カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

仕事の学び方

大勢の若い歯科医師が

私の話しを聞きに、

こんな田舎街の診療所へとお越し下さいます。

その中でも特に私が眼をかけているのが、

東京吉祥寺開業の小出 明医師です。

彼が忙しいのを承知で、

月に1度の割合にて、

日本歯科大学は東京の飯田橋に本校が在りますが、

彼には、

新潟校の保存学教室の新海航一教授のもとで、

トレーニングを受けることを指示したのです。

新海教授は私と息子の主治医です。

ですから、

新海教授に対する私の中での歯科医師としての評価の高さが

お分かりになられるでしょう。

新海教授は寡黙な人です。

謙虚な人です。

が、

細かい性格も、

これは病気の域とも言えるでしょう。

私とは6歳違いです。

私が歯科大学に入学した際に、

新海教授は新人医局員になりました。

ご自身の研究のための、

人間モルモット?として私は患者になりました。

そういう訳で、

新海教授とは長い付き合いです。

近い距離の関係ですから、

私が大学院生として医局に入った際には、

先生なりの姿勢での指導を受けました。

当時は講師であったと記憶しています。

当時の先生の指導は、

極めて厳しいモノでした。

怒ることはありません。

が、

ネチネチ?

ご本人がこのブログを見たら

アノ野郎!

と怒るかもしれません。

しかし、

よくもまぁ!

と思う位に、

細かな処まで、

指摘を受けました。

私ですか?

反論はできません。

その通りでしたから。

医学を学ぶ者は、

自分の【いたらなさ】と【未熟さ】を

素直に自覚して、

欠点をひたすら修正することが

最も大切な姿勢です。

私の現在の仕事は、

初期に、

新海教授から指導を受けたことが幸いしています。

そういう訳で、

次代を担うエースになられるでしょう

小出医師には、

新潟へ通うことを指示したのです。

良い歯科医師を作ることは、

私らの仕事でもあるのです。

 

生命歯学部

メンテナンスを自らの強い意識にて、

積極的に取り組んで下さる患者さんって、

本当は少ないものです。

恐らく、

大勢の患者さんは、

ただなんとなく、

そんなモノか、

そんな感じで、

歯科医院へとメンテナンスに通っておられるのでしょう。

先週の週末の出張まえのこと、

ご夫妻共に私の長い間の患者さんであるE氏は70歳男性。

某協会の会長職を務めておられ、

多忙な日々をお過ごしのなか、

月に1度は必ず、

自らの強い意識にて、

歯科衛生士による口腔内のクリーニングと、

私の噛み合わせチェックに、

お越しになられていました。

で、

今回のメンテナンスの際に、

私は【匂い】を感じたのです。

歯周病や胃の臭いではありません。

健康上の、

何か何時もと違う違和感を感じたのです。

私は患者さんとの雑談を好みます。

その際に、

私は患者さんの全体像を、

然り気無く、

診ているのです。

ご本人には自覚はないようです。

で、

私は奥方に電話したのです。

どうか私が手配しますから、

某私立医大附属病院へ受診させて下さい!

奥方が即座に反応されました。

ヤッパリ!

先生、私も感じてた。

主人が言うことを聞きません。

明日も明後日も協会のゴルフに行くと。

先生からも強く言って下さい!

