カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

走りに走る

カルテを記載しながら、時計に目がいってしまいます。

10時45分を回った処です。

山形市から宮城へと向かおうか?それとも天童市から入ろうか?と、

標識を前に考え込んで、

灯油やガソリンを入手しようとスタンドに並ぶ車の窓を叩いて、

確かな情報を得ようと必死でいた自分の声が耳に残っています。

前には気の遠くなりそうな雪の山々が立ちはだかっています。

これを越えなければ仙台へは行くことは出来ません。

テレビからは、繰り返し繰り返しACの代替広告の音楽とナレーションが流れて、

私の神経を逆撫でさせています。

新たな情報が報道されるかもしれずスイッチを消すこともできずに、

泣きたいやら、腹が立つやらで。

一車線程の曲りくねった小径は凡そ7メートルの雪の壁で両の側を囲まれています。

無論、路面は雪で覆い尽くされ、白、白、白一色の世界です。

下りの坂で、車の尻は左右に振られ、

時には車の前のバンパーは、角を雪の壁にぶつかり、

走りに走ったのが、4年前の今日の今時分でした。

今思い返すと、それでも私は恵まれていました。

倅は私からのメールに、東北大学医学部病院へ歩いて向かっていたのですから。

当然、そんなことは私は知りません。

ただただ、杜の都と唱われる街と広瀬川の光景を瞼に浮かべて走り続けていました。

夕刻に倅を見つけ、ターンして再び、闇夜を越後目指して走りに走った身体の震動が

今でも身体に記憶されています。

何処だかサッパリ判りませんが、途中で立ち寄った小さな食堂で、

倅が黙って掻き込む丼の湯気に、涙で視界が曇って、安堵するやら、不安な心持ちで、

表現の術がありません。

昨夜も今朝も、白檀の焚き、ただただ被害に遇われた多くの方々のご冥福をお祈り続けていました。

ふと、時計の針を目で追って、あの時の私を思い出してしまいます。

納車して間もない車のタイヤを破棄して、

ホイールに届いたばかりのスノータイヤに履き替えて、

ー お父さん、どうぞご無事で!息子さんは絶対に見つかりますよ! ー

彦根市のタイヤ舘の店長さんに見送られて、

ハンドルを大きくターンしてアクセルを踏み込んだのが、四年前の今です。

顔中は真っ赤に火照り、胸は張り裂けんばかりで、

速く、速く、日本海を目指せと火の玉になったのは

私も人並みの親であったからでしょう。

親の自覚が在るのか無いのか判らず過ごしてきましたが、

本能的な直感を大切にしていたいと、改めて感じて今を過ごしています。

合掌

未だに3人の娘たちと一緒にお風呂に入り、並んで床に就いています。

テレビから流れる津波の映像に、娘たちは心が高揚した様子です。

この大きな災害と、父と兄が関係していることに気づいているようです。

並んで床から天井を仰ぎながら、上の娘が口が開きました。

ー パパ!地震の時に兄ちゃんとパパは何があった? ー

一通りの話を聞かせて、あの日の惨状をその通りに話しました。

両の側からすすり泣く声が聴こえます。

未だ不明の方々が2500人も居られることに、娘たちは想う処が在ったようです。

気がつけば、皆が布団から両の手を出して合掌していました。

暫くして、寝息が。

眠る娘たちのあどけない表情と、

あの日、私の残像として生涯残るであろう、被害に遇われた多くの幼児の表情が

心に多くの想うところを‥。

言葉では言い尽くすことが出来ません。

愚かな生き方だけはしてはならないとだけ、

それが生かされた者の最低限の道理だと思っています。

今日、あの日を迎えて

其々の想いで今日の日を迎えたことと思います。

昔の記憶は鮮明に昨日の事のように覚えていますが、

最近のことはサッパリにて、これも歳のせいかと悩んでいます。

が、4年前の今日からの数日間の出来事は、生涯忘れることはできないでしょう。

人として、歯科医として私が生まれ変わった日ですから。

翌日に倅と、新潟駅にて待ち合わせの約束をしていました。

宮城県から私の第2の故郷である新潟にて高校へと進学するための受験を眼前に控えていました。

倅と愛犬の切符も既に倅のもとへと送り、

一路新潟を目指して、車を走らせていました。

阪神高速を神戸辺りを過ぎた時に、倅からの着信音が鳴り響きました。

ー 父さん!助けて! ー

プッツリと切れた携帯電話の応答はまったくありません。

車中のテレビ、ラジオでの報道は、時間の経過とともに私の奈落の底へと突き落としました。

取りあえず、大阪にて情報収集に努め、

夜明けとともに私は、北陸道で新潟経由で宮城県に向かう決意をしました。

が、生憎の雪、雪、雪。

道路規制にて彦根にて道路から下ろされてしまう始末!

