月別アーカイブ: 2014年10月

幸せな境遇

歳をとって来たからではないと思います。

何故ならば、私と同じ年代であっても、或いは私よりも年配であっても、
ギラギラ野心満々の方は大勢おられるからです。

今年に入ってからは特に、その傾向は段々と高まって来ました。

歯の仕事以外には、全く興味が無くなってしまいました。

私の診療所での治療はモトより、
それ以外の処に於いても、
歯の診療さへ出来て、歯をさへ診れていれば幸せを実感する心もちが強まっていく自分を実感します。

変な話しですが、お金や車、名誉欲など一切に関心が消え失せて、
歯の不思議なる神秘の世界の探究心は強まるばかりで、
益々を以て、変人の謗りを受けるのかもしれません。

歯医者が、歯への関心の、歯へのコダワリが強くなって、何故に変人と呼ばれるのか不思議でなりませんが、
食べるために働くのとは異なり、
関心在ること、興味在ることが仕事であったと云う私は、
幸せな境遇にあると感謝しています。

準備完了!

今年で6年目になります。

今春、残念にもお亡くなりになられました小倉英男 前学部長のベランベェ口調と笑顔が、
この頃になると思い出されます。
定年退職されて、やっと奥様とお二人でご旅行でもされて永年の激務のお骨休みを為さるのかと思いきや、
ご本人だけ、さっさと黄泉の国へと旅立たれました。
奥様も随分と、哀しまれた事と思います。
また、日本歯科大学に於いても、随分と惜しい人材の、余りにも早い喪失に、
残念と云う言葉では言い尽くせない悲しみだけが残って久しいのが本音と云った処でありましょう!

教務部長の藤井教授より、一年生に講演お願いしますと依頼され、断り切れずに引き受けてみたものの、
歯科医相手の講演であれば、これは20年もやってきたので難ない事ですが、
相手が母校の一年坊主!
歯科の入り口に立っただけで、右も左も判らぬ相手に、
イッタイ何を話をするのか?其れも2時間近く!

ヤバイぞ、これは!!

と、窮地に追い込まれて、小倉英男学部長へと電話をかけたる私に対して、

ー 決まってるだろ!なに言っててんだ!バカ野郎!素晴らしい仕事.歯科治療ダヨ!これでいくんだよ! ー

人に頼んでおいてバカ野郎!はないと思いつつ、

ー おめぇしか居ねぇだろう!このタイトルで喋れるのは!頼むぜ! ー

こう言う今では珍しい、人を遣う名人でありました。

おだてられて、一生懸命に努めさせて頂いて6年目になりました。

昨日で準備完了です。

今年は、例年とは違って、全部アドリブで行います。

私は取り柄の無い人間ですが、記憶力だけは良いクチで、
原稿を書いたら直ぐに頭に入って、口からスラスラ、
恐らく役者が台本を覚えるのと同じだと思います。

ですから、講演を引き受けたる時には、先ず原稿を認めて、
その内容に遭わせて写真のスライドを組んでいます。

が、今年の一年坊主は、日頃より苦労をかけられ散々な目に遇わせられている愚息と同じ歳。
イッタイ何を考えて、シナプスの繋がる回路が全く理解不能な愚息からのトラウマで、
原稿を認める手が全く止まって仕舞いました。

それならば、話をしながら、奴等の挙動をジックリと観察しながら喋ってやろうの作戦です。

必ずや、良い歯医者さんになってくれると信じています。

イヤ、参った!

やけに台風の多い年だと、ウンザリしているのは私だけではない筈です。

週末からの連休を利用して北海道へと出向いて行く予定の私は、
台風の進路を眺めながらイライラが募っています。

旭川から随分と奥地に入った処の村だか町から招かれての仕事です。

テレビでの気象情報に、なんとかギリギリで大丈夫だろうと思いながら、
其れでも内心では落ち着かない心もちです。

当地の役場の担当の方との連絡は、当初、言葉が通じるんだろうか?等と
大変失礼な事を案じておりましたが、普通の、イヤ、私等よりもズット流暢なる標準語に
コチラの方が肩身の狭い想いをしています。

何故にその様な言葉の心配をしたのかと云うと、
新潟の奥地や東北の田舎のじい様、ばあ様の語り口に
全く意味不明状態に、ただただ笑みを浮かべて頷く真似をする自分を幾度も経験したからです。

