月別アーカイブ: 2013年11月

ラバーダム防湿法

 最近、通い始められた
女性患者さんの
治療の計画も決定し、
説明の結果、
今日から実際の治療が始まった。

 取り敢えずは
下の奥歯の
感染根管治療から始める事となった。

 感染根管治療と云うのは
以前、歯の神経を採った筈が
根の先に
未だ神経の残骸が
残っていたら、
其れが腐って
膿となり
根のから骨へと
炎症が波及する。

 多くの場合、
痛みを伴わず
静かに
炎症性の病変は
成長する。

 ドンドン根の先の
骨を溶かしていく。

  此処で感染根管治療の出番である。

 取り残したる神経の残骸を
くまなく取り除き、
根の中を
無菌状態にする。
 溶けた骨は
みるみる内に
再生はじめる。

 但し、
口で言うは容易いが、
残した神経を
元々、採ったのは
誰がしたのかとは
聞かないが、
歯科医の仕事であるには
違いない。

 感染根管治療と云うのは
ハッキリ云えば
誰かのやり直し治療である。

 私は元来の潔癖症である。
歯の中を触る時と謂わず
虫歯の治療に於いても
無菌的治療を心掛けている。

 その様な時に
ラバーダム防湿法は必須である。

 薄いゴムのシートに
穴を空けて
其の穴から治療する歯だけを
口の他から
隔離する。

 その事で
治療する歯は
唾液や吐く息からさえも
守られる。

 ラバーダム防湿法は
歯科保存学の第一歩である。

 

問合せフォーム作成中

 診療に関する問合せの
御電話を頂く機会が多い。

 しかしながら、
御電話を頂いた時に
私は診療の最中で在るために
受付が代理で
対応する事になる。

 ワザワザ御電話を頂いたのだから
誠意ある返答をと
問合せフォームを
準備する事にした。

 やっと、
パソコン操作にも
慣れた事故に。

第二の故郷

IMG_20120624_083900 新潟まで
毎月通っている私に
ひとは口々に
「遠い田舎まで大変ですね」と、
言われるが、
そういう時に私は
むかっ腹が立つのである。

