月別アーカイブ: 2014年9月

優先順位

歯の治療において、診断がついたら次に治療計画をたてますが、その時に先の先を見据えた計画立案が出来るかどうかが、大きな鍵となります。

系統だてて、整理できる能力が歯科医師にもとめられます。

この時、私は口腔組織に優先順位をつけて考える様にいています。

第1番に保存するように努めなければならないのは、歯を取り囲む歯槽骨です。

第2番目が、歯、その本体です。

第3番目は、歯の神経

第4番目は、エナメル質。

歯のそれぞれを、病気の進行状態と照らし合わせて、先ずは歯槽骨の保存を第1優先に考えて、
抜歯しなければならないのか、保存が可能か、ふるいにかけます。

残せる歯は、生きた状態で大丈夫か?出来るだけ神経を採ることの無いように出来るのか?を考えます。

生きて残せる歯は、歯の防護組織であるエナメル質に極力ダメージを与えない治療が可能か?と
考えを先に進めます。

1本の歯それぞれについて、述べた方法で精査しつつ、口全体については、また別の分類方法にて
考えを進めていきます。

第1番に、顎関節組織にダメージを与えないには。

第2番目が、円滑でスムーズな咀嚼機能を獲得するには。

第3番目は、歯の歯列を確りと保全するには。

第4番目、奥歯での、確りとした噛み合わせを確保するには。

第5番目、上下前歯の位置的関係を機能的にするには。

一般の方には難しい話だと思います。
しかし、この辺に配慮出来るかどうかが、、後々の結果に大きく絡んできます。

その上で、メンテナンスしやすい、清掃しやすい環境を整える事にも十分に考慮して治療計画を立案します。

患者さんが帰られてからの、頭を使う仕事のウェイトも大きいのです。

歯科医の器用不器用も、結果に大きく影響してきますが、正しい治療計画に基づいた治療でなければ
良い治療成績はえられません。

物事を推し測るには、何事も優先順位が大切です。

見抜く力

患者さんの病気と、患者さんと共に手を携えて戦う臨床家は、病気の本質を見抜く力を持ち合わさなけらばなりません。

眼前の臨床データーばかりに目をとられていれば、背後に潜む原因を見落とすかもしれません。

そう言う意味で臨床家は、野生動物のような鋭い感性が必要です。

この仕事を長い間、続けていると自然と身についてしまった勘があります。

たとえば誰かと話をすると、その方がどの様な時間を過ごしてきたのかが、不思議と見えてくるのです。

此方としても、それを相手に悟られない様に務めて飄々として振る舞うのですが、

それでも、見透かされている様で恐いと言われたことも度々です。

恐らく自分の子供の事などは、皆誰しもよく判るのと同じです。

普段は離れて暮らしていても不思議と判る、この親特有の勘を否定される方は居ないでしょう

見抜く力によって、先々に生じるであろう危険な状態に至らせない対策を講じることができ、救われた経験を
何度となく味わいました。

逆に、この見抜く力を信用して貰えずに、逆の方向へと無理強いする負荷をかけられたこともありました。
この様な場合においても、結局は私の予想通りの結末になるのですが‥。