今回私は、自分がどれだけ時代の波に乗り遅れているのかを、マザマザと実感したのです。

ー  あのう?御手配頂いたと云う飛行機の切符が、未だに届かないのですが? ー

と、村の役場の担当の方に問う私に対して、

ー アッハッハ!先生、フライトのチケットはショートメールにて送らせて頂いたナンバーを空港のチケットカウンターでお伝えして頂ければOKですから! ー

大変失礼致しました!
私の方がズット田舎者の時代遅れでありました。

高まる期待

学生街の喫茶店と云う名の唄がありました。

ウチの大学の近くにも、今では店仕舞いして仕舞いましたが、トアル喫茶店がありました。

授業をサボってよく此の店に出入りしていたのは、当然中の当然の私です。

歳が十ほど離れたマスターから聞く大人の世界に、目を白黒させて大人の男に憧れたものです。

店を早めに終らせて、マスターはよく私を引き連れて近くの焼き鳥屋へと誘ってくれました。

汚ない店を、オバチャン二人が商いしており、いつも禿げ上がった親父がカウンターで早くから出来上がっているのを不思議気に観ていた自分の表情が懐かしいです。

ある時にマスターが私にそっと耳打ちしました。

出来上がっている親父は所謂元知識階級であった事。
定年退色して得た小金で、この店を開いた事。
店を仕切っていると云うよりも、二人で商いしている此のオバチャンは、
一人がこの親父のカミサンで、もう一人がこの親父のアレであるとの事。
ご両人には、其々にこの親父との間に子供を設けており、
なんと其れも、同年齢である事。

私は、手に持つ串を想わず目を突きそうになる程に驚いて、
この禿げ上がったる親父の何処にその様な魅力があるのかと
頚が一周する位に不思議がり、
親父のタフさと、
手捌きの凄さに感心を通り越して、尊敬の念を抱き、
以来、私はこの親父に対して敬語と最敬礼をもって接するようになりました。

今では店仕舞いしてしまったと信じ込んでいた矢先に、
先日、マスターからの電話に、突然懐かしい声が!

ー いんやいんや三枝君!元気だってね! ー

焼き鳥屋のオバチャンならぬバアサンの声でした。

親父はとっくの昔に亡くなって、残ったお二人で店の商いは続けていたようですが、
親父の奥方の方が病がちになって、
もう片方のオバチャンが、介抱しながら時折店を開けているとの事でした。

ー 三枝君、いつ来るっけね?待ってるよ! ー

バアサンからの待ってるよ!は少々キツいものがありますが、
最近の見かけ倒しのエセ焼き鳥屋とは此処は違います。

パリパリの塩の鳥皮と唐揚げは、私の舌に今でもその味を遺させています。

ウチの大学の岡先生を食事にお誘いした序でに、岡先生の奥方も御一緒にとお声がけしたる私です。

頭の中で、新潟芸者のいる処でもとアレコレ思案していた私の頭の中は、スッカリこの店に!

バアサンが生きているうちに行かねばならぬ!
情のある人を岡先生に見せてヤらねばならぬ!

と、岡先生の奥方様には汚ない店で申し訳ないが、
芸者は次だと、
ワクワクする期待に待ち遠しい、モドカシイと熱くなる私です。

歯科の学生街の今は

今ではスッカリと寂れた大学界隈の息遣いに、昔を知ったる私には少しもの悲しい心持ちとなってしまいます。

私の若い時分は歯科黄金の時代でありました。

ですから高級外車を乗り回し、世間のヒンシュクをかいながらアッチコッチで食べて飲んで暴れての、
イヤハヤトンでもない輩が多かったのですが、それは其れで土地にお金を落としてある意味での貢献もしてたのが当時の現状でもありました。

今は、歯科氷河の時代です。

親御さんも大変なのでしょう。
キッチリ財布の紐を締めているのと、国家試験も随分ときびしいのが現実です。

皆さんはご存知ないでしょうが、
今では歯科の国家試験は、国家試験と云えるものではありません。

資格試験とは名ばかりで、落とす為の試験と云うのが現状です。

歯科医が増えすぎて、落とす為の試験と国が決めた様です。

歯科大学に入った事が、歯科医になれるという担保にならない時代です。

医療系の国家試験の中で、歯科が一番難しい事を御存じないでしょう!

ですから、学生たちは毎日必死で勉強しています。

此れが良いのか悪いのか、私には判断出来ませんが。

忠犬?の勘違い

昨日も、いつものマッサージのオバチャンを自宅に迎えて、疲れた身体の手当てを受けていました。

本人に聞くわけにはまいりませんから、実年齢は判りません。

が、長い付き合いであるので、手を動かしながらのオバチャンの歩んできた人生物語りから
恐らくは80に手が届くのでは?と内心で、凄く元気だなと驚いているのですが。

かようにご高齢のオバチャンですから、マッサージの力は強くありません。

が、プロとは流石!