 私の越後贔屓は筋金入りである。

 私は米も新潟。
酒も新潟。
無論、味噌も新潟。
おまけに、
毎朝食す鮭も新潟である。
そして、トドメは
倅を新潟明訓高校へと
通わせている。

 その様な私に
意地の悪い人からは、
引退したら新潟で暮らせば良いのにと
言われること度々である。

 言われなくとも
そうはしたいが、
末の娘を成人させれば
恐らく私の歳からすれば
此の世と
おさらばせねば為るまい。

 私は歯科医としての
第一歩を歩みだしたる
越後の地に対して
感謝の意を忘れない。

血は争えぬもの

IMG_20120211_142036 四国の此の地に於いても
寒さが忍びよって来ている。

 一昨年の事である。
倅と真ん中の娘を伴って
会津まで
車を走らせた。

 城巡りの好きな私である。
吹き荒ぶ雪の中を
若松城を目指していた。

 元来、方向音痴で、
ナビゲーションの案内に
決して逆らう訳ではないが、
車は
同じ処を
グルグルと廻るばかりで
いっこうに城へは
近寄れない。

 臆病なる倅は
気味悪がって、
ギャーギャー
喚きだす始末。

 吹雪は尚の事
酷くなり始めた時、
眼前の視界が一気に広がったのである。

 雪の荒野の中に
石碑が一つ。

 【白虎隊終焉の地】であった。

 私は車より降り、
越後長岡藩と供に
最後まで幕府への義を貫いたる
会津藩の若き戦士達に
手を合わせた。

 この時、倅が車の中で
騒ぎたてていたのは
云うまでもない。

 其の臆病なる倅も
今では、
戊辰の役での英霊を祀った
新潟護国神社を
好んで訪れるは
矢張、
血の為せる術であろう。

パワースポット

 信仰を持つことに
怪訝な眼差しを向けられる機会が多い。

 元来、日本人と云うのは
生活の中に
自然界に対する畏れと敬意から
身近に
神様や仏様が
いらっしゃった筈である。

 別段、
ワマトタケルが、
イザナギ、イザナミがと
信じる信じないと云う
問題では無い。

 今大学生の娘がIMG_20120623_110023
中学生の時分に
英語の個人教授を受けていた。

 若い女性であったが、
確か英国男と結婚し
小さな男の子が
居たように記憶している。

 娘は洗脳され易い年頃であった。

 在るとき、
科学を否定する言動を
娘が口にする様になった。

 私は歯科医である。
いやしくも自然科学を専攻した
歯学博士である。

 娘はダーウィンの進化論を
真っ向から否定する様になった。

 反抗期の娘ほど
父親にとって
恐ろしいものはない。

 娘は反論する私が
話をする間、
ズーと
十字架を握りしめ
うつ向いて
何かを
口の中で唱えていた。

 コリャあかんと、
立ち去る私の後ろで
娘は十字をきった。

 ここに遂に私の怒りは炸裂したのである。

 ゆでダコの様な
怒り絶頂で私は
此の英語教師の家に
怒鳴り込みしたのである。

 「あんたの倅に
   俺がお不動さんの信言教えて
       高野山へ修行に連れてってやろうか!」

 其れは困りますと
タジタジになっていたが、
此の人は
本当にダーウィンの進化論を否定し
神様が人を造ったと
信じていた。

 私は信心深い人間である。
海には海の神様が、
山には山の神様が
いらっしゃると
身体の中で
其のように感じている。

 が、頭のなかは
私は科学を学ぶ人である。

 其の辺りを
追及されれば
苦しいが
自然界や人の身体には
科学を越えた
或なにものかの力を
感じざるを得ないのである。

 特に人の身体を預かる医師たるもの、
データー重視の専門職よりも
哲学を持ち、
目に見えぬ力を畏れる人の方に
立派な仕事をするを
接しての
私の考えである。

 付随の写真は
越後の覇王である
謙信の山にある
神社である。

 此の様な処を
訪れる度に
私は何かしらの
力を頂いていると
感じて
感謝するのである。

たかが犬、されど犬

IMG00203 マリリンが
家に来てからと云うもの
私の生活は一変した。

 診療所まで
犬を連れて来る等と云うことは
以前の私であれば
考えられない事であった。

 無論、
いくら可愛いからと云っても
患者さんに
遭遇する様な処には
繋いではいない。

 私の診療所は
アルコール臭も
一切しない様に
配慮しているので、
犬の臭いも
しない様に
以前にも増して
其の辺りには
気をつけている。

 新潟へも
マリリンは同行する。

 何故に其処まで
大した事の無い犬を
離さないのかと
問われたら、
其れは、
以前飼っていた
ラブラドールのラブリーに
申し訳なかったと云う
後悔の念が在る為である。

