何処の歯科医院も

インプラント治療大推薦の様相です。

本当に責任持てるんでしょうか?

歯科医師には自身の胸に手を当てて、

よーく考えて頂きたいと思います。

先日、ある男性歯科医師と話をする機会がありました。

訪問診療を専門に臨床している先生です。

患者さんを見送る度に、

思う処あり、

彼は洗礼を受けたそうです。

「かまいませんか?」

と、恥ずかし気に問う彼。

私も信仰を持っています。

私の場合は、先祖代々の仏教ですが。

私は先祖の霊を信じています。

いつも私の側で見守ってくれているとの安堵感に包まれています。

宗派は違いますが、

お遍路の巡礼を何度もしました。

道端のお地蔵様を観れば、

思わず掌を合わせる私がいます。

お天道様、お月様を仰げば、

ついつい柏手を叩きます。

大海原、大河、山脈を眼前に、

深呼吸し、

自然の神々からの恵みを

身体いっぱいに受け止めようとする私です。

どんな宗教であれ、

心の拠り所を持つのに、

どうして躊躇い、恥じらいがいるんでしょう?

医局時代の上司である山口隆司先生は

良い意味での【格好つけ】で、

素直にご自身の良さを人前には晒しません。

無機的な理性の人を演じています。

来週、浪人中の愚息とともに先生は福岡へと行くことになりました。

私の師匠である東京麻布で開業の内藤政裕先生の講演があるためです。

内藤政裕先生のご厚意にて、

山口先生と愚息が拝聴できる機会を頂きました。

愚息には先生の講演内容は極めて難解で、

20年早いと思われますが、

【本物】に触れる機会を、

先生はご自身の年齢を考慮し、

私の息子だから、

伝える何かを探せ!とのメッセージだと、

親として、

弟子として、

心から感謝しています。

山口先生に対しても、

私には内藤先生の弟子だからこそ、

内藤先生が山口先生に気づいて欲しいと願っている

メッセージ、仕掛けを感じています。

大きなヤンチャ坊主と、

背伸びの最中のヤンチャ坊主二人の道中は

如何なるモノかと案じています。

が、

「 三枝、1日は大宰府天満宮へ行って来るわね」

と、山口先生の台詞に、

私は胸が熱くなったのです。

クールで見せて、

「 俺は無宗教」

と、常に理論派を演じる先生だったからです。

人は見かけや、

その人の口にする台詞をそのまま鵜呑みにしてはならないという

実例を味わったのです。

私は知っていました。

山口先生は、

筋目を通し、

情に深い人であることを。

私ら歯科医は、

人の身体に医療行為を行うことを仕事とするものです。

心が汚れていて、

どうして診療ができましょう?