科学を越えた力


幼い頃に、近所の老女と知り合いとなって頂いたる観音様の仏像は
今では私の院長室で、静かに私の毎日を見守って下さっています。

この老女から幼い私は、般若心経を教わり、時にはお遍路へと連れて行って貰った記憶が鮮明に残っています。
子供を授からなかったからでしょうか。血のつながらない私を孫のように可愛がって下さいました。

その老女の好意が在った故に、私はスンナリと神様や仏様の話しが染み込んでいったのだと思います。

幼い頃には、特別にこの観音様のご供養をしていた訳ではありません。
勉強机の横に、ただ置くだけで、線香やお茶をお供えしていた訳ではありません。

なんとなく、後ろめたい心持ちになった時に、ナニか願い事のあるとき、
この観音様の顔を観る自分に気がついたのは、中学生に上がった頃からだと思います。

キチンと線香やお茶をお供えするようになったのは高校生の頃からで、
将来の自分の姿に不安感をつのらせたの時期と一致したように記憶しています。

私は歯科医になりたくて、この道に入りました。

この時に、この観音様に願をかけたことは、今でも忘れてはおりません。
この時から、この観音様は常に私の行動と伴にするようになりました。

何処かへと出向く時などには、肩から下げたる私の鞄の中で、常に私を護って頂くようになりました。

私の信仰心は、この老女からのお導きあった故のものです。

最近、散歩の途中で小さな祠を見つけて、ふと立ち寄ったる際に、
小さな仏様の石像の脇の御寄進者として、この老女の名前を見つけて、
想わず、オバチャンと呼びかけてしまいました。

この老女は随分と前に亡くなってしまいましたが、この時に私の頭の中で
幼い頃からの記憶が正に走馬灯のようにと浮かび上がって。

人は不思議な縁によって、意図しない方へと導かれていくものです。

科学は結果とその過程の証明をすることはできますが、
その行間の不思議を説明することはできません。

此処に私は、科学を越えた力を感じるのです。