カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

歯科治療は手先が勝負

根管治療を求めて、

お越しになられる【新患】の方が・多いんです。

できれば、

誰か・さんに、

手当てして頂く【前】に、

診せて下さい。

根管の中を、

天然・自然のままに、

傷まぬように・手当てしたいからです。

歯髄炎で激しい痛みが在る時でも、

症例によっては、

部分的に、

壊死していない・

生活力豊かな・生きた歯髄が、

マイクロスコープ視野で、

シッカリと・確認できます。

このような症例は、

生きた歯髄は・完全に保存できます。

私は歯科医師です。

医師が言いますか?

今回は殺した方が良いでしょう・と。

生かす・治すのが、医師の仕事です。

無論、

一生懸命・手当てしても、

その甲斐なく・という場合もあります。

それは、

寿命なのでしょう。

でも、

安易に、

【歯】を殺し過ぎて・いませんか?

歯を助けて・あげましょうよ。

だから、

根管が誰か・さんに、

触れられる・前に、

見せて欲しいんです。

歯科医師は、

指先勝負ナンですよ。

かく言う私に、

反発心を持たれる歯科医師が・多いことも、

私は十分に・認識しています。

反発心など・お持ちになられる前に、

日頃から、

仕事が終わってからの、

2時間で・構いません。

歯の彫刻なり、

小さな折り紙を切って作って、

爪楊枝2本を、

自分の手先だと思って、

トレーニングしてみて・下さい。

3年も経つと、

キッと、

歯科治療に対する考え方が、

激変してくると・思います。

若い時分の喧嘩は・人を成長させると・思うのですが

爆笑しましたよ。

昨年の何時だったでしょうか?

日本歯科大学の藤井学部長が、

しみじみと、

私と、

あと、

誰と一緒だった時でしょうか?

真面目な顔で・言うんですから。

学生時代の三枝さんは、

本当に恐ろしかったですよ。

いつ・ぶん殴られるかと。

なんか・する時には、

先ずは、

三枝さんに・話しを通して・おきゃんと。

そんな空気が・ありましたから。

しかし、

よくも・まぁ、

何処で、

どういう訳で、

真面目に・なりましたねぇ!

そういう私は、

若い時分から、

真面目だと・思っていますが。

ただ、

黙っているだけですよ。

ソレに、

ガタガタするのは、

面倒じゃない?

喧嘩を売られたらですか?

今は、

速攻で・逃げますよ!

猛ダッシュで・逃げます。

怪我でもしたら、

患者さんに・ご迷惑が・かかりますもの。

ただ、

仕事上の戦い、

男の面子に関わる戦いなら、

徹底的に・ヤラシテ貰います。

先生、

カトリック教徒なのでは?

カトリック教徒は、

叩かれ役では・ありません。

マッカーサー元帥も・敬虔なカトリック教徒でした。

名誉に関わるイチャモンを、

私につけようという、

大それた度胸の在る輩。

ソレが、

同業者である歯科医師に、

いらっしゃるんですよ。

私の耳は地獄耳。

何処のどなたかも・認識済みナンですよ。

ただ私も・57歳ですからね。

徹底的の作法は、

若い時分とは・大きく違うと・思います。

でも、

何で・私に喧嘩・売るんですかねぇ?

興味も・ないんですが。

でも、

仕方ありませんね。

潰れる覚悟を・よくよくご決心なさって、

策略を講じて下さい。

私が、

私の紳士道にかけて、

一刀両断に。

木枯らしが吹いて、

跡には、

何も・遺らないでしょう。

 

 

 

 

 

 

学徒

意外かも・しれません。

私の秘かな・ライフワーク。

微生物の研究ナンです。

研究結果は、

ドンドンと、

出てるんです。

が、

まだ公表する段階には・至っていません。

現段階の、

途中経過の実験成績で、

論文発表は・できるんですが、

完全なる理論武装を徹底的に検証し、

ご披露させて・頂きたいと思っています。

あと何年か・必要とするでしょう。

微生物の出所は、

主に【土】です。

それも、

河川敷や池、沼、湖附近の土ナンです。

昨日は・雲1つない・晴天でした。

で、

お伴を引き連れて、

試料採集と・相成りました。

彼らの嗅覚は・抜群ですね!