朝の9時頃です。

初めての街で、スノータイヤを見つけるために走り回りました。

季節外れの雪のために、何処へ行ってもスノータイヤはありません。

諦める訳にはいかず、探して、探して、最後の最後に、

タイヤ舘の店長さんが一肌脱いで下さいました。

ー お父さん!息子さんの処へは絶対に行かせてあげます!神戸からタイヤ直ぐに運ばせます!

  昼過ぎには、出発出来ます! ー

今での車中から彦根を過ぎる時に、タイヤ舘の方角に手を合わせて御礼するを常となりました。

大泣きして、店長さんにお礼を申し上げ、吹雪の彦根城を仰いだ日を忘れません。

深夜、新潟の自宅へと入りました。

本来であれば、今ここに一緒に居る筈の倅の所在は不明です。

警察でも、母校においても、危険であるからと

当地へと向かうことは止められました。

ー 時報零時を基準に2時間おきに10分間だけ、東北大学医学部病院前で立て!父は必ず行く! ー

とだけ、届くか届かないか判らないメールを送り、

朝の5時に新潟を出発しました。

荒れ狂う日本海を横目に北の山形へ、

そこからは雪の山を越えて大平洋側へと向かわなければなりません。

辿り着いた経路は判りません。

雪国の人情に助けられ、先へ先へと誘って頂いた恩情を忘れません。

夕刻、病院前でボロボロの姿になった倅の姿に、

私は神様、仏様の存在に確信を持ちました。

荒れた街を抜け出して、再び雪の山を越えて、

新潟の象徴である信濃川に横たわる萬代橋の姿に、

あぁ!生きているを実感したのです。

この間、様々なドラマがありました。

倅を落ち着かせて、再び当地へと舞い戻る決意をしたのは、至極普通のことでした。

こんな短い間に、私ら親子は大勢の方々に助けて頂きました。

家人を、娘を探して居られる方々がいらっしゃる筈だと!

東北大学医学部病院はロビーも、何処もかしこも怪我人、病人の手当てで精一杯でした。

歯科医にしか出来ないこと!

不幸にして命を失った方々の所在を確認できることが、私たちの使命です。

津波の恐ろしさ、原子力の牙を思いしらされました。

戦争を知らない世代ですが、仮に戦争がひと度起これば、

このような光景になるであろうは容易に想像出来ました。

多くの犠牲になられた方々とご遺族の哀しみの上に、

今の暮らしが在るのだと日々、痛感しています。

私も心に傷を受け、未だに癒えてはいないと思います。

地震の度に、鼓動が激しくなります。

この頃になると決まって流れる津波の映像に身体が震えます。

この数日は、静かに線香を焚いて、被災者の方々のご冥福を祈り、

お世話になった名前も知らぬ方々のお顔を思いだしながら、御礼申し上げて過ごします。

患者さんへのメッセージ その2.

私に歯科の仕事と娘がなくなったら、脱け殻になってしまうでしょう。

小学校の下校時刻になると、お迎えに車を走らせています。

往復10分程度ですが、その時刻には患者さんの予約は入れておりません
 
昨日は上の2人の髪型をバッサリと短めのボブにイメージチェンジさせました。

ー パパ!男の子ってダメなんで!前に立っているのに10分くらい経ってから髪切ったんに気づくんよ! ー

ー フムフム‥アノなぁ…男ってそういうもんや! ー

小学校4年と私の会話です。

患者さんとよく雑談する私です。

ちょうど通い始めてから1年が経った患者さんが

ー 先生に観てもらっている処ね、5件目なんです。

  1件目はアソコ!

  通い出してから、こりゃヤバイ!と思って変わって転々と、

  で、最後の処なんて、神経をとってからズーと痛くって、

  先生に言ったら何て言ったか判ります? ー

ー イヤ、判んない! ー

ー 私はヤることはヤりました、痛いのは貴方のせいです!私はシリマセン!

  こう言う歯は抜いても痛みはとれません!

  で、被せはセラミックにしましょう! ー

!!!

悩んで眠れなかったそうです。

あまりにもの理不尽な話しに、あきれ果て、同業ですが怒りさえ覚えます。

私もこの歳ですから、嫌な経験をイッパイ味わいました。

怒りに爆発した機会も多く、自己の制御不能になる程に理不尽な目にあったことも度々です。

情けない想いもしました

が、この話しには私も納得出来ません。

我慢も限界があります!

歯のことでなら、決して悩まないで下さい!

患者さんへのメッセージ その1.

歯科の治療に不信があるときに、お越しください。

歯のことで不安に胸が押し潰されそうになったときに、お越しください。

同業の歯科医から私は、変わった歯科医に見えるようです。

当然だと思います。

私の診療所は、歯科のユートピアである自負を持っています。

治療方法、治療結果、プライバシー、費用等々、

皆さんの知って居られる経験が、間違いであることにすぐに気づいて下さるでしょう!