此方が黙っていても、今日はこの辺りを重点的にと欲っしている処を判ってのマッサージ。
決して強くはないのだけれど、キチンとツボを心得ておられます。

勝手知ったる他人の家で、何時ものように呼び鈴鳴らして、私の自宅の玄関に上がって来るオバチャン。

でも、なんか様子が変なんです!

年老いた犬のアール君がオバチャンに向かって吠えて吠えての吠えまくり状態。

アール君をなだめて、いさめてマッサージに取り掛かりましたが。

今度はこのアール君。マッサージを受ける私の頭の横にまで、普段であれば肥りすぎで
ベッドの上に登る事さえ出来ぬのに、
この日は這い上がって、オバチャンを睨み付けの一時間。

そういえば、昨日は自宅で私独りキリでした。

ー アールや!オバチャンは浮気相手じゃないんよ!奥さんによーく調教されとんね! ー

オバチャンと二人でお腹を抱えて大笑い!

とは言え、笑うオバチャンを横目に
勘弁して欲しいと思った私です。

新喜劇

ウチの娘は、大の吉本新喜劇ファンです。

ですから、何があっても日曜の4時からはテレビにカジリついています。

新潟では、新喜劇の放映は無いようです。

やはり地方によって、笑いのツボは違うのでしょう。

あんまりにもの新喜劇大好き振りに、何度もなんば花月へと二人して出掛けています。

昨日は、冬に羽織るものを探しにへと郊外のショッピングセンターへ車を走らせたる時に
テレビで娘お待ちかねの新喜劇が。

自宅で、柿の種をツマミながら(これも娘の大好物で、亀田製菓がお気に入りのほとんどオジサンです!)
楽しんで居るのだろうと思いつつ、ハンドルを握りながら耳で劇の成り行きを聞いて居りました。

劇では、女房が友人の婚礼に参列するためにハワイへと出掛けているスキに、
亭主が独身と偽って付き合う若い女性を、留守宅に連れ込んで。
其処に、出発日を1日早合点した女房が自宅へ戻って、慌てた亭主が大慌てで!

耳をダンボに、なんと云う恐ろしい話であろうと、私は鳥肌のたつ想いがしました。

新喜劇どころか、怪談物と言えましょう!

しかも、恐らく劇が終わったる後に、娘が家人に対して云う台詞も、得てして容易に判ります。

あり得もしないこの様な迷惑な話等と、思いながら嗚呼、女は恐いと思うのは私だけではない筈です。

但し男が本当に怒ったら時の恐ろしさは、女性にはその時まで判りますまい。

馬鹿野郎!と蹴上る時などは、真剣に怒っていないものです。

男が本当に怒ったら、だからヤバイと感じたる時には退くと云う事を、親がキチンと教育する必要があるのです。

父と云う病、母と云う病を認めたる岡田尊司先生も、その様な事を書かれておられましたが、
昔から松竹新喜劇の藤山寛美にせよ、笑いは勿論の事ながら、泣かせて、キチンと落とし処というキメ場所がありました。

男尊女卑ではありませんが、女性は控えめに男性の一歩下がってなどは日本の美しさの一つであった等と言ったら
今ではとんでもない奴だと言われかねません。

ペリー提督は、とんでもない事をしてくれて迷惑至極であると思います。

数年前に再婚したる友人の〇〇先生は、歳の離れた新しい奥方と別れた先妻を話に出して

ー 三枝先生、なんで日本はアラブじゃないんだね! ー

等と、馬鹿な溜め息を本気でついて居りましたが、
昔の男が、この様な男の惨状を予見出来たでしょうか?

冬支度

次の日曜に急遽、北海道にまで行くことになりました。

ススキノのある札幌ではありません。

旭川まで空路にて、其処から随分と奥地の方へと車を走らせる辺境の地だそうです。

空港までは、町だか村だか忘れましたが、役所の方がお迎えに来て下さるのだそうです。

役所の方の出迎えがある位ですから、勿論のこと観光などの遊びではありません。

本に長生きするものです。

歯の仕事をしているお陰で、へんな処と言えば語弊がありますが、
縁のなかった処に、こうして行けるのも‥‥です。

かの地は、既に相当に寒い様です。

昨日は冬着を引っ張り出したりで大変でした。

え.に.し

暇さえ在れば、パソコンの画面と睨ら目っこの私です。

今月の授業で使うスライド写真を、あれこれ並び替えては、またやり直しの繰り返しです。

内容を一掃して変えてしまおうと考えてみたり、イヤイヤ其れでは去年までの学生に話した内容との共通性が無くなるからマズイなと考え直してみたり、
その様な事の繰り返しですが、少しもづつ変化を持たせて内容を組み立てています。

