月別アーカイブ: 2016年1月

今日も元気で!

今にも雪が降りそうな怪しい空模様の高松市です。

明日は早朝より新潟へと向かい、

アレヤコレヤと所用を済ませて、

新潟の自宅へ入るのは深夜になるでしょう。

今日も、患者さんで混みあっっています。

但し、患者さんには決して混雑を察するような想いはさせませんが。

根管治療からインプラント修復、ダイレクトボンディング修復まで、

内容萬斎の1日です。

マリリンですか?

当然、出勤しています。

寝てますけど!

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私の仕事感

これは私の勝手なんですが、

ほぼ昼休み休憩など採ることは出来ません。

私は、同じ時間帯に複数の患者さんの予約をとることはありませんから、

最近のように患者さんが多いと、

昼休み抜きで、診察を続けています。

スタッフもよく付いてきてくれています。

交代で、お握り程度をと云う1日です。

診療が終わってからも雑務萬斎です。

医療人なり研究者だからと云う訳ではなく、

企業戦士も同じようなものだと思っていますので、

私的には違和感はありません。

食べる手段として仕事をするのではなく、

仕事を通して生きると云う考えです。

寝ても覚めても鮨と云う職人さん、

寝ても覚めても天婦羅と云う職人さんを

私は心から職業人として認めます。

そう言う人間は了見が狭いと云う意見には賛同出来ません。

自分の仕事冴えも尊重出来ない人の目に、

多くを推し測る眼があるとは到底思えません。

仕事馬鹿、専門馬鹿と云う言葉が在りますが、

そう言う意味での馬鹿になれない人が

云々言う資格はないと私は信じています。

打ち込むから、壁が破れるのだと思います。

成功に神話はありません。

ただただ努力の積み重ねと、

我慢と犠牲の賜物だと思います。

 

歯の治療は難しい!

セラミック修復をしたのに歯茎が黒ずみ!とか、

色合いがマッチしていない!とか、

こう言う次元の低いトラブルが私には理解できません。

コレは現状の私が抱えている悩みの種です。

18年前にセラミッククラウンで修復しました。

で、その10年経過した時の所見が下の写真です。

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で、先の10日ほど前に2年半振りにお越しになられた患者さんの状態です。

セラミッククラウンの欠けたと云うトラブルはありません。

上下の噛み合わせ状態も当時のママです。

患者さん自身は全く自覚症状はありません。

が、

前歯と奥歯の間に数ミクロンの隙間が出来ています。

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噛めるようになると骨はシッカリしてきます。

骨は100日周期で、新しい骨に生まれ変わっています。

その過程で、骨にシッカリとした力が加わるようになり、

リモデリングの状況が変化したと思われます。

本当に歯の治療は難しいですね。

日々多忙

ブログに症例写真をアップしたいものの、

診療の合間で、

研究の打ち合わせが入ったり、

ノルマ的に圧された論文読み、

それに伴っての参考文献の検索、序でにその論文に目を通したりで、

患者さんの資料にも真剣に目を通し、

1日が僅か24時間しかない事を恨めしく思います。

まぁ、暇をもて余すよりは良いんでしょうが。

もう手術です。

頑張ります!

暇徒然

明日は、骨移植の手術とインプラントの手術。

で、水曜からは新潟へ。

週末は、東京からの若い先生がお越しになられ手術の見学。

翌日は、一緒に神戸での研修会へと。

慌ただしいでしょう?

今は墓参りに出向いている処です。

久しぶりに御伴はラッシーです。

娘達ですか?

お茶会へと、お師匠さんと一緒に出掛けて行きました。

お寺での武者小路派のお茶会だそうです。

流派の機関誌を持ち帰り、

判った顔で観てる姿に笑っちゃいました。

で、家元のお作法の写真を指差し、

ー  家元先生は風邪引きなんかな? ー

?????

ー  神様に差し上げるお茶だから、息がかからないようにと云う気遣いじゃ! ー

??????

娘達には理解できないようで、

あぁ日本も変わってしまったと。

幼い時分には、

祝祭日には、起床後すぐに玄関外へと下駄履きで、

日の丸国旗を立てに行ったもんです。

何処の家でも、そうだったと思います。

門柱に国旗の棒を立てる手当てがしてありましたもの。

そんなこんな考えながら、

遅くなりましたが、

お墓で、

ご先祖様に、新年のご挨拶をと。

いつもいつも、頼んでばかりで申し訳なさがつのります。

よく判らない?

若い時分のヤンチャ振りは、

50を過ぎても言い継がれるほど凄まじかった私です。

大学3年の後期になって、

今までの自分を大いに反省するまで

遊んでばかりでしたね。

でも、それ以降も遊びは止まりませんでしたが。

但し、遊び方が、今の人とはスケールも質も違ったと思います。

良い時代に、恵まれた環境だったんでしょう。

今でも盛り場近くで見かける同伴とかアフターって云うんですか?

