日別アーカイブ: 2020年8月11日

お盆休み

世間では・お盆休みに・入ったようです。

私の診療所も、

スタッフには、

少ないですが、

世間並みの・お盆休みを取って貰います。

ご先祖様を敬う。

日本人ですから。

でも、

私は・診療し続けます。

私の診療を・見たい業界人は・山といらっしゃる。

そういう方で、

お盆休みに・私を手伝いたい・と云う、

熱心な・歯に・取り憑かれた方の・援助で、

私の診療所は・休む事は・ありません。

手習いを、

1日でも・休んだら、

勘を取り戻すのに・苦労するでしょう?

ソレと・同じなンです。

体力・気力の限界まで、

私は・診療を休みません。

予約は、

先々まで・イッパイです。

ソレで、

私の心は・安らぐんです。

 

歯科医師としての・名誉

歯科医師としての【名誉】は、

決して、

大学教授で在ることや、

著名人の主治医で・在る事では・ありませんでした。

友遠方より来たる。

では・ありませんが、

この瀬戸内に面した・四国の田舎町の・

小さな歯科診療所まで、

日本の各地から、

わざわざ・お越しくださる【縁】を・得ることが、

歯科医師としての・最高の栄誉だと・感じてなりません。

それも、

このご時世にです。

なんと・私は幸せな・歯医者だと・

つくづくと・感じるのです。

私は・名医では・ありません。

だから、

毎日の治療が・私を大きく圧するのです。

私は・歯には神さまが・宿ると・信じています。

だから、

敬う気持ちで、

歯の声を・聞き逃すことの無いようにと。

そのような35年を・過ごしてきました。

私は商家の生まれです。

家業を継がずに、

歯科医師の道を・自らの意思で選びました。

そのような私を親族たちは・馬鹿な奴だと・笑いました。

何故・家を継がない?

貧乏に・なりたいのか?と、

人の口の中を触ることを、

汚いと・思わないのか?

どうせ・なるなら・医師の方が、社会的地位が高いのに・馬鹿か・お前は?

そのような環境で、

私の歯科大生・生活はスタートしました。

私は・幼い頃から、

神さまや・仏さまを・信じていました。

小さな庵の御坊が、

経を唱えたあと・の瞬間に・振り返り、

坊っ・歯医者になれっ!

その言葉を【縁】に、

歯学部の受験に・シフトチェンジしたのです。

私の飲んで育った水とは・全く違う世界です。

不安で・なりませんでした。

そんな時に、

墓地の一隅に・まとめられた無縁墓地の墓標群。

盆になって・地上に帰って来ても、

誰も・接待してくれる人は・居ません。

当時の私の心境は、

この無縁墓の仏さまと・重ね合わせる事ができました。

少年から青春期へ移行する多感な・この時代に、

私は・良い歯医者になるための努力は惜しまないから、

どうか歯医者に・ならせて欲しいと、

無縁墓に・願をかけたのです。

その無縁墓の仏さまと共に、

私の歯科生活が・推移しています。

見えない力によって、

私は歯科の仕事に従事できて・いるのです。

昨日は・炎天下でした。

車を走らせて、

先祖の墓掃除を終えたあと、

遠方ですが、

私は無縁墓の前に・立っていました。

経を唱へ、

香をたき、

ソレが18歳の歳からの、

盆の恒例行事と・なりました。

盆は、私にとって、

正月より・大切な・人生の節目です。

私の歯科医学は、

このようにしながら、

育んで・きたものです。

学問は・進歩し続けます。

ソレに・遅れをとるほど、

私は怠け者では・ありません。

しかし、

進歩が正しいとは言えない・倫理なき基準値を持つ時代と・なりました以上、

私は・自分の物指し創りに、

勤しむように・なりました。

その結果、

症例を前にした瞬時、

手先が、

勝手に・動くように・なりました。

歯科医学って・本当に・不思議なモノです。

その不思議に・取り憑かれた私は、

幸せなのか・阿呆なのか、

そんなこと・どうでも良く・なったのです。

今日も、

患者さんの手当てに・私の生命を注ぎたいと。