私の学生時代の伝説を伝え聞いた人から
ー 先生、随分と遊んだんですってネ! ー
と言われて、
ー だってモテたんだもの、仕方ないじゃない! ー
と、サラリ受け流せる歳になりました。
あの頃は、歯学部人気がピークの頃で、歯学部の学生がチヤホヤされていた時代でもあったので、
今では考えられない恵まれた境遇にありました。
若い時分には、随分と喧嘩っぱやい質でしたので、
母校である日本歯科大学の教務部長を務められている藤井教授などからは
ー 昔、先生は恐かったですよ!ぶん殴られないかと! ー
喧嘩にも、やり様と云うか、一種のルールがあると思っています。
そうでなければ、禍根を後に遺すことになるからです。
また、加減を間違うと、怪我をさせる事にもなりかねないからです。
少し前の、民主党政権前後の政治家同士の政争に、偏差値優等生出の政治家の喧嘩慣れしていない事があからさまで、
随分とシラケた気持ちになりました。
大人になっても、人間社会においては、悲しいかな、もめ事から逃げる事はできません。
それは仕方がないことだと思います。
やんちゃ坊主が、やんちゃの限りを尽くして身に付けた経験で、
なぜか自分に忍び寄る不穏な動きや、その様が、面白い程に手に取る様に判る様になりました。
誰がこうして、こうなって‥‥。
全部見えるので、こっちはシラケてしまいます。
マサかと思うかもしれません。
でも、経験から身に付きた此の勘は、面白い程に当たります!
臨床家は、病気にたいしてキッチリと、最後に辻褄をあわせる気性を持ち合わせるのが定めです。
私は自分に降りかかる火の粉に対しては、払い除けると云うよりも、
最後にガツンと辻褄をあわせるようにしています。
何事も、経験が大切です。
今の時代には無いおおらかさが、此の国にまだあった時代に、青春を過ごせた幸運に感謝しています。
肩をすかしてかわすのも、ガッツリと相対するのも、余裕で楽しみながら出来るのも、あの時代があったからだと思います。
全部お見通しの事なので、相手に憐れみさえも覚えてしまいます。
男は度量と器の大きさで競うもの。
女は、池波正太郎の随筆にもあるように、
ー 女のシタリ顔程に、醜い‥‥ ー
時代劇に登場する江戸城内の茶坊主のような振るまいは、避けなければなりません。
これでも幼い頃から剣道をたしなんでおりましたので、
相手との【間合い】を今でもとても気をつけています。
但し、野暮な奴が多いのも事実です。
住みにくい世の中になりました。
これも仕方がない事かもしれません。
幸いな事にも私の周りには、その様な阿呆はおりませんし、居たら居たで逃げ足速いやんちゃ坊主は今でも健在です。