この季節になると


この季節になると、自分の受験の時を思い出します。

商家の跡取り息子であった私は、親に内緒で受験しました。

皆が早稲田出身であったので、

其れが暗黙の了解みたいな空気がありました。

放任主義の為せる技か、何なのかは判りませんが、

親から受験経費として50万手渡されたのを覚えています。

受験料から交通費、宿泊費諸々の積もりだったんでしょう。

馬鹿な私は、大切に使い、

余った残金はキチンと返したのも覚えています。

今なら、猫ババするか、

気が大きくなって残金など絶対にないと思います。

内緒であるので、

落っこちても不安、

合格しても不安でした。

家が裕福であったから出来たんだと、

其れは恵まれた環境だったと感謝しています。

或いは、婦人科を開業していた叔父が

モシモの時は助けてくれるだろうと云う、

私には安全弁の存在があったのも、

私は恵まれた環境にありました。

何れにしても、

私学の歯学部は学費が高いですから、

恵まれた環境でないと、

その辺りは私らは幸せだったと感謝しなければなりません。

あれから35年も経ちました。

どういう訳か、

開業医と、大学での教壇に立つと云う二足の草鞋を履き、

其れでもって研究にドップリと浸かり込むと云う、

奇妙な生活を送っています。

最近の若い人は、

自分に向いた仕事、向かない仕事と云う台詞を

簡単に口にされます。

私には、そんな考えは全くありませんでした。

仕事の方に自分を合わせて来ました。

私には歯科しかありませんでしたから。

幸いに、日本歯科大学の校風が自主独立である事も

私には良い方向づけになったんだと思います。

それからの出会いも、私には幸運の女神様が

微笑んで下さって、

良い方へと誘って下さったと感謝しています。

歯科のみを優先してきた私ですから、

正直、他の多くの大切なモノを犠牲に、

失ってきたのも事実です。

やむを得なかったと云うのが、

正直な心の内です。

人生の後半に既に入った私ですが、

歯科の道に入って、本当に良かったと思いますが、

他人には正直な処、簡単にはお薦め出来ません。

厳しい、酷しい道です。

幸福な心と共に、

その裏側にある過酷さも身に染みています。

新幹線の車窓からの、灯の点った東京タワーを

私は生涯、忘れることはないでしょう。

受験生の皆さん、夢を信じて向かって下さい!