日別アーカイブ: 2014年9月29日

野となれ山となれ!

近いうちに高松市で学会が催されます。

当然の事ながら、ウチの医局からも全員参加します。

遠路遙々新潟からお越しになられるので、皆を歓迎して待ってる積もりです。

同じ医局の後輩たちは、サゾカシ私のことが恐いと思って恐縮するでしょうが、
他の医局に居る嘗ての同級生なんぞは、
ワザワザ私の診療所の電話番号を調べて電話を掛けてきて、

ー イヨッ、こんど高松に行くから宜しく頼むよ! ー

この頼むよ!と云うのが食わせもので、
大概が女の子の居る処で、此れが飲み屋盛り場の類いで在れば未だしも、
変な処を探してくれというものも少なくありません。

オマケがついて、キチンとした処をお願いします等と言われても、
変な処のどの辺がキチンとしているのか判りませんが、
男同士のつき合いと云うのは、この辺りを丁寧に対応しないと大いに信用をなくしてしまいます。

いろいろ聞いて調べて、準備万端と安堵するのもつかの間で、
夜、眠りについている私の携帯電話をコッソリ盗み観したる家人の眼に!

こうともなると家人の妄想は限りなく!

ー イカガワシイ!不潔!汚い!病気を持ち込まないで! ー

から果ては、

ー 神様、仏さまの天罰が当たるわよ! ー

私の云う言葉は全てがウソっぱちの扱いに!

昔、友人に誘われて韓国へと行った私が、何年も経ってから家人にパスポートをチェックされバレる羽目になった事がありました。
情けない事に、韓国に行ったものの、罪の意識で私は独りで免税店に行って、夜は独りホテルの部屋でルームサービス。
友人には情けない奴と馬鹿にされ、疎遠になってしまいました。

ー あなたの女遊びが再発した!! ー

と、仕事の合間にメールを寄越され
遂には私は爆発したのです。

後は野となれ山となれ!です。
私は疲れました。

住みにくい時代

先のブログでの私の友人ではありませんが、一度離婚を経験した人間は、何かと考えるように変化するものです。

何故ならば、この私もそうですし、私の医局に居た人間の何人もが、そのように変わったらしいからです。

私が若い時分を過ごした医局の大勢が離婚を経験しているので、皆で

ー 俺たちは人間が偏ってるんかな? ー

と、自嘲気味な雰囲気になりますが、
皆どちらかと云えば、男らしい性格のナイスガイばかりなので、

ー なんで別れたの? ー

と、つい気になって互いの昔ばなしに聞き耳をたてたり、自分の話を聞いて貰ったり‥。

で、共通するのは、離婚でどれ程の労力を費やして精根尽きたのか、
それと二度目なので同じ過ちを繰り返さない様にと、どれ程の労力を費やしているのかです。

この努力は傍目には判らないでしょうが、そもそも人間の性格が簡単には治る筈はありません。

相当な努力によって、再婚した男は自分を抑えて抑えて我慢して過ごして居るのです。

ところが再婚したる者は、そもそもの相手の元々の性格など知りませんし、
知っていても我が道を行くが女性の性とも言えましょうから、相手の苦悩などには関心がありません。

私なども、常々は波風立たせぬ様にと気を配り、家人の顔色を伺い、子達にも嫌われない様にと努めて涙ぐましい努力をしております。

となると、女と云う生き物は際限なく要求なり幸せのハードルが高くなり、ついには大気圏から飛び出す程に。
悲しいかな、それにも気付かず蛇が獲物の頚をジンワリと締め上げるかの如くの振る舞いで、
そして遂には私も辛抱の糸がプツンとキレて爆発!

キレたら子達は家人の味方。
いい歳をこいてキレるなんて、感情のコントロールの出来ない未熟な人間と蔑まされる始末。

到底、口では女には敵わないので、物にあたれば暴力的な野蛮人。

ブッチギれて、手をだそうものならばDVだ!と大声で叫ばれる始末。

理路整然とした話には、別の理論で対抗され。

相手の攻めは一向に止まず、後ろを振り返れば全ての退路は絶たれている状況。

私のような職人は、元来癇癪もちの感情派と昔から相場が決まっているので、自分で自分が判らなくなる始末。

私のこのブログにしても度々、家人の耳にいれるケシカラン輩が居り、

ー  内容が赤裸々過ぎる! ー

等と忠告するらしく、その都度に私は叱られるのです。

そもそも文章と云うのは、面白ろ可笑しく誇張するものであり、読む側も当然その辺はワキマエテいるものですが。
余所の家に揉め事を持ち込む輩には、私の文章を読解する能力などは持ち合わせている筈もなし。

