つい、
この間の、
3月31日の、
カトリック最大のお祭りである
復活祭の夜、
私は洗礼を受けました。
隣に居られる修道女は、
岡山県のノートルダム学園の校長先生である
三宅シスターです。
この日を
私はずっと待っていたように思います。
ミサの儀式の中の、
イエスキリストが、
捕らわれの身になる
前の夜に、
弟子たちを集めて、
仰せになります。
パンを取り、
これを割って食べなさい。
これは私の身体。
食事の終わりに盃を取り、
仰せになりました。
これを飲みなさい。
これは私の血の盃である。
その台詞、台詞は、
この夜は、
四国地区の司教さまが
役割を演じておられました。
私は、
この司教さまのミサは
崇高な味わいがあって、
楽しみにしています。
私は本当に果報者です。
好きな仕事に就けて、
自分のスタイルを貫いて、
今日まで、
で、
信仰も、
自分の信念に乗っ取り、
葬式の進行プログラムも、
息子と神父さんに、
こんこんと、
くどく、
お願いしているのです。
好きな讃美歌と、
聖マリアさまへの祈りの中でと。
自分の流儀を貫き通した
我が儘坊やとしての
意地みたいなモノがあるんですよ。