私の欲しい【種属】を・覚えてるようです。

私の診療所の中の実験室。

そこで、

ごそごそ・楽しんでいる私を見た、

患者さんなり、

メーカーの営業の方とかが、

驚くんです。

開業している歯医者さんでも、

研究するんですか!

なんだか・悲しい気持ちに・なるんです。

自信を持って診療を行えますのは、

学問的な・ホームベースが在るからです。

学問は、

学術誌を読む事だけでは・ありません。

毎日の臨床から感じる・疑問点を、

自ら問題提議し、

自らの手で、

解決に奔走することに在る・

私は・そう思っています。

誰が書いたか・判らない文献を読んで、

物識り・講釈タレるほど、

私は阿呆では・ありません。

40年前の、

歯科大学の門を叩いた記念日に、

初老になりましたが、

まだまだ、

私は【学徒】で・居続けます。

 

 

祈りの人

困った時の・神頼み、

という言葉が・あります。

受験なり、

仕事での受注希望だったり、

家族や自分の健康上の事だったり、

果ては、

人間関係だったり。

人の欲望に際限は・ありません。

望めば・望むほどに、

人は、

四方八方に助言を求めたり、

最後は、

神仏から・ご先祖様も、

総動員してまでも、

祈ります。

かく言う私も・そうでした。

しかし、

人生は・甘くは・ありません。

祈りの甲斐なく・という結末も、

何度となく経験して今日に・至っています。

で、

未だ未熟な私ですが、

私なりに・肝にストンと、

落ちた心境が、

ある人を見ていて、

生じたのです。

祈りは唱えるのではなく、

祈りの人になる。

その・ような心境の変化を、

確かに・感じとったのです。

信仰を持つという行為・そのものを、

変な奴と、

非科学的な根拠に、

蔑まれる機会を、

この国では、

頻繁に経験します。

私からすれば、

非科学的な、

それとも、

科学とは無縁の人こそ、

信仰を否定する傾向がある・と判断していますが。

祈りとは、

念仏・お経を唱える行為では・ありません。

祈りとは、

祈願する心でも・ありません。

自分を捨てて、

人に尽くすことこそ・祈りだと・考えています。

仕事で頑張るのは・当たり前。

目標に向かって頑張るのも・当たり前。

でも、

バランスよく、

全てを要領よく、

上手くこなすことなど、

人には到底・無理な夢でしか・ありません。

ということも、

この歳になると、

納得できるように・なりました。

それでは、

1つの路など、

極めることなど、

持たぬ方が、

幸せな人生に違いありません。

ソレでは、

幸せな・人生って、

何でしょう?

私にも・判りません。

言えますことは、

祈りの人になる時分を創る事では・ないでしょうか?

三枝デンタルオフィスのホスピタリティ

良い歯科医師になりたくて、

無我夢中であった、

40年。

その私が、

日本歯科大学の門を叩いた・あの日から、

40年。

身体の隅々まで、

染み込んだ・考え方。

それは、

医療と看護は・両輪の車輪。

もしかしたら、

医師の仕事のほとんどは、

看護の中の・通過点なのかも・しれません。

看護の「看」という文字は、

「手」と・「目」という文字が・組み合わさって・います。

看護の原点は、

【温かい手の温もり】と【まなざし】なんです。

その・温もりによって、

人の心は癒され、満たされるのです。

その・看護の心という無限大の宇宙空間で、

病気と闘う戦士が、

私ら医師かも・しれません。

が、

いつ頃からか、

歯科医師が歯科医師らしく・なくなった・

そんな気がするのは・私だけでしょうか?