近道より、かえって遠回りをする方が結果オーライである事があるように、
人間関係においても、病気の治療においても、同じことが言えると思う様になりました。

横からのおせっかいや、忠告、アクションを受けるのも、対人関係しかり病気の治療然りです。

その様な時においては、決して動じることなく、不動である時には、それに徹するが肝要だと思います。

歯の仕事は、本当に奥の深い仕事だと、日々痛感する私です。

仕方のないこと

私の学生時代の伝説を伝え聞いた人から

ー 先生、随分と遊んだんですってネ! ー

と言われて、

ー だってモテたんだもの、仕方ないじゃない! ー

と、サラリ受け流せる歳になりました。

あの頃は、歯学部人気がピークの頃で、歯学部の学生がチヤホヤされていた時代でもあったので、
今では考えられない恵まれた境遇にありました。

若い時分には、随分と喧嘩っぱやい質でしたので、
母校である日本歯科大学の教務部長を務められている藤井教授などからは

ー 昔、先生は恐かったですよ!ぶん殴られないかと! ー

喧嘩にも、やり様と云うか、一種のルールがあると思っています。

そうでなければ、禍根を後に遺すことになるからです。

また、加減を間違うと、怪我をさせる事にもなりかねないからです。

少し前の、民主党政権前後の政治家同士の政争に、偏差値優等生出の政治家の喧嘩慣れしていない事があからさまで、
随分とシラケた気持ちになりました。

大人になっても、人間社会においては、悲しいかな、もめ事から逃げる事はできません。

それは仕方がないことだと思います。

やんちゃ坊主が、やんちゃの限りを尽くして身に付けた経験で、
なぜか自分に忍び寄る不穏な動きや、その様が、面白い程に手に取る様に判る様になりました。

誰がこうして、こうなって‥‥。

全部見えるので、こっちはシラケてしまいます。

マサかと思うかもしれません。

でも、経験から身に付きた此の勘は、面白い程に当たります!

