プロカメラマンの熊木さん


現在、新しいホームページを制作中であることは先にもお話しさせて頂きました。

その中で、大学での私の活動も併せて御見せさせて頂く事となりました。

写真は新潟在住の熊木プロが担当して下さる事に。

とても心強く、安堵したる私です。

熊木プロを日本歯科大学の新潟の人間で知らない人は
まずは居りません。

熊木氏は、現在は大学を退職されてしまいましたが、私が新人の折りには随分と御世話になりました。

大学病院に於いては、写真はとても重要な位置を占めています。

教育、研究において写真は必須です。

単にシャッターを押せば良いと云うものではありません。

臨場感、温度、活き具合‥‥後世にまで遺せる写真はとなると、誰でもと云う訳にはいきません。

熊木氏はとてもとても恐いオジサンでした。

ギョロ目で、しかめっ面で、下手な事を云おうものならば、三脚が飛んでくるんじゃないか!と云った雰囲気の大学御抱えのカメラマンでした。

偉い先生方のテキスト創りのための写真等でも、大変お忙しい日々を過ごされておられました。

診療の記録、研究の記録の為に、大学病院ではカメラは引っ張りだこ状態です。

当時はデジカメなんぞはありませんから、フィルムがなくなると熊木氏の陣取る写真室へと出向いて
フィルムを頂きに行かねばなりません。

部屋には恐い氏が陣取って居られますから、こういう役目は新人へと回って来るのが世の習いです。

但し、写真室へ行っても氏が必ず在室しているとは限らず、不在であれば、フィルム無しで戻らねばならない破目となり、
手ぶらで帰ったものならば、上から不条理にも怒鳴られ!なんて云うのも懐かしい昔の話です。

要領の良かった私なんぞは、フィルムを頂く際には多めに貰って医局の自分の引き出しにプールしておきました。

みんなが、熊木さんが居ない!居ない!と大騒ぎしている時なども、
白衣のポケットに手を突っ込んで、私は図書室へと向かいます。

熊木さんを呼ぶためです。

図書室の受付には、髪の長い、オメメパッチリの其れは其れは美しい女性が居られ、
熊木氏は、暇さえ在れば図書室の受付カウンターに糊でもつけたかの如くであったのを
私はキチンと把握していたのです。

外気の冷たい越後の風で、表情が凍りついたのかとの氏の表情が、
図書室の受付嬢の前では熱気の中のソフトクリームの様であるのに秘かに驚いた私でした。

私は熊木氏からは可愛がって頂いたと感謝しています。

職人気質の熊木氏に、私の方も尊敬の念を抱いておりました。

あれから既に何十年も経ちました。

ヤンチャ坊主であった私が、今では学生に講義をするなんて熊木氏もビックリされていると思います。

既に退職されている熊木にと、藤井教務部長もアジな事をお許し下さいました。

素材が悪いのはどうしようもありませんが、写真だけは熊木プロですから間違いないでしょう!