何を目標として、

何のために、

人の身体にメスを持てるのでしょうか。

物質的豊かさ・ばかり追従した結果、

本来であれば、

頼るべきは、

医師の目と度胸で、

鍛えるべきは、

己の未熟さと・向かい合うこと。

ソレから逃げて、

あげくの果てには、

他人のせいにし、

稚拙で・陳腐な医師力を、

機械に頼る・情けない昨今の体制。

私は・シガナイ四国の歯科医師でしか・ありません。

でも、

東京から、

どうして大勢、

診療にお越しになられるのでしょう。

一部の同業の方には、

判らないと・思いますよ。

訳を言いましょうか。

それは、

国家資格をお持ちな・だけで、

人としての・優しさや、

器が小さい・ですよ。

患者さんへは、

私らも、

裸になって、

治って貰いたいという気持ちでの、

医療人でないと。

 

 

 

原点の日

明日の2月11日。

私にとっては、

生涯・忘れられない記念日・なんです。

昭和56年の・この日、

正午から合格発表ということで、

新宿発の総武線に、

飯田橋に向かって乗車していたのです。

満員電車でした。

吊革にぶら下がり、

隣人が器用に折りたたんで読む新聞の号外に、

私も文字を追っていたのです。

市川房枝女史の訃報を報せる号外でした。

本当に、

良く記憶しているものですね。

押し出されるように・ホームへと出でて、

走るように・改札口を、

で、

富士見坂を駆け足で・登って行ったのです。

今では立派なビルに様変わりした、

当時の大学の車寄せの下の小さな広場に、

合格発表が張り出される瞬間を、

今でも鮮明に覚えています。

この日が、

私の歯科医師としての、

第1歩と・なった訳です。

今生天皇陛下のお誕生日と・同じ日の誕生日ですから、

早生まれの私、17歳の早い春の訪れ・でした。

あれから40年も・経過しました。

よもや、

母校の教壇にたつ立場になろうとは、

当時では、

思いもよらない事でした。

出来ることならば、

あと40年、

歯の仕事を続けさせて・頂きたい。

一生懸命に、

患者さんに寄り添いたいと。

 

四国の青さ

土曜の夜は、

再び、

関西へと。

割烹で・軽く1合に簡単な料理を。

で、

ゆっくりと入浴し、

早めに床に入り、

読書。

休日くらいは、

朝寝坊すれば良いものの、

犬に起こされ、

一緒に、

洗車と車の室内掃除。

犬と一緒に・軽く食事を済ませ、

嫌がる犬を引っ張り、

浴室へ。

で、

今度は、

犬のシャンプー。

あっという間に、

午後を回っていました。

犬を伴っての散歩。

肌寒い中、

犬たちの吐く息の白さに、

生命を感じたのです。

高松へと走る際に、

車の窓越しに広がる・瀬戸の海。

私も・スッカリ・四国の人間になったようです。

 

