊したホテルは、セントラルパークの南東にありましたが、
昔、この映画の主人公であるグレイス.ケリーがこの地に滞在する際の常宿と云うか、
所有のアパートであった事をこの時に偶然に知って、
これまた直ぐに感動する質の私は、
ほう!と、古びたこのホテルの調度品等を眺めまわった事を思い出しました。

次にニューヨークに行った際には、このホテルは所有者が変わったのでしょうか、
名前を変えてホテル業を廃して、コンドミニアムとして営業していました。

てな事を思い出しながらのチケットカウンターにて一幕。

ー 58歳以上の方ではありませんか? ー

????

料金表示に58歳以上は割り引きして下さるとの注意書が。

が、いたく私の心は傷ついたのです。

ー 違います! ー

思わず強い口調で、大人気なく返してしまいました。

自分では、いつまでも若い積もりが、他人目には確実に歳をとってる事を実感させられました。

懲りない性分

今度、新潟へ行った折りには、村上市の旧い街並みへと出向いて観ようかとか、
いやいや湯沢の方が佳いのでは?、或いは胎内のスキー場なら近いしリフトが空いているからスキーにしよう!等と考えています。

雪国の過ごし様は、すべてが天候次第です。

以前は、大晦日を伊勢神宮にて迎えるのを常としていた時期がありました。

麻吉旅館と云う創業200年程の旧い宿を常宿として、夕食を早めにとって、
7時をまわった頃には五十鈴川を渡り、内宮へと足を運んでいました。

防寒対策を万全とし、年が変わるまで待つこと数時間!

伊勢神宮一番乗り!の醍醐味を毎年の恒例行事としていた私です。

が、家族の不評のため数年前から、新年の初詣は新潟護国神社へと変わりました。

気短な私ですが、こういうことには辛抱の良いのを皆が不思議がります。

東大寺の二月堂の水取り行事も、最前線にて火の粉を被るために何時間でも待てる私です。

待つ間に何をしているのか?と尋ねられますが、なんのことありません。

寒い!辛い!シンドイ!もう来年からは辞めよう!

と、ズーと此処にいる自分をうらめしく想うのですが、

待っていた瞬間が訪れたる後は、先ほどの後悔などスッカリ忘れて、
また来年もと、いつまで経っても懲りないのです。