私は歯科治療を通じて、社会貢献することが使命であると信じています。

教養

もしも願いがかなうのならば、近所の香川大学へでも通って文学等の講義を受けてみたいと思います。

18の時から歯科一筋の暮らしでした。

無我夢中に駆け抜けてきたように思います。

専門書に埋もれる生活は、死ぬまで続くと思います。

歯に魅せられて、それは後悔はありません。

寧ろありがたいと感謝しています。

【パンを食べるための学問】【パンを食べられない学問】

と言う言葉があります。

後者を教養を磨くとも言います。

私に時間が、歯科以外にゆるされるのならば、

是非に後者の学問に埋もれる時間を賜りますように。

私の診療所に対する考え方

私の診療所には、受付穣は居りません。

電話での対応も、患者さんへの術後の説明も何から何まで

歯科衛生士なり私、現場スタッフが行っています。

患者さんへの対応は、実際に治療にあたっている医療免許を取得したスタッフが一番よく判っています。

それが理由です。

新しい患者さんへの説明も、私が殆んど、サブで歯科衛生士にて対応しています。

歯科治療に於いて、実際に患者さんの身体に触れることが出来るのは、歯科医師と歯科衛生士の免許を持つ者だけです。

私は、国家資格を持たない者に、治療を語る資格はないと考えています。

少なくとも私の診療所での治療の質は、キチンと患者さんの支持を頂いて今日に至っています。

診療所に勤務する歯科助手なども、当然長く勤めていれば、その医院の流儀は判ってくるものですが、

助手はあくまでも診療補助のアシスタントにしか過ぎません。

患者さんへの医療知識に基づいたら助言なり説明は、とっても大切な責任ある言葉ですから、

人の身体を直接に触って得られる責任を実感したる医療免許取得者以外には対応させないと言うのが私の考え方です。

診療所はレストランやホテルではありません。

そのような意味での受付、、マネージャーの類いを私は否定しています。

些細な日常

上はこの春から小学5年、次が3年、そして新入学の3人の娘達に囲まれて過ごしています。

ありがたい事に皆で一緒に入浴しています。

湯槽に浸かって、大きな声の歌を聞き、

洗い場に3人を並んで屈ませ、流れ作業にてシャンプー、リンス、身体を洗って、

仕上げは順番にバスタオルで拭いてやる。

脱衣場からのカシマシイ声を横に、急いで自分の洗髪と身体を洗うと言う始末です。

本当に気忙しい帰宅後の時間を過ごしていますが、

これも後少しだけのことと思うと、本にありがたいと感謝しています。

凡そ人の幸福というモノは上を観てもキリがなく、

この歳になって、このような些細なる日常こそが真の幸福であると判るようになりました。

上の娘も思春期の入り口にさしかかっているのを実感します。

今は社会人となった長女の其の頃を懐かしく思い出すのです。

孫のような歳の娘のお陰にて、昔は当たり前と感じていた日常を幸せと味わうことが出来るを感謝しつつ、

どうか全ての授かりし子達が、幸多い人生であることを祈らざるを得ない、相変わらずの大バカ親振りを発揮する私です。

コンピューターにより3D化されたインプラント埋入用ガイドプレート

CT画像をコンピューターによって3D化して、

インプラントを入れる時のガイド用マウスピースみたいなモノを造って、

手術する方法をホームページなどでよく見かけます。

今までのブログにおいて私は、この方法を真っ向から批判する立場を表明しています。

おまけに、この方法でインプラントを入れるだけに留まらず、

仮の歯までも1日で入れるなど、私は絶対に出来ません。

が、今手がけている或症例において、この3D画像によるマウスピースでの手術を検証したいと考えています。

但し、このマウスピースのガイドに従うのは、

コンピューターには申し訳ありませんが、インプラントを入れる場所とドリルの挿入角度までとします。

インプラントの入れる深さは、自分の手の感触の方を信用します。

当然、即日に仮の歯を入れてインプラントに加重をかけることは致しません。

インプラントと骨との結合が確認されたのを待って、仮の歯を入れる積もりです。

何故、この症例に、ここまで私の信念に反する方法をと言えば、

複数の、この症例では上の顎に9本のインプラントを入れるのですが、

既製品のアバットメントを使いたいと考えているからです。

既製品を使う事で、患者さんの費用を軽減できます。

が、インプラントを平行に入れる必要が生じます。

これはフリーハンドでは無理ですから。

このマウスピースを製作するに際して、この方法に熟知した技工士に依頼し、

アレコレ打ち合わせしています。

現状、CT撮影のためのガイド用マウスピースの製作打ち合わせに2カ月を要してしまいました。

患者さんの噛み合わせを、私の決めた位置での撮影に狂わせないように、

唇の綺麗な形での修復をするに一番良いインプラントの挿入場所は等々。

広告で見かける程に簡単ではありません。

私の診療所は、歯科関係の方からのご紹介が多いです。

一緒に仕事を通じての信頼関係が、患者さん紹介の一番の処方箋だと思います。

今日もまた、2つほど手術があります。

いつも初心者の積もりで、新鮮な気持ちで臨んでいるのは云う迄もありません。