信仰を持つことに
怪訝な眼差しを向けられる機会が多い。
元来、日本人と云うのは
生活の中に
自然界に対する畏れと敬意から
身近に
神様や仏様が
いらっしゃった筈である。
別段、
ワマトタケルが、
イザナギ、イザナミがと
信じる信じないと云う
問題では無い。
今大学生の娘が
中学生の時分に
英語の個人教授を受けていた。
若い女性であったが、
確か英国男と結婚し
小さな男の子が
居たように記憶している。
娘は洗脳され易い年頃であった。
在るとき、
科学を否定する言動を
娘が口にする様になった。
私は歯科医である。
いやしくも自然科学を専攻した
歯学博士である。
娘はダーウィンの進化論を
真っ向から否定する様になった。
反抗期の娘ほど
父親にとって
恐ろしいものはない。
娘は反論する私が
話をする間、
ズーと
十字架を握りしめ
うつ向いて
何かを
口の中で唱えていた。
コリャあかんと、
立ち去る私の後ろで
娘は十字をきった。
ここに遂に私の怒りは炸裂したのである。
ゆでダコの様な
怒り絶頂で私は
此の英語教師の家に
怒鳴り込みしたのである。
「あんたの倅に
俺がお不動さんの信言教えて
高野山へ修行に連れてってやろうか!」
其れは困りますと
タジタジになっていたが、
此の人は
本当にダーウィンの進化論を否定し
神様が人を造ったと
信じていた。
私は信心深い人間である。
海には海の神様が、
山には山の神様が
いらっしゃると
身体の中で
其のように感じている。
が、頭のなかは
私は科学を学ぶ人である。
其の辺りを
追及されれば
苦しいが
自然界や人の身体には
科学を越えた
或なにものかの力を
感じざるを得ないのである。
特に人の身体を預かる医師たるもの、
データー重視の専門職よりも
哲学を持ち、
目に見えぬ力を畏れる人の方に
立派な仕事をするを
接しての
私の考えである。
付随の写真は
越後の覇王である
謙信の山にある
神社である。
此の様な処を
訪れる度に
私は何かしらの
力を頂いていると
感じて
感謝するのである。