今年は、生物学講座の岡先生が随分と助けて下さり、チョッと話のもって行き方に工夫が出来るかも?と思いつつ
それでも本番ではヤッパリ脱線して仕舞うと思います。

但し、本当に良かったのは、ウチの教養過程に岡先生と云うナイスガイが居られる事を知った事です。

医学教育の入り口部分の教養過程において、キチンと心の準備が出来ているのか、いないのかが
そのあとの教育に大きな差を持たらせます。

これは教官の質に大いに影響されます。

人が人に関わる仕事です。

ましてや、関わる人が病の人ばかりであるのが、医者の仕事です。

ウチの学生さんたちは、ホンに果報者だと羨ましい限りです。

講義の後に、恐ろしがる岡先生の頚を取っ捕まえて、焼き鳥でもと思っています。

このようなナイスガイの妻君とは、いったいどのような方なのか?とも興味があり、
是非に奥方様もと、お誘いしようと思っています。

人と人とが出会い、縁ができて、人が人に育てられ、そして人を育てて、
その繰り返しは、命が果てても、繋がれ繋がり、
大信濃の流れのように、
今その流れを見いし人のことなど先の人は知らねども
その人も川の流れに同じ事を想うと一緒なのと。

プロカメラマンの熊木さん

現在、新しいホームページを制作中であることは先にもお話しさせて頂きました。

その中で、大学での私の活動も併せて御見せさせて頂く事となりました。

写真は新潟在住の熊木プロが担当して下さる事に。

とても心強く、安堵したる私です。

熊木プロを日本歯科大学の新潟の人間で知らない人は
まずは居りません。

熊木氏は、現在は大学を退職されてしまいましたが、私が新人の折りには随分と御世話になりました。

大学病院に於いては、写真はとても重要な位置を占めています。

教育、研究において写真は必須です。

単にシャッターを押せば良いと云うものではありません。

臨場感、温度、活き具合‥‥後世にまで遺せる写真はとなると、誰でもと云う訳にはいきません。

熊木氏はとてもとても恐いオジサンでした。

ギョロ目で、しかめっ面で、下手な事を云おうものならば、三脚が飛んでくるんじゃないか!と云った雰囲気の大学御抱えのカメラマンでした。

偉い先生方のテキスト創りのための写真等でも、大変お忙しい日々を過ごされておられました。

診療の記録、研究の記録の為に、大学病院ではカメラは引っ張りだこ状態です。

当時はデジカメなんぞはありませんから、フィルムがなくなると熊木氏の陣取る写真室へと出向いて
フィルムを頂きに行かねばなりません。

部屋には恐い氏が陣取って居られますから、こういう役目は新人へと回って来るのが世の習いです。

但し、写真室へ行っても氏が必ず在室しているとは限らず、不在であれば、フィルム無しで戻らねばならない破目となり、
手ぶらで帰ったものならば、上から不条理にも怒鳴られ!なんて云うのも懐かしい昔の話です。

要領の良かった私なんぞは、フィルムを頂く際には多めに貰って医局の自分の引き出しにプールしておきました。

みんなが、熊木さんが居ない!居ない!と大騒ぎしている時なども、
白衣のポケットに手を突っ込んで、私は図書室へと向かいます。

熊木さんを呼ぶためです。

図書室の受付には、髪の長い、オメメパッチリの其れは其れは美しい女性が居られ、
熊木氏は、暇さえ在れば図書室の受付カウンターに糊でもつけたかの如くであったのを
私はキチンと把握していたのです。

外気の冷たい越後の風で、表情が凍りついたのかとの氏の表情が、
図書室の受付嬢の前では熱気の中のソフトクリームの様であるのに秘かに驚いた私でした。

私は熊木氏からは可愛がって頂いたと感謝しています。

職人気質の熊木氏に、私の方も尊敬の念を抱いておりました。

あれから既に何十年も経ちました。

ヤンチャ坊主であった私が、今では学生に講義をするなんて熊木氏もビックリされていると思います。

既に退職されている熊木にと、藤井教務部長もアジな事をお許し下さいました。

素材が悪いのはどうしようもありませんが、写真だけは熊木プロですから間違いないでしょう!