月別アーカイブ: 2013年11月

インプラント治療に携わって

 歯科保存学を専攻する私が
インプラント治療を採り入れたる
最大の理由は
ポステリア.バイトコラスプへの
対応の為である。

 此れは、
奥歯を失うと、
噛み合わせの支えを
失うと云うことである。

 部分入れ歯を確りと
造っても
入れ歯は粘膜の上に
乗っているので
粘膜の圧縮により
少し沈下する。

 この為、
噛む力の大きさ故に
残っている前歯に
大きな負荷がかかり
前歯がゆっくりと
前へ前へと
倒れてくる。

 残っている歯に
大きな負荷がかからない様に
インプラント治療にて
噛み合わせの負荷を
軽減したい。

 私のインプラント治療は
歯科保存学的な考えからであった。

 当時は
テキストも無く
海外での
研修が学問取得の
唯一の方法であった。

 25年程
インプラント治療に携わってきたが
未だに試行錯誤の最中である。

 私の診療所で
準備しているインプラントメーカーは
数社に渡る。

 インプラントの種類は様々で
患者さんの体質、骨質、
骨と粘膜の形から
患者さんの要望を踏まえて
ベストなものを選択している。

 また、部品が同じでも
作り方も様々である。

 凝りすぎかもしれないが
此れは
永くインプラント治療に携わって来た者の
使命である。

セラミッククラウン その3

 添付の写真は
先の症例とは違うものであるが、
これも金属の裏打ちの上に
セラミックを盛り上げて
製作したメタルボンドクラウンである。

 瑞々しいウェットなる
活きた歯の色調が
見事に再現されている。

 どの様な理屈を捏ねても
最後は技術力である。

 最近話題のレストランの
偽装標示メニュー問題であるが、FH000004
ワザワザ産地に偽りの
ごたくを並べなくても
料理の腕が善ければ良いのである。

 自身の腕に自信がないから
看板、権威が欲しくなる。
逸れでも、自信がないから
メニューに嘘を列びたてる。

 技術力を問われるのは
歯科も同じである。

 最後は腕である。

セラミッククラウン その2

 セラミッククラウンの
製作工程を
知らない方が多いと思う。

 添付の写真は
セラミッククラウンの製作途中のものである。

 但し、一般的な作り方では無い。

 セラミックは陶器である。
釜で焼いて
歯の色と形を
造り出す。

 特殊な液を浸した小筆に
様々なる色合いを持った
セラミックのパウダーを採って
歯の形へとFH000002
盛り上げていく。

 歯の内部に
どの様にして
色を入れ込むかは
秘密である。

診療哲学?

 今更ではあるが、
【哲学】とは、
根本原理を追及する学問である。
では、根本原理とは
基礎となるおおもとの法則や理論である。

 哲学も医学と
同列にある
自然科学ととらえるならば
理論面での
起承転結が必要である。

 従って、
診療哲学なるものは
科学的に証明され、かつ
結論付けされる意味合いではないので
この様な言葉遣いは
歯科医の品格を
貶める結果に成りかねない。

 哲学とは
禅問答に似た
知的学問である。

時代遅れの私

 本業である歯科に関しては
時代の最先端にある私に
異論を唱える業界人は
皆無である事は断言出来る。

 が、それ以外は
カラッキシ駄目な私である。

 私のブログの文章が
難しいと
家人からアドバイスを承けた。

 ー ??? ー

 私には全く判らない。
漢詩に涙する私である。
口語より文語体を
好んでメモ書きに遣う私である。

 私の文章は
堅い人間と
受け取られる様であるが、
私も既に50過ぎたる
日本男子である。

 私が患者であれば
任せて大丈夫と感じられる人間に
此の身を託す。

 私はタレント業ではない。
技術者である。

 但し、
一流レストランでも
偽標示の体たらくである。

 地道にコツコツ型には
住みにくい時代となった。

 良いものは
時代が移ろっても
変わらず
光を放っている。

審美歯科 セラミッククラウン

FH000006 どうせ歯を治すのであれば
綺麗にしたいと云う
患者さんの気持ちは
痛いほど判る。

 歯を入れるまでは
皆がどの様な種類の
材料と治し方があるのか
問うて来られる。

 ジックリと説明するが、
私の心の内では
最後は皆が得心する事が
判っている。

 自然な歯を入れるのには
私は自信を持っている。

 添付の写真は
上の小臼歯に対して
造った人工歯である。

 これはオールセラミッククラウンではない。
メタルボンドクラウンである。

 金属を使えば
見かけが劣ると云う
歯科医が居るが、
金属を使っても
此の通り
自然感は表現出来る。

のどかな休日

 昨日の日曜日は、
下の二人の娘達を連れて
山へと行った。

 二人の落ち葉の上の
ドングリを
拾いながら箱の中へと
入れる様を、
まさか後で
食わされぬかと
案じながら
眺めて
のどかな一日を過ごした。

 夕刻、店から帰って来た
家人が、

ー 今日はオジサンのお客さんが来てね ー

ー 其れがどうした? ー

ー パパと同じ歳か、60位の人で~ ー

 バカ野郎と怒鳴りあげ、
それ以上の話を
打ち切ったのは云うまでもない。

私の毎日

 私の診療所での毎日は
何処かの誰かさんの
成したる治療の
やり直しばかりである。

 神経を採る治療のやり直し。
審美歯科をうけた筈が
余計に汚くなった見掛けのやり直し。
インプラントを頻りと薦められ
インプラントの名医と思い
思い切ってインプラントをしての失敗の
やり直し。
噛み合わせを治したら、
余計に噛めなく成ってのやり直し。

 私は大学の教育と
卒業後の教育に
大いに問題ありと思っている。

幼い娘と私

IMG_20120205_131144 上と下の娘は
所謂パパッ子である。

 私には手が二本しか無い故に
右が上で
左が末の娘と云う事になる。

 真ん中の娘は
何時も溢れて
ママの元へと。

 逸れでも、
周りを見渡し
二人の姿が見えないと
顔をクシャクシャにしながら
私の膝の上へと
駆けよってくる。

 歳とっての娘と云うのは
孫の様で
可愛いものである。

 幼い頃の私は
父親の膝の上になど
乗った事など無かったから
自然と膝に乗る娘達に
戸惑いを覚えた。

 此の娘達にとって
私はどの様に
映っているのだろう。

新潟親善大使

IMG00180 私は開業医であるから
日中は診療に追われ
人と会う場合には
自然と診療が終わった
夜になる場合が多い。

 私は外食を
家族以外と採るを
好まない。
此方が支払う、
嫌々、私が支払う等と云った
やり取りが億劫で
他人に御馳走してもらったら
旨いものも
ロクロク喉に通らない。

 又、私は手酌の主義で、
人に酒など注いで貰ったら
此れもロクロク
酒が喉を通らない。
であるから、
他人に酒を注ぐのも
私は酌婦ではないから
嫌いである。
そうなると、
気が利かない奴、
生意気な奴と
思われる機会も在るだろうに、
こう言う訳で
私は他人との外食を
好まないのである。

 であるから、
人と話をする際には
私の診療所へと
お越し頂いているが、
私は午後も9時を廻ると
眠くなって仕舞う。

 皆、その様な気儘なる
私の習性を聞き及んでいるのか
打ち合わせでも
凡そ遅くとも
9時には終わって
其れから
私は独りで
片付けをし、
診療所の鍵をする。

 見慣れた街並みである。
しかし、
大いに疲れたる時に
私の脳裡には
かくの如き
越後新潟の萬代橋周辺の
光景が
過るのである。

 自称、新潟親善大使の私である。