 仕事にかまけて
大切にして遣れなかったと云う
後ろめたさが
私の心の内に
重くのし掛かって
私を苦しめさせる。

 私は同じ過ちを
繰り返したくは無い。

 誰にも言えぬ
心の内を
語れるのは
犬でけである。

 男とは
その様な孤独で
成長すると思っている。

良い仕事

 この間、新潟へ行っていた際に、
何時もの様に
末の娘と
人情横町を歩いていたら、IMG00201
石山魚店の親父さんから
声を掛けられた。

「先生、これ持って行きなせぃ!
  お嬢ちゃんと一緒に食べなせぃ。」

 店脇の軒に
吊り下げた
干し柿であった。

 両手で受けとる娘の顔は
今すぐにとでもと
訴えていたが、
家まで持ち帰り
炬燵で倅と一緒に
食べればと
言い聞かせて
家路に就いた。

 私は、この様な
些細な日常に
幸せを感じるのである。

 飽食、ブランド品に
囲まれ様とは思わない。

 良い仕事をして、
家族に笑いが絶えぬを
望む様になったのは
自分がもう若くはないのだと
感じる頃になってからである。

 但し、
良い仕事をすると云うのは
本当は
戦いなのだ。

 他人にもと云うより
自身に偽りない
良い仕事をするのは
決して平坦な
道ではない。

癒し

 私の診療所へお越しになる
患者さんの平均年齢は66歳である。

 昨夕、新患として
お越しになった方は
なんと20代前半の女性であったので
私は緊張してしまった。P1000244

 来春、大学を卒業する
上の娘と、
其の佇まいが
重なるからである。

 診断は一つであっても
其の治療の方法は
星の数ほど
私の手の内には
在るのだが、
少しでも
無理の無いようにと
模索しながら
情が入って考えていた。

 上の前歯2本に
治療が施されていたのだが、
上手くいっていない
症例であった。

 治療よりも
治療方法の模索の方が
ずっとクタビレる
作業である。

 その様な時に
幼児の日常に触れて
私は癒されるのである。

パソコン音痴

 診療の合間に
ポストから郵便物を取り出した家人から
一通の手紙を
手渡たされた。

 日本歯科大学の封書であった。

 この様な時に私は、
背筋が凍る想いがする。

 大学からの用事は電話で云うのが
パソコン音痴の私を熟知したる
大学の皆の情けで
手紙とは、はてな?と
学生時代に
ヤンチャの限りを尽くし
大学からの通知で
良い想いをした経験が無い私である辛く。

 恐る恐る封書を開けた。
この様な時の私の表情は
恐らく幼児である私の娘と
変わりますまい。

 生物学の岡先生からの手紙であった。

 先生は私が大学に居た時代には
多分、勤務されていなかったと思うが、
否、
真面目に授業に出ていなかったから
私が覚えていないのかもしれぬ。

 が、私は先生の顔が
ハッキリと判る。

 私も今までアチコチで
講演してきたが、
私は聞いてて下さる方の
大半の顔は忘れている。

 それでも、
岡先生の様に
皆と違った空気で
聞いてて下さる方の
顔だけは10年経っても
忘れない。

 何事にも
偽善や繕いは
見破れるものであるが、
真実も然りである。

 私は、
他人に自慢出来るものを
持ち合わせてはいない。

 が、自身を曝け出して
毎年、母校の1年生に
聞かせる私の講義で
私の話に耳を傾ける
先生の顔があるから
私は学生への
話の程度を
思わず変えてしまっている。

 18,19の子達には
判り辛いかもしれぬが、
まあエエわい!と
脱線してしまうは
全て岡先生のせいである。

 教師もサラリーマン化した中に、
この様な先生に接する事の
機会に恵まれた
ウチの学生は果報者である。

 奴らが大学から
巣立って
私の歳位になった時に
必ずや
先生のありがたさを
思い出すであろう。

 かように
今時に珍しい
岡先生も
熱情の人であろう。

 早速、
メールを打ち
報らされた先生のアドレスに
送信した。

 が、
矢張、私は筋金入りの
パソコン音痴であった。

 早速の返信エラーの通知が。
私は頂いたメールにしか
返せないのであった。

 猿にも解るパソコンの使い方と云う
テキストを破り捨てたる私である。

 頭を抱えた私の顔を
マリリンが
鼻で笑った。

プロフェッショナルの誇り

 大阪に本拠地を置く
老舗ホテルチェーンのレストランから
今や日本中の
ホテル、百貨店にまで波及した様相の
食品メニュー偽装表示。

 情けない限りの
プロ魂である。

 だが、
確かな物に対して
それ相応の対価をと云う
当たり前の常識を
忘れていた消費者にも
その責任の一端は在ると思うのだが。

 旧い言葉で申し訳ないが、
近江商人の言葉に
【三方得】と云う
上手く言い当てたものが在った。
【作り手得.売り手得.買い手得】

 うんと買値を叩けば、
作り手か売り手が
泣くのは当たり前の事である。

 その様な馬鹿な話が
長続きする筈もなく、
今回の
話題が一般化してしまう。

 レストランの気持ちが
判らない訳ではないが、
名ばかりで、
プロフェッショナルの
最後の良心が無かった処の
余りの多さには
情けない限りである。
 
 但し、
歯科のホームページも
日本全国、眺めてみたら
私が専門職故に
判るのだが、
此れと
似通っているなと
溜め息が漏れてしまった。

 世の中どんなに不景気になったと云えども
プロフェッショナルの誇りを
棄てては成らない。