私は、あぁ云うのは好きではありませんので、

今を以て経験ありません。

ギャンブルも私は嫌いです。

ですから、パチンコ、麻雀も1度キリです。

ゴルフも嫌です。

私なりの評価基準での、品格の有無ってモンが在ります。

とても偏った見方ですが、

其れが私の判断基準です。

治療方法の選択の際も同じです。

私なりの判断の物差しが在ります。

私の診療所をご覧になられた方のご意見も様々でしょう。

私の1日の大半を過ごす空間ですし、

私の大切な患者さんを迎える処です。

私の判断基準が私の診療所の有り様だと思っています。

俗に云うボンボン育ちだからかもしれません。

が、それは私自身で、どうこう出来たモンではありませんから。

私のコンプレックスかもしれませんが、

私は国立大出身の歯科医で優秀な人を殆んど知りません。

全くとは言いません。

非常に優秀な方も存じ上げ、

そう言う先生は尊敬しています。

が、その様な方はごく稀で、

どうして偏差値と反比例するのだろう?と、

訳が判らない歯科医の実情です。

勉強は大切です。

特に私らの仕事は、生涯研修です。

お医者さん選びって、訳が判らないですよね!

 

日々多忙で充実

研究の方も順調です。

虫歯で神経を採る必要がなくなる日も、

そう遠くはないでしょう。

患者さんの合間での細切れ文献読み込みにも慣れました。

量だけは凄いと、自分でも思いますね。

私は臨床家ですから、

ドチラカと言えば、基礎医学の分野にはコンプレックスがありました。

日本歯科大学の生物学の岡先生の会話に付いていけるようにと、

ここの処、細菌学や生化学の文献ばかり、

手当たり次第にという処です。

臨床系の私と、基礎医学の岡先生の間には、

専門の違いから生じる物差しの尺度と違いがどうしてもあります。

岡先生から学ぶ処、大いに在り、

とても感謝しています。

互いが苦しい時期ですが、

此れが私らの本来の仕事ですから。

来春のサンフランシスコでの学界発表にて

日本発の新知見を披露するための根拠造りを

ひとつひとつ詰めています。

人の身体の治癒力

上顎洞を突き破って副鼻腔炎を発症した患者さんから連絡を頂きました。

上顎洞底挙上手術を受けて10年くらい経過した症例であれば、

インプラント周囲の移植骨は吸収されますから、

レントゲン所見では、インプラントが上顎洞を突き破ったように見えます。

この場合は全く心配ありませんし、

副鼻腔炎の症状は当然ありません。

この患者さんは耳鼻科にて、CT、MRI共に撮影され、

インプラントが上顎洞を完全に突き破っている所見が在るようです。

このような場合、インプラントが感染源ですから、

直ちに除去すべきです。

これは大変な苦痛を伴う治療ではありません。

仮にインプラントが骨と結合していても、

簡単に取り除く治療器具があります。

突き破って傷を受けた上顎洞粘膜は

半年もあれば完全に修復されます。

人の身体の治る力は、誠にありがたいモノです。

患者さんには呉々も心配しないようにお伝えしました。

この季節になると

この季節になると、自分の受験の時を思い出します。

商家の跡取り息子であった私は、親に内緒で受験しました。

皆が早稲田出身であったので、

其れが暗黙の了解みたいな空気がありました。

放任主義の為せる技か、何なのかは判りませんが、

親から受験経費として50万手渡されたのを覚えています。

受験料から交通費、宿泊費諸々の積もりだったんでしょう。

馬鹿な私は、大切に使い、

余った残金はキチンと返したのも覚えています。

今なら、猫ババするか、

気が大きくなって残金など絶対にないと思います。

内緒であるので、

落っこちても不安、

合格しても不安でした。

家が裕福であったから出来たんだと、

其れは恵まれた環境だったと感謝しています。

或いは、婦人科を開業していた叔父が

モシモの時は助けてくれるだろうと云う、

私には安全弁の存在があったのも、

私は恵まれた環境にありました。

何れにしても、

私学の歯学部は学費が高いですから、

恵まれた環境でないと、

その辺りは私らは幸せだったと感謝しなければなりません。

あれから35年も経ちました。

どういう訳か、

開業医と、大学での教壇に立つと云う二足の草鞋を履き、

其れでもって研究にドップリと浸かり込むと云う、

奇妙な生活を送っています。

最近の若い人は、

自分に向いた仕事、向かない仕事と云う台詞を

簡単に口にされます。

私には、そんな考えは全くありませんでした。

仕事の方に自分を合わせて来ました。

私には歯科しかありませんでしたから。

幸いに、日本歯科大学の校風が自主独立である事も

私には良い方向づけになったんだと思います。

それからの出会いも、私には幸運の女神様が

微笑んで下さって、

良い方へと誘って下さったと感謝しています。

歯科のみを優先してきた私ですから、

正直、他の多くの大切なモノを犠牲に、

失ってきたのも事実です。

やむを得なかったと云うのが、

正直な心の内です。

人生の後半に既に入った私ですが、

歯科の道に入って、本当に良かったと思いますが、

他人には正直な処、簡単にはお薦め出来ません。

厳しい、酷しい道です。

幸福な心と共に、

その裏側にある過酷さも身に染みています。

新幹線の車窓からの、灯の点った東京タワーを

私は生涯、忘れることはないでしょう。

受験生の皆さん、夢を信じて向かって下さい!