臨床家は、病気にたいしてキッチリと、最後に辻褄をあわせる気性を持ち合わせるのが定めです。

私は自分に降りかかる火の粉に対しては、払い除けると云うよりも、
最後にガツンと辻褄をあわせるようにしています。

何事も、経験が大切です。

今の時代には無いおおらかさが、此の国にまだあった時代に、青春を過ごせた幸運に感謝しています。

肩をすかしてかわすのも、ガッツリと相対するのも、余裕で楽しみながら出来るのも、あの時代があったからだと思います。

全部お見通しの事なので、相手に憐れみさえも覚えてしまいます。

男は度量と器の大きさで競うもの。

女は、池波正太郎の随筆にもあるように、

ー 女のシタリ顔程に、醜い‥‥ ー

時代劇に登場する江戸城内の茶坊主のような振るまいは、避けなければなりません。

これでも幼い頃から剣道をたしなんでおりましたので、
相手との【間合い】を今でもとても気をつけています。

但し、野暮な奴が多いのも事実です。

住みにくい世の中になりました。

これも仕方がない事かもしれません。

幸いな事にも私の周りには、その様な阿呆はおりませんし、居たら居たで逃げ足速いやんちゃ坊主は今でも健在です。

少数派

変わり者あつかいを受けること度々の私です。

自分では自覚していませんが、よくその様に云われるので、そうなのでしょう。

若い時分に、手術を教えて頂いたネビンス先生から、

ー 新しい事にチャレンジする人間は、ごく僅かの人間である。
   大勢の人は、その成功体験をもとに着いてくる。
     私は、そのごく一部人でありたい! ー

と云う言葉を、よく聞かされました。

若い時に知り合った人、影響を受ける人間は本当に大切だと思います。

出会いは偶然の産物だとは思いません。

出会いを求める努力も、本人の責任であると思います。

棚からぼた餅などと云ったむしの良い話はありません。

棚の上のぼた餅は、棚を揺すって落とす努力をしなければなりません。

厳しい先生と言われますが、私は診療所の質を向上させるための努力を惜しむ事はありません。

それは私が、歯医者になりたくてなったからです。

居心地の良い環境から、耳障りの良い言葉から、確りとした物は生まれません。

己を厳しい環境に、常に晒して、それに耐えてこそ真実が見えて来ると私は信じています。

耐えてこそ、物事の本質に迫れると信じています。

大きな夢を持ち続けること。

夢に向かって、コツコツと努力を惜しまない様に持続させること。

惰性や様々な事象に流されることに抵抗することが、勇気だと思います。

ですから、ノーとハッキリ言う方だと、これは自覚しています。

以前、このような事がありました。

インプラントメーカーの方々と、私の診療所のスタッフと食事に行った時の事です。

なにかの拍子に、営業マンが私のスタッフにビールのお酌を求めました。

ー うちのスタッフはホステスと違うから、自分で注いで! ー

一瞬、座が凍りつきました。

診療所の人間が、医療メーカーと、なあなあの関係になることを私は嫌います。

人間関係で、薬や材料を選ばれたら、患者さんに申し訳がたちません。

診療所の人間と医療メーカーとの間には、ある程度の溝があった方が良いと思っています。

まして私のスタッフは未婚の女性であり、大切な娘さんを親御さんからお預かりしています。

酒など自分のペースで自酌すれば良いだけの事です。

こういう処で、私は変わり者扱いされるのなら、それはそれで構わないと思っています。

この歳ともなれば、自分スタイルは出来上がっているのが普通で、
流行りにフラフラとの方が愚かしいと考えるのは、私が少数派だからでしょう。

大きな隔たり

生きていると本当に色々な事があります。

私の患者さんも、ありとあらゆる方がいらっしゃいました。

普通の主婦の方、お医者さん、サラリーマン、自営業者、政治家、女優さん‥‥。

その患者さんからも、随分と多くの事を教えて頂きました。

私の診療所のスタイルは、たぶん他とは違うのだと思います。

私と患者さんの距離感は、他の歯科医院のそれよりも随分と近いのでしょう。

患者さんと一緒に、京都の南座へお芝居見物に出掛けたり、奈良の東大寺のお水取りへと出向いてみたり、
果ては祗園へと足を伸ばしてみたり‥。

仕事をする上で大切な考え方や行動の実際についても、多くの患者さんの身をもって見させて頂きました。

各界でご活躍される方、事業に於いて成功される方には、ある種の共通点があります。

また、不幸にして事業に失敗された方にも同じように共通点がありました。

その様な生きたお手本は、私にとっては本当にありがたい教科書であり、その機会を与えて頂いた事に感謝しています。

成功される人間の行動なり物事に対する考え方なり捉え方を、失敗される方が理解できる筈もないと云う事もよく判ります。

其れほど迄に、両者の間には大きな隔たりがあります。

その大きな隔たりの生じたる大きな原因は、その日の過ごし様の違いから生じる事も判りました。

人は産まれた時は同じように裸であり、神様が与えて下さった1日の長さも皆、平等です。

育った環境よりも、1日の過ごし様の違い、物事の受け取り方の違いの積み重ねの結果が、

紙一重で、成功と失敗の差となるのだと思います。

私は母校である日本歯科大学の学生さん達へ、

【教えてもらう心の準備】という言葉を使います。

この言葉は、祗園の舞子さんが修行中に何時も心がけて頭のど真ん中に置いておくのだそうです。

なにか同じ1つの事柄でも、観る方向の違いで、後に続く事柄が異なってくる様に、
僅差の違いで、全く異なった人生になるのだと思います。

心配性の整理整頓魔

昨日の夏休み最後の日曜日は、朝から娘を映画館へと放り込み、その間に文庫本を喫茶店へと持ち込んで、
束の間の休息を楽しみました。

3-Dドラえもんにスッカリ満足した様子の娘と一緒に、帰宅してからマリリンを入浴させて、ゆっくりとすき焼きとつつきました。

昔では考えられない位に、丸くなったと言われる私ですが、実際には自分が変わったとは思いません。

凡そ人の性格が簡単に変わる筈もなく、変わったと云われるのは単に表に出さなくなっただけの事です。

私のような歯の仕事を第一番に考えて人生の大半を過ごしてきた者は、確実性と安全性を一番にと云うのが身に染み込んでしまっているので、
何事にも慎重になってしまいがちです。

これは普段の生活でも、至るところに顕れて、通勤時間から通勤経路、何事に於いても普遍性を第一と、変化を好まなくなりました。

書棚の整理整頓に於いても、書棚から出したる本は、必ず同じ場所に返さなくては気がすまない始末。

周囲の者は窮屈でしょうが、もしもの時に困らない様にも、仕事をする上で自然と身についてしまったものです。

私のような歯の仕事をする人間には、こういう窮屈さがある面、必要だと思います。