朝の1番の患者さん。
私の顔を観るなり、
先生のお父さんへの・お供えです。
御饅頭と・串に刺さった餡ころ餅。
嬉しかったです・とても。
お盆ですから。
私は父とは、
決して良好な・関係では・ありませんでした。
最近、
愚息から、
親の死に目や・葬儀に行かないノなんか・信じられない。
そのような・彼なりの・意見を受けました。
本筋から判断すれば、
その通りです。
私は三枝家の長男ですが、
家長は・あくまでも、
存命中は・父だと・私は考えていました。
その・家長が、
先祖のお仏壇を放棄し、
娘夫婦の暮らす東北へと、
なんの前触れもなく・去って行きました。
長年・続いた商家の暖簾を下ろし、
税理士夫婦の娘に・全てを託して、
東北に行けば、
家も建ててくれると・信じて、
老後を娘夫婦に・託した事は・判らないでも・ありません。
が、
実際は・施設へと直行さされた・ようでした。
私は・他人との・争いを好みません。
父の判断は・父が責任を取れば良いのです。
ただ、
他家に嫁いだ人間に、
家の大事に・干渉された事は・遺憾です。
私は・親の財産など・要りません。
が、
騙し討ちを・平然と行う人と、
面を合わせる気持ちには・なれません。
愚息に、
お爺さんの戒名は・俺が付けた。
キチンと・父が供養している。
が、
遺骨が・無い。
墓も建てたが、
埋葬する骨が無いから、
写真を埋めた。
俺には・親父に由来する遺品1つも・無いから。
父は大店のボンボン息子でした。
絵画、骨董、
これは・かなりの品を収集していました。
また、
パテックフィリップ、
バセロン・コンスタンティン、
などなど、
高級腕時計のコレクターでも・ありました。
遺品1つでも・在れば、
埋葬できたのに・と云う私に、
愚息は、
アレを尚登にやれば、
アイツは・売り飛ばして・金に換える・
そう、
姉夫婦たちから・聞かされたようでした。
私が愚息なら、
その台詞を聴いた瞬間、
姉夫婦を・ぶっ飛ばして・いたと・思います。
が、
愚息は、違和感を持っていなかったノでしょうか?
私は・何よりも・筋目を大切に・してきました。
色んな人に・色んな目が在ることを、
もう・この歳ですから・判ります。
愚息は一人息子ですから・かわいいとは・思いますが、
隔世遺伝の結晶だとも・冷静に判断しています。
多くの・患者さんと・関わってきました。
何もない・家庭など、
ほとんど・経験しません。
多くの患者さんから、
相談なり、愚痴を聞いての・臨床生活でしたから。
今では、
父なりの・生き方に・理解を示せる心持ちに・なりました。
が、
三枝家の家長は・私です。
旧い人間ですから、
長男が・家の祭祀の責任が在ると・信じています。
私はカトリックですから、
私の死後、
ご先祖様の御霊の祭祀は・愚息へと。
その際に、
家の過去帳から・私が消える事が、
私の生き方に対する・ケジメだと・思っています。
その私の責務に、
平然と・唾を吐きかける姉夫婦との接触は、
私は未熟者ですから、
平然とは・できません。
ある有力者である患者さんが、
先生、
税理士事務所ひとつ・潰すくらい・簡単だから、
やりましょう!
色んな事・好意で・お調べ下さり、
そんな台詞を。
それでは・私がカトリックに改宗した意味が・ありませんから、
お気持ちだけで・ありがとうございます・と。
私も、
年々・変わってきてるんです。
諍いは・好みません。
そんなこと・思い出しながら、
お仏壇の中の・父の写真を・眺めていました。
これも、
お盆の・ひとつの過ごし方だと。