こういう場合、

長い間の患者さんは、

私の【勘働き】を絶対に信用してくださいます。

ゴルフをキャンセルされ、

私の指定した大学病院へ向かわれました。

電車を乗り継いで、

もう少しと云う処にて、

異変がE氏を襲ったのです。

電車の中から奥方からの電話が入ります。

先生、主人が変です。

即座に大学病院の救急部へと連絡を入れ、

救急隊と連携を取り、

最寄りの駅の駅員さんも万全の受け入れ体勢を整えられる中、

電車から救急車に乗り換えられ、

医大附属病院にて、

緊急手術を受けられました。

脳内出血による広範囲のクモ膜下血腫があったようです。

宿に着いた頃、

奥方から手術成功の一報を頂きました。

昨日、再び、

奥方からお電話を頂きました。

何故、先生がこの病院にコダワッタのか、

全般、判りました。

パンフレットにあった建学の精神とおりの

治療体制と看護を受けています。

ありがとうございます。

日本歯科大学は学部の名称を、

歯学部から生命歯学部へと変換しました。

歯は身体と連動している。

歯だけを見て、

人と云う生命体を診えない歯科医師は作らない。

それが学長先生の強いお考えであるからです。

学部長は全身管理科の藤井教授です。

日本歯科大学は医者の眼を持つ歯科医師教育へと

舵をきりました。

超高齢社会を迎える中での、

歯科医師教育のためです。

私も、

その空気の中に身を置いています。

あぁ、一人の人生のお役にたてたことに、

母校の教育方針の意味を身をもって経験したのです。

 

時代の移ろい

英国は2040年までに、

ガソリンとディーゼルエンジン製自動車の

製造と輸入を禁止する決定を下したのだそうな。

時代は急激に変化しつつ在ります。

これに中国も追従する様相。

大排気量のフォード製トラックが好きな私は、

戸惑いました。

超高齢化社会を初めて経験する地球です。

近い将来私も、

その仲間入りする訳です。

いつ終わるのか判らない老後を、

実体験する訳です。

と言って、

死ぬのは恐いものです。

息子に言いました。

父ちゃんが死ぬ瞬間に、

メモしておくから、

聖母マリアさまの言葉を、

耳元で、

繰り返し、繰り返し、

唱えてくれぃ!

俺は気づいたのじゃ。

意識がなくても、

聴覚は生きている筈だと。

その際に、

怖がりの父ちゃんが、

不安で、不安で堪らんだろう時に、

般若心意じゃ、

父ちゃんは癒されんこと。

マリアさまの言葉は、

父ちゃんは何故か落ち着けるんじゃ。

ええな!

息子ですか?

テープレコーダーになった積もりで、

繰り返してくれるのだそうな。

安心しつつ、

若い人には理解できないのだなと。

親友の浅見博士に問うてみました。

彼は解剖学の教授です。

君は死ぬのは恐くないのかぃ?

恐いに決まってるじゃないか!

安心しました。

彼曰く、

死ぬ瞬間には、

恐らく脳内から大量のモルヒネのようなホルモンが分泌され、

痛くはないんじゃないかと。

私は尋ねます。

誰に聞いたんじゃ?

これだけは、

経験者に聞けないから、

俺は信じんなと。

君の父上は何と仰られてるんじゃ?

私は浅見博士の父上を尊敬しています。

親父かぃ?

毎日、死ぬのが恐いと言ってるわぃ!

歯科医師として極められた彼の父上は、

禅宗の仏門に帰依されていることを知っています。

ふ~ん?

ガソリン車は絶滅するでしょう。

それを人類、

そして自分と重ねるのです。

 

師匠の言葉

朝、

内藤正裕先生と電話にて会話。

週末のお礼と、

正直な私の心情とを。

師匠曰く、

必ず自分の位置の意義が判るからと。

相変わらず、

師匠は難しいことを言われます。

 

勘働き

長い間、

歯と真剣に付き合ううちに、

【勘働き】が利くようになりました。

レントゲン所見でも、

肉眼的所見でも、

何の問題もないように見える歯でも、

妙な【匂い】を感じる時が在ります。

そういう場合には、

私は治療を先に進めません。

仮の歯で、

ジッと待機するのです。

後戻りして、

別なる方向へと、

治療方法の転換をはかれるようにするためです。

【勘働き】が外れて欲しいのですが、

悲しいかな、

ほぼ私の予感は的中するのです。

これは科学の範疇にはありません。

でも、

事実は事実なのです。

 

幸か不幸か

時刻は23時です。

帰宅しました。

内藤正裕先生との2日間は、

私の後半の人生のターニングポイントになるでしょう。

先生は仰いました。

科学は、

DNA,RNAレベルまで、

人の身体を分解させた。

その結果、

人はアミノ酸に至る。

が、

アミノ酸を集めてみても、

感情を持つ人には生れないと。

私は師匠と同じ時代を生き、

師匠の肉声を鼓膜に刻み、

師匠の表情を網膜に記録し、

師匠から考える行為を教わった

類い稀なる幸運な人間です。

今は、

そのことに以外の、

自分の幸運を見いだせません。

でも、自分の使える限られた時間を

どう使うのか?

