自然科学の世界に身を置くからこそ、
人文科学をも嗜むことが肝要なんです。
カントやデカルトをも、
読んで、
それでも信仰を持つ。
その辺りは、
島国農耕民族である日本人にはない、
西洋人の奥深いメンタリティを
西洋の医師のなかに
日頃の付き合いから感じます。
歯科医師として、
誠実に、
歯と向き合ってきた自負はあります。
自分の家族にしたい治療を患者さんへ、
そんなモンは、
哲学でも、
何でもありません。
人の当たり前の道ですよ。
道徳です。
誰それだけの、
特別な崇高な精神でも
何でもありません。
こういう時の
言葉なり単語の使い方って、
教養とか、
育ちの違いから
変わるんでしょう。
科学を学べば学ぶほどに、
目には見えない偉大な力を
感じざるを得ない。
で、
それが、
禅宗でも、
ヒンズー教でも、
私の場合は、
カトリックに行きついたのですが、
日々の治療の中で、
手を動かしながら、
患者さんのために、
祈りを捧げるのです。
それが、
私がたどり着いた、
医師の心ともでも言えましょうか。
キリスト教だって!
カトリックだって!
三枝は、とうとう頭が狂ったぞ!
てな台詞も、
耳に入ります。
ただ、
それって、
同業者だけなんですよ。
不思議ですね。
私の気持ちは、
歯で本当にご苦労されている方には、
シッカリと伝わるモノなんです。