先のブログでの私の友人ではありませんが、一度離婚を経験した人間は、何かと考えるように変化するものです。
何故ならば、この私もそうですし、私の医局に居た人間の何人もが、そのように変わったらしいからです。
私が若い時分を過ごした医局の大勢が離婚を経験しているので、皆で
ー 俺たちは人間が偏ってるんかな? ー
と、自嘲気味な雰囲気になりますが、
皆どちらかと云えば、男らしい性格のナイスガイばかりなので、
ー なんで別れたの? ー
と、つい気になって互いの昔ばなしに聞き耳をたてたり、自分の話を聞いて貰ったり‥。
で、共通するのは、離婚でどれ程の労力を費やして精根尽きたのか、
それと二度目なので同じ過ちを繰り返さない様にと、どれ程の労力を費やしているのかです。
この努力は傍目には判らないでしょうが、そもそも人間の性格が簡単には治る筈はありません。
相当な努力によって、再婚した男は自分を抑えて抑えて我慢して過ごして居るのです。
ところが再婚したる者は、そもそもの相手の元々の性格など知りませんし、
知っていても我が道を行くが女性の性とも言えましょうから、相手の苦悩などには関心がありません。
私なども、常々は波風立たせぬ様にと気を配り、家人の顔色を伺い、子達にも嫌われない様にと努めて涙ぐましい努力をしております。
となると、女と云う生き物は際限なく要求なり幸せのハードルが高くなり、ついには大気圏から飛び出す程に。
悲しいかな、それにも気付かず蛇が獲物の頚をジンワリと締め上げるかの如くの振る舞いで、
そして遂には私も辛抱の糸がプツンとキレて爆発!
キレたら子達は家人の味方。
いい歳をこいてキレるなんて、感情のコントロールの出来ない未熟な人間と蔑まされる始末。
到底、口では女には敵わないので、物にあたれば暴力的な野蛮人。
ブッチギれて、手をだそうものならばDVだ!と大声で叫ばれる始末。
理路整然とした話には、別の理論で対抗され。
相手の攻めは一向に止まず、後ろを振り返れば全ての退路は絶たれている状況。
私のような職人は、元来癇癪もちの感情派と昔から相場が決まっているので、自分で自分が判らなくなる始末。
私のこのブログにしても度々、家人の耳にいれるケシカラン輩が居り、
ー 内容が赤裸々過ぎる! ー
等と忠告するらしく、その都度に私は叱られるのです。
そもそも文章と云うのは、面白ろ可笑しく誇張するものであり、読む側も当然その辺はワキマエテいるものですが。
余所の家に揉め事を持ち込む輩には、私の文章を読解する能力などは持ち合わせている筈もなし。
昔の文豪は、夫婦喧嘩の折りには心の中で山手線の駅名を順次諳じて居ると書いておりましたが。
最近では滅多に耳にする機会は無くなりましたが、
ー 馬鹿野郎!出てけ!ー
などの大声のもとにちゃぶ台ひっくり返してなんぞしてみようものならば、大変な事になる昨今です。
イヤイヤ住みにくい時代になりました。
恐らく池波正太郎の随筆など読もうものならば、非難の応酬を受けるに相違ないでしょう。
戦前、できるものならば江戸時代に産まれたかった。