良いキッカケになりました。

脳髄と心が疲労困憊。

宿に隠り、

自宅で、

考へ、

それが生涯の弟子の仕事であり、

苦しみでも在ります。

静かな時間

今日も1日中、講演会です。

昨夜は7時には床に就いていました。

食事は部屋にて、

コンビニの冷やし中華とワッカップ大関。

今朝も、

相変わらず早出です。

浅草寺へと。

まだ静かな境内のなかを通り抜け、

本堂にて、

観音さまを仰ぎ、

般若心経を一巻唱へます。

観音さまのご縁にて歯科医学の道に入りました。

その御恩は生涯忘れません。

境内にて、

腰を下ろし、

コオロギの声に秋を感じます。

前を歩く僧侶に声をかけて、

御先祖さまへの土産の線香と、

内藤正裕先生の健康長寿の御守りを求め、

学生時代から変わらず営業続ける喫茶にて、

心を整えています。

師弟

大学院を卒業し、

数年。

自分の足腰の弱さを痛いほど実感し、

レイモンド.キム先生と内藤正裕先生の門を叩きました。

以来25年。

私は未だに未熟者。

講演が終わり、

おい!三枝!

手招きする師匠。

で、

ご自身のスーツに着けていたアクセサリーを外し、

私のスーツの襟へと着ける師匠。

私は嬉しくて、

涙が流れるのを我慢していました。

 

刻む

東京の宿にたどり着いたのは

既に深夜。

ワッカップ大関を一杯。

深い眠りにつきました。

習慣とは恐いものです。

いつもの時刻に目覚め、

いつものように読書。

が、

退屈で仕方がないので、

街へと。

街は未だ眠っているようです。

隅田川から神田川へと折れ、

川に沿って、

小路を選んで、

お茶の水を目指して歩きます。

交差点の赤信号にて足を留め、

見上げれば、

神田明神下。

あぁ、此処が銭形平次親分の居た処かと。

舟木一夫の歌うテーマソングを

人っ子一人居ない街。

私の音痴も聞かれまいと。

声高々に歌いながら、

通りを進みます。

神田明神さま。

鳥居の外から一礼し、

内藤正裕先生を先についてお待ちしようと、

足はますます速く進みます。

江戸期の絵地図が頭にしっかりと記憶されています。

ここは、

彼の大名の屋敷の跡であったとか、

東京は文明の都会ですが、

通りの名には、

しっかりと文化の匂いを残しています。

時代は移ろいでも、

通りの樹木や石畳は、

全てを刻んでいるに違いありません。

男盛り

診療が終わってから上京。

最終便です。

空港の到着ロビーに、

業者の方がお待ちだそうな。

夜の9時もまわった羽田のロビー。

そこから、

お仕事の打ち合わせだそうな。

先方の方にも申し訳ないと思います。

こんな夜遅くまで。

お仕事が終わった帰宅するまで、

相当の時間を要するのでは?

私は浅草付近で宿泊します。

帝国ホテルではありませんよ。

私は浅草界隈の街の匂いが好きです。

池波文学の影響かもしれません。

が、

彼の地においては、

明治の文豪の愛した宿が数件、

ひっそりと、

未だに営業しているのですよ。

古住まいの畳に

座って、

寝転んで、

蒲団で読書しながら眠ってしまう。

そういうのが好きです。

早朝の未だ人の姿が見えない頃から、

街へと出て、

墨田の街の息遣いを

鼻腔いっぱいに拡がってゆく

あの感覚が好きです。

で、

タクシーにて

講演会場へと向かうのでしょう。

夜は友人と、

お茶の水界隈の焼き鳥屋で一杯の日本酒を。

翌日も早くから遅くまで缶詰ですから、

高松市の自宅に就くのは、

夜も更ける頃でしょう。

月曜日は午前中だけ、

通常通りの診療です。

午後からは、

再び県外へと日帰り出張です。

男の50代です。

仕事盛りの年齢です。

ありがたいと、

感謝、感謝、感謝のみ。