憧れのハッセルブラッド


 老齢の紳士の中に
写真に、
カメラに、
夢中になられておられる方も多いが
ウーンと唸る程の写真に
遇する事は
極、稀であり、

如何程、高価なるカメラを見せられても、
其れがデジカメの類いであれば
興醒めして仕舞う
ひねくれ者の私である。

 人は見掛けに依らぬ者を
この時程、
感じた事はない。

 私の患者さんである
此の初老の男性は
見掛けこそ
野猿のごときである。
其の方には大変申し訳ないが、
愛嬌ある大きなお猿さんと云うのが
ピッタリな優しい人である。

 この方が写真を趣味とするを
予てより聞き及んでいたのだが、
まあ、素人の遊びごとであろうと
考えていた。

 ある時、この方が
診療にお越しになった際に
小脇に抱えたる
スクラップブックに目が入った。

 問うてみたら
氏の写したる写真のネガ集であった。

 お願いし、
中を開けて驚愕の声を出したる私であった。

 思わずシャーカステンを点灯し、
レントゲンを確認する様に
ルーペでフィルムを確認。

 老眼鏡を鼻眼鏡で
氏をギロリと見つめた。

 並のプロより上手かった。

 これはカメラが良いと云う領域ではない。

 腕が良い写真であった。

 いったいどの様なカメラをお使いかと
恐る恐る尋ねたら
氏の愛機はハッセルブラッドであった。
当然の事ながら
レンズはカールツァイスである。

 氏にはご子息が居られるが
カメラ、写真には
全く興味が無い様である。

 其所で私は両手を合わせて
氏にお願いをした。

 一つ、新潟の萬代橋の写真を撮って頂く事。

 二つ、氏が死んだら此のハッセルブラッドを
    私に譲って下さい。

 氏は大いに笑いながら
萬代橋の写真はオッケー!
憧れのハッセルブラッドは、
俺が死んだら先生にと
女房に伝えとくわ!

 私と氏の会話を横で
歯科衛生士の宮本君が
いかにも大人気ない馬鹿な男と云う眼差しで聞いていた。