昔の文豪は、夫婦喧嘩の折りには心の中で山手線の駅名を順次諳じて居ると書いておりましたが。

最近では滅多に耳にする機会は無くなりましたが、

ー 馬鹿野郎!出てけ!ー

などの大声のもとにちゃぶ台ひっくり返してなんぞしてみようものならば、大変な事になる昨今です。

イヤイヤ住みにくい時代になりました。
恐らく池波正太郎の随筆など読もうものならば、非難の応酬を受けるに相違ないでしょう。

戦前、できるものならば江戸時代に産まれたかった。

母という病、父という病

今、新しいホームページを製作中です。

この企画は、私の治療を実際に受けた女性の患者さんの手に依るものです。

今までの歯科医に無いホームページを創ってくれようと頑張って下さっています。

その姿勢がズッシリと伝わるので、私も言われるままに協力しています。

そういう訳も在って、私は馴れぬ手で、日本中の歯科医のホームページを観るように努めています。

これが結構面白いのです。

で、特に興味をひいたのが、先生のかあちゃんが主役を食って登場しているのホームページです。

一体、ここは誰の診療所なのか判らぬ処も在りました。

こう言うホームページって結構多いんですよ!

ー この先生、サゾカシ肩身の狭い生活だろうに!可哀想! ー

と、考えてしまうのは私だけでしょうか?

かあちゃんがデシャバルのが悪いとは思いませんが、
明らかにデシャバルと受け取れる医院のかあちゃんは、
みんなが歯科医でないのが共通点でも在りました。

専門知識と医療の心の教育を受けていないから、このような恥たる行いができるのでしょう。

凡そ小規模の自営業においては、かあちゃんは控え目であるべきと思います。

出来れば、資格をもっていないかあちゃんは診療所には出ないで、
時たまスタッフにお菓子でも差し入れる位が上手くいくものです。

院長のかあちゃんが、判りもしないのに、アレコレとスタッフに指示する事は邪魔以外の何物でもありません。

アパホテルのかあちゃんみたいなのは稀と言って良いでしょう。

父という病、母という病と云う本が在ります。

母性の種類、程度を確りと認識できることが肝要です。

兎も角、強くなりすぎたる女性、弱くなりすぎた男性。
何事も程度が大切だと思いませんか?

友人からの便り

大学時代の友人から電話がありました。

この友人は一度結婚に失敗して、二人の子供を先方に引き取られた数年の後に再婚しました。

六歳ほど年下の女性ですが、この女性との間には子供は授からず、今は犬と猫を飼って
幸せに過ごして居ると、私も友人として安堵していました。

ー 俺は何のために生きてるんだろう? ー

イキナリの台詞に言葉を失いました。

傍目には何不自由ない恵まれた開業医に見えるのかもしれません。

私は友人の心の底にある叫びに近い声がよく理解出来ます。

友人は、とても真面目な歯科医です。
その辺に転がっている歯科医とは比べ物にならない位に真面目な歯科医です。

ですから生活全般に渡って、真面目なんだと容易に想像がつきます。

こう言うのは、女性なんかからしてみれば、男の更年期、或いはチョッと鬱傾向と受けとるに違いありません。

が、得てして男とはこう言うもんです。

真面目に仕事に向かい合っていると、身体も心も疲れます。
休息しても休息にならない疲労もあるのです。

私としてみれば、ただ友人の心の汚泥を聞いてあげることしか出来ないのですが、
内心では、みんな同じなんだと安堵する自分が居ました。

私はどちらかと云えば、小説よりも随筆を好みます。
で、女性の書いたものは余り好みません。
好まないと云うよりも、よく判りません。

感覚的に男は、女性とは当然ですが、全く別の生き物で在ると認識しています。

長い電話でしたが、最後に私の口から出た台詞は、
みんな一緒であること、こんな本を読んでみてはどうだろう位なものでした。

軽薄短小な時代に、このような真面目な人は暮らしにくくなったのだと思います。

テレビを観ても、凡そ芸とはほど遠いお笑いや、バラエティ番組ばかり。
ニュースをつけても、ひとつの事件をみんな総出で叩くのみ。
政治家を観ても、みんなか自分か判らぬ内輪の喧嘩と、アッチとくっつきコッチと妥協でくっついての茶番劇。

いよいよ以て、程度の低さを競いあっているのかしらんと疑いたくなる程に、
この友人の憂いは、誠に純真無垢なる精神と、この友人の心とは違って安堵したる私でした。