待合室の書籍

気がつけば、

この頃、

毎日、

書店へ行って・います。

で、

背表紙を観ては、

頁を捲り、

また・元の場所へ戻すの、

繰り返し。

結局は、

何冊かは、

買い物籠の中に・入るんですが。

私の診療所には、

個室の待合室が2部屋・あります。

患者さんを長時間、

お待たせすることは・ありません。

が、

小さなテーブルの上に、

私の選んだ書籍を数冊。

タイトルが患者さんの視界に入った瞬間が、

勝負だと・思っています。

粋で・気の利いた書籍で・なければなりません。

家庭画報、

婦人公論は、

良い編集部が良く創っておられますが、

私の診療所の待合室には、

不向きです。

私の診療所の至る所には、

私の自己主張が・なければ・なりませんので。

こういう処って、

凄く大切なんです。

仕事を円滑に進めるために

大学の臨床教授という、

私のような若輩者にとってみれば、

身に余る・お仕事を頂戴しました。

ただ、

その方法論は、

私が・考えねば・なりません。

私自身が自ら考えることも、

仕事の一部・だからです。

私自身も・試されているのです。

三枝どれほどの奴・と観る、

挑戦的な視線も・感じたモノでした。

で、

私は2つのチームを集めました。

私自身が選んだ人たちです。

少人数ですが、

徹底的に、

時間をかけて、

私の考え方を伝えるのに、

専念したのです。

私と一緒に仕事をして下さる人が、

先ずは、

徹底的な、

三枝ファンに・なってくれなければ、

良い仕事など・できませんよ。

私なら、

何かしら在った際には、

盾になって守ってくれると、

信じて下さるように、

本当の弱い私を、

先ずは捨てたのです。

今では、

皆さんが、

ドンドンと・論文作成マシーンのように、

頑張って下さっています。

その学問の上に則った、

歯科治療の実践に移行しています。

仕事を円滑に進めるためには、

共同で仕事して下さる人を、

パートナーと考えては・なりません。

部下など・もっての外です。

女性なら、娘だと。

男性なら、息子だと。

そのような気持ちで、

判断を下すべきでしょう。

 

 

 

芸事って

京都の舞妓さんは、

厳しい修行の毎日を過ごします。

置屋で・住み込みの、

24時間・監視状況下での、

毎日と言って良いでしょう。

朝早くから、稽古事に励み、

夜は夜で、

お茶屋へと。

お座敷仕事を、

先輩方に混じって、

仕事を通じての、

オン・ザ・ジョブ・トレーニングの実践の中で、

育てられるのです。

芸を身につけることって、

身を、

その環境に埋没させませんと、

なかなか・アマイものでは・ありません。

が、

その覚悟で以て・業界に入って来られた

まだ年端もいかない・女の子に、

業界も・育てるための【掟】が・あるのです。

衣・食・住の完全な保証です。

ですから、

舞妓さんは修行期間中は、

財布が要りません。

暮らし向き・そのような心配はしないで、

芸事に励んで・ゆけるンです。

私は商家の生まれですから、

このような考えに、

違和感は全く・ありません。

私自身が人を雇用する際、

この考えで、

通してきました。

雇用者と被雇用者の関係は微妙です。

特に昨今は、

異常にデリケートだと・言って良いでしょう。

が、

私は、

この雇用者と被雇用者という言葉が・馴染めません。

なぜなら、

雇用者側と・使用人という、

旧い時代の封建的な・匂いが、

私の流儀に反するからです。

人に上下は・ありませんから。

日本歯科大学の関口技工士長と、

幼い頃の雑談を講じる機会が・多いんです。

彼の父親は織物製造業を営んでいた、

彼も商家の生まれだからです。

織物製造業が大不況に曝された時代に、

彼の父親は、

お取引先と下請け業者、

長年勤務して下さった方々に、

財産を全て処分し、

今後の生活に不安がないような手当てに、

走り回ったそうです。

景気が悪くても、

年末のボーナスをキチンと支払い、

仕事納めには、

餅代と言って、

正月の物入りを・案じなくても良いように、

心配なく新年が迎えられるようにと、

気遣いを・忘れなかったとのこと。

ただ、

この餅代の手当ては、

不景気でしたから、

ソレはソレは、

ご苦労されていた・ようです。

先生、

親父は、

家族より・先ずは、

勤めて下さる方と、

下請け業者の方々が、

何よりも優先でした。

今、考えれば、

ウチの従業員は幸せだと・思います。

が、

私もガキでしたから、

不満は・正直・ありましたが。

安心した環境下で、

良い仕事をして欲しいと、

私が考えてきたのも、

関口技工士長と同じような環境下で、

育ったからだと・思います。

私は共産主義の考え方は・ありませんが、

勤務する人の生活の質の向上を忘れた資本主義者では・ありません。

育てられた環境の違いは、

埋まらないと・思います。

これは、

器の違いでも・あるでしょう。

ただ・おかげさまで、

私は大勢の人たちのサポートの下で、

ノビノビと・芸事に専念できました。

苦しい時にこそ、

身銭をきれない男には、

大きな仕事